議会主義の危機
コラム『あまのじゃく』1956/3/23 発行
文化新聞 No. 2108
お手盛りの小選挙区制
主幹 吉 田 金 八
自民党が平和憲法の改正を目途とし、そのためには現在の国会の与党、野党の比率を大幅に変えなければ憲法改正が行えないので、大政党の威力を邪に発揮して、まず選挙法の改正を企図したことは、そのあまりのエゲツなさ、横暴さに言葉も出ない。
仮に、この小選挙区制に自党の現役に有利に案配された自民党案が国会で押し切られ、総選挙が施行された場合、反対党である社会党がどんなに惨たらしい戦いを闘わされ、その結果勢力の半減はおろか3分の1にも圧縮されるであろうことを想像する時に、民自党は絶対多数の安定政権を握り、所期の憲法改正ができて、一時の満足を得るかもしれないが、多数の威力によって少数の発言を極端に制限圧迫することが、如何に被圧迫政党や、これを支持する国民の心頭に徹する恨みを受け、安定ならざる安定政権であったかを身に染みて会得する日が来るであろうことが予言できる。
この選挙法改正をわかりやすく、家庭の身近に例えてみれば、到来のご馳走を『お前はチビだから』と小学1年生を除け者にして、親父や兄貴共のみで勝手に分配して見せびらかして食うようなもので、チビといえども五分の魂を持っているから、『人をバカにするな』とばかり戸棚から盗み食いをすることを覚えたり、あとは不良の道に転落して『ざまぁ見ろ』と兄弟に当てつけするようになるのは、上等の部類で、親の頭をマサカリで打ち繰り返すような仕儀になることも、世間ではザラにある事である。
チビはチビなりに一応の分け前を与え、現在の議会分野では、いかに社会党が血みどろに反抗しても、事々の法案が自民党に押し切られ、何一つ社会党の政策は実現しないまでも、それでも3の1の国民の意見は言いたいだけのことは国会で言えるのだから、それだけでもせめての不平不満の吐け口がある訳で、このことが日本を流血革命から救い、段々に民主主義、議会主義を推進していく安全弁になっているのではないだろうか。
昔から極端な圧政や覇道政治には暗殺や暴動が必ずつきものの様に発生し勝ちなもので、私は今度の自民党の小選挙区制は自民党の破滅はもとより、日本の議会政治を危機に導くものであることを確信する。
国会における自民、社会の対立も国際間の戦争も、炭鉱ストの労使の争議も闘争であり、勝負であることは間違いない。
勝負は強いものが、武器の質や量の優れたものが勝つのが当たり前だが、勝つ為に手段選ばずであっても良いものかどうか。
日本の真珠湾攻撃も、背後から殴りつける勝負の邪道だったから、原子爆弾の洗礼を受けねばならなかったのではないか。
同じ勝負の場であっても、国会は戦争とはいささか違うべきだと思う。
勝ちさえすれば良いで、相手から竹刀を取り上げて、素面、素小手の者をなぶり打ちにするようなことは、二等兵が班長の飯椀に唾を吐きかけたり、闇を狙うような薄気味の悪い報復も気がかりだし、勝った自民党も寝覚めが悪いだろう。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】
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