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砂川に浸みる血

コラム『あまのじゃく』1956/10/15 発行
文化新聞  No. 2417


守られたか、戦争への防波堤

    主幹 吉 田 金 八 

 全国民注視の砂川問題も13日、雨中の測量強行でついに護衛の警官隊とこれを拒もうとする地元民および応援の労組、学生との間に乱闘が、午後2時極点に達して、重軽傷者800名という皇居前広場のメーデー事件以上の悲惨事態を現出した。
 この砂川問題を巡って測量を強行する調達庁にも、また阻止しようとする地元民とこれを支援する社会と労組にもそれぞれの言い分はあるであろう。
 しかし、警防をふるって農民や労組員、学生を殴る警官にも日本人として後ろめたい気持ちがあるのではないか。少なくとも進んでやるという気概、殺人、泥棒という社会悪の犯人を押さえつける時の気持ちとはいささか違うのではないか。
 上司の命令だから、心中では嫌々ながら表面は進んでやるような格好をせねばならないのだと思われる。
 しかし、一度部署について、血走った目で一歩も進ませまいと意気込んでスクラムを含む多数の労組や学連、地元農民と対峙したとなると、動物本能の敵愾心が湧き起こって蹴る、打つ、殴るの乱闘の雰囲気に巻き込まれてしまうのではないか。
 支那事変でも太平洋戦争でも、日本人と支那人、米英の兵隊個人個人では何ら憎しみを感じることはなく、皆善良な人間同士であるのに、一度銃を取って戦い合う時には100年の仇敵さらがらの如くになる。
 これと少しも違わないのが、砂川問題ではあるまいか。
 砂川の滑走路拡張で耕地を取られ、家を除かれる数は知れたものである。 狭いとはいえ、日本の国土の大きさに比較すれば物の数ではない筈のこの一地点の争奪に、政府と国民がこれほどの関心と熱意を持って当たっているのは、単に農民の土地への愛着とか補償料等の金銭の問題ではない。
 この土地をこれ以上拡張させることは、日本が原水爆の基地として、永久にアメリカの従属から抜けきれないことを意味するもので、 すでに敗戦後、11年の歳月と平和独立を宣言した日本とすれば、この際にはっきりと戦争に巻き込まれない、侵略しない、侵略させないという態度を打ち出すべきであることを国民の全部が強く要望しているからである。
 社会党の議員団が、現地でヤッサモッサ暴動の真似を避けるために国会で話し合いをつけようとしても、自民党の議員は国民に背くことの後ろめたさから国会から姿を消してしまい、陰でこそこそ調達庁や警官隊の尻を叩いているのは卑怯千万である。
 測量を強行し、アメリカに忠誠を誓うことが正しいことだと信じるならば、警官隊の先に立って測量を拒もうとする農民や労組員を説得し、スクラムを叩き潰したらよい。
 彼らがそれを敢えてすることが出来ず、陰でモソモソやっていることは自分たちの考え方や行いが国民を裏切り、大衆を不幸な道に引き込んでいることを知っていればこそである。
 国民の誰もが原水爆戦争に反対し、日本がその基地とされる事に不賛成である。
 この気持ちが砂川に集結し、砂川を防波堤として死守しようとしているのである。
 今やその防波堤の一角は二千の警官の暴力の前に破られた。
 無抵抗の抵抗とも言うべきスクラムは、警棒の威力で次々に崩されて、同胞の一人一人が殴られたり、踏みにじられたり無残な負傷者が一瞬に6、7百名も出るに至った。
 警官に殴られる人たちは『報道班、写真を撮れ』と絶叫しながら頭を抱えて引きずられていく。
 『何のために日本人同士がこんなことをしなければならないのか』。 中風で動けなくなった73の母は冥途の土産に買ったテレビの前で涙を流して同胞相克の姿にうろうろしている。
 『立派な社会主義者になれよ』と親父が期待している、せがれ達は、『アッ、また警棒で撲った、またやった』と警官隊への憎しみを込めて乱闘の成り行きを見守っている。
 国民の砂川への注目は、「何時、乱闘になるか、測量が強行されるか』の巨人軍や若乃花への関心と同じような興味本位、スリル的なものが多分にあることも否めないが、最後の事態に対して警官隊の暴力に対する憎しみと政府への不信が盛り上がったことは確かである。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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