こっちがびっくり。
コラム『あまのじゃく』1953/10/12 発行
文化新聞 No. 1002
植民地 的? ”独立国”
主幹 吉 田 金 八
読売新聞のワシントン特派員は、アメリカの確実な筋の情報として、MSA援助を受けるために吉田自由党を代表して渡米中の池田特使に対し、軍事援助の代償として、保安隊の陣容を33万人に増強する。手始めに本年度7万名の増員を要求されて愕然としたと伝えている。
アメリカが理由なしに日本再建に物質的援助をするわけもないが、金をやるからにはこれこれの軍備をせよとはっきり示したことは、日本が形式的には独立国と言いはやしておりながら、実質はアメリカの植民地、属国と同様なものであることを物語るもので、属国や植民地なら口のまかないから尻の始末まで米国で面倒を見なければならぬことは、理の当然、その代わりに本国の繁栄のためには、どんなに搾取され犠牲を強いられることも敗戦の償いとして仕方がないが、形式は独立国で自分で働いて自分で食えという扱いを受けながら、行政協力協定というマジックで、あてがい扶持を受けた代償には親譲りの人的資源で太平洋の防波堤の後ろを課せられるということは、チト話が受け取れないように聞こえる。
こんなことなら下手な独立国よりむしろ、むきつけの植民地の方が気安いし、保安隊、自衛隊だなんてごまかしの名前をやめて、アメリカ防衛隊と名乗って、その向き向きの人達が兵隊を志願したら、よさそうなものである。
かなり心得て渡米した筈の池田特使が唖然とする前に、国民の方が、日本を守るための保安隊なのかアメリカ資本主義の繁栄を守るための他衛隊なのか、『幽霊の正体見たり枯れ尾花』で、今更に毒気を抜かれたのではないかと思う。
土台日本人は貧乏人の喧嘩好みで、戦争の斬った張ったは嫌いな方ではないらしいから、どうせの事にはあらゆる兵器も貸与して貰って、軍国時代を再現させる事に賛成の向きも少なくはない様であるが、困ったものである。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】