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往生際の悪い市当局

コラム『あまのじゃく』1954/2/5 発行 
文化新聞  No. 1155


イヤイヤの後出しジャンケン‼

    主幹 吉 田 金 八

 日本セメント飯能工場が、あれほど順調に進むかに見えて、これからという所で頓挫してしまい、各方面から反対の狼煙が上がりだし、しかもそのワヤワヤ、ガヤガヤという声だけのものでなく、工場用地の地主が本当に承諾もしないのに、協力会が早まって農地委員会に出す地主の承諾書に偽印を使って、全地主の承諾が得られたかの如く偽装をしたのがバレて告発されるなど、まさに千里の堤もアリの一穴よりの危体に瀕してきたことは、世の中は油断のならないものだという感が深い。
 まさにこの偽印事件は、小林市長は『事務局がやったことで俺は知らない』と我が身愛おしやの保衛に懸命で、罪を部下になすりつけて保身に汲々としているが、いやしくも官公庁が自己の政策を行うために、法律を犯し個人の権利を侵害したことは、どんな言い訳を行っても無駄で、当然その責任は取らざるを得ない立場に追い込まれることは明白なことである。
 遺憾な事は市当局が目的のためには手段を選ばず、場合によればどんな非合法、破廉恥なことをもあえてすることを中外に宣明したことは、飯能市の名誉のために惜しむべきことで、飯能市の信用は地に落ちたと言っても良いのではないかと思う。
 他人の金を盗んだのは100円なら100円だけ、1万円なら1万円だけの被害の限度があり、法の制裁もおのずから限界があるが、売りたくない財産を、売る約束する証書に判を押されたり、離れたくない夫婦の離婚届けに偽造の判を使われたのでは、その損害は無限で量ることができまい。
 これは、関口用地部長は1人で責任を背負っているが、協力委員会とすれば重大な失態である。
 この尻尾を握られたことは、まさに小林内閣の致命傷で、信用の失墜はもとより、法律的に充分な制裁は当然であり、小林内閣の退陣などは言う待たず、こんな恐ろしいことをしでかす自治体では、今度は日本セメントが恐ろしがって、出した手を引っ込めるかもしれない。
 ここでセメント招致が駄目になったとしたならば、せっかく不適格な市議会とはいえ、家業を放擲してセメント招致に協力した数十人のホネ折りも、100万円以上に上る招致のための市交際費も全部無駄な労力、死に金となるのみか、市民は既に支払った地主に対する土地代金の半額2900万円の市債を背負い込んだ上に、各方面から逆に損害賠償(売買契約不履行、農作物の作付け計画の齟齬による損害賠償など)の要求の矢面に立つようなことになり、その損害額は5000万ともなることを覚悟しなければなるまい。
 既に日本セメントでは用地買収の遷延に痺れを切らし、今月中に目鼻がつかなければ手を引くということを言っていると伝えられている。日本セメントは今手を引けば1000万円くらいの損害で済むであろうが、市の損害はまさに致命的と言わざるを得まい。
 協力委員会の市議連もこのところいささか自信を失った形で『失敗したら1人100万円ずつ出し合って市民にお詫びをするようだな』などと言っているが、100万円はおろか1000円だって出す律儀者は記者が見渡したところ1人もいない。そんな健気な精神の連中なら、市制と日本セメント招致に取り掛かる直前に、『ともかく我々は分村運動の行き掛かりとリコールの余波で不自然に生まれた変態児みたいなもので、過去の幾多のいざこざの行き掛かりから、恨みツラミを受けておるものもあり、我々が市政を担当する以上、事は平和にいきっこないから、この際思い切って全員が交替し、分村問題、リコール問題などに全然白紙の人たちが新しく市民の信任を受けて、時局を担当すべきである』と、市議という恋人を目前にして議席を去ることは名残惜しいであろうが、潔く進退していたならば、こんな無様な仕儀にはIならなかったのではないかと思う。
 そうしたキッカケを作るために率先辞任して、一時は『早まった。純情すぎる』と惜しがられた町田前議長なども、『だから俺が言わないことではないか』と信用金庫の所沢支店長の椅子の上で市議会の物欲し気な態度を笑っているのではないかと思う。
 こうなってみると、『あなたでは、折角の日セも物になりっこないから今の内をおやめなさい』と小林町長にダンビラを突きつけた愛町同盟の萩野能仁寺の言った通りなってしまったわけで、これまた『だから言わないことではない』と当時はあんまりパッとした身振りでもなかった愛町同盟も、今更に思い出されることになる。
 現在各所に便衣隊のごとき戦術を展開する反対運動の主流は何なのか、この黒幕は誰なのかという事になると、どうもちょっと見当がつかないというのが本当のところで、精明地区内の現役市議に対する反感から出た流れもあり、本当にセメントができては、お茶などの農産物に被害があると思い込んだ農民の一途な気持ちからのものもあり、前記萩野、大塚氏等の小林町長に対する反感の妨害工作もあるようにも見られるし、元加治分村派が飯能が知事協定の履行に不忠実であるところから、これが履行を果たせるための人質の意味で飯能市長、市議会が面目をかけるセメントの痛いところを押さえておこうという動きも見えなくはない。
 いずれにせよ、市当局の政治力で打開できる程度の障害であることは、誰が見てもわかるのだが、果たして現在の市首脳をもっては、相手を懐柔できそうもないことは残念である。
 さらに、当局が偽造印鑑使用で『飯能は不道徳行為、約束の破棄はへっちゃらだ』という印象を元加治に与えたわけだが、知事調停を呑んでその協定書を町議会で立派に承認しておきながら、市議会の内部に『出来るならあの協定を実行しないで済まそう』という動きがあったことも否めない。その主流は議決当日欠席した、しかも、絶対反対の大江老人辺りで、東金子あたりに働きかけを行って、元加治合併反対熱を煽ったり、遠藤市議が東金子反対村議を市長に紹介して、吉田東金子村長の提出した議事録の写しの中に、公文書偽造の欠点でもありはしないかと探し回ったり、石井議長がまたその気になって元加治分離の細目処理について議会の役割をなるべく遅延させようと図ったり、市議会が協定履行に不誠実であることは何人が見ても明らかである。
 しかし、いよいよ市長も、石井議長もセメントのドンずかえで自己の非を悟ったところへ持ってきて、大沢知事から『協定はいつ履行するのか』と呼び出されてお叱りをこうむったので、このご両人も、いよいよ元加治分離の腹を決めた。
 何かのっぴきならぬ羽目にならねば、相手の要求を満たさないというのが、この人たちの悪い癖で、市制という首の根を抑えられて、元加治の分離を認め、セメントの行き詰まりを死中に活を求めるために、協定を履行するという風に芸が汚いことは、持って生まれた氏素性が卑しいのか、育ちが悪いためなのかでもあろうか。
 もっと男らしくさっぱりとやってもらいたいというのが大向うの声である。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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