偽の自分で勉強をいっぱい頑張った私に起こったこと。
今日は、澄み渡った空に、さわやかーな
気分。
太陽がまぶしくて、寒くない!
寒くないっていいなー。
転校で都会から田舎に引っ越した事で、
急に優等生になってしまった。
頭が良いと認識されてしまったことで、
本来の、
放課後は男の子と泥まみれになって
貯水タンクから飛び降りたり、
何も考えないで、坂道をブレーキ
なしでガーっと自転車こいで車と
衝突寸前でめちゃくちゃ怒られたりしていた
自分が、
急に、お姉さんで、頭が良くて、
生徒会とかにも選ばれちゃって。
そのキャラのまま、中学3年でいじめに遭い、
私の場合は逆にいじめられたことで、
委縮して、自分を抑えたり、
受験で失敗なんかするほど心に影響を受け、
人生暗く沈んでいくのが
悔しいと考えました。
強かったですね。
あいつらの憎たらしい顔を思い浮かべながら
ガリ勉の末、県外に出ることを選択しました。
母の地元で、一番レベルの高くて
地域的にも「頭の良い学校だ」
と認知されているような進学校に
合格。
家族が、親戚が
母は鼻が高かったでしょう。
そういう、地元では喜ばれる
学校でした。
華々しく、いじめっ子達に
華麗に別れを告げて、武勇伝。
と思いきや、そこでもうまくいかない
ことがありましたね。
丁寧に私自身の本当の気持ちを
掘り下げます。
母が喜ぶから、祖父母が喜ぶから
頑張ったはずでした。
そこに、自分がこの学校行きたいとか
なかったです。
たしか、「Nちゃん。英語得意よね。
だったら、この学校英語強いのよ。
チャレンジしましょう」
的な流れでうまーく、
母に乗せられた?のかもしれません。
あるいは、いじめからとにかく環境を
変えて、その土地を出なければ
いけないと思っていたので余計なことを考えず、
「この学校」と母に決めてもらって
そこにガーっとブルドーザーのように
進んでいったから記憶がありません。
立派な学歴もゲットできたし、
学歴で自己肯定感も持てたり
したので、その歴史にいまさら
後悔はありません。
ただ、卒業アルバムも見返すこともない、
旧友とも関わりが消滅するほど、
執着もありません。
(だから、私は今小学生の息子の
中学受験について、本当にわかりません。
何が正解か。ネームバリューとか箔をつけるために
自分が入っていない受験に進ませるのかなぁ。
わからないです。)
地域的に学力平均レベルの低い土地でのトップが、
都会の難関進学校へ進学。
すると、何が起こるのか。
100点オンパレードだった
私が、急に平均人間になるのですよ。
正直焦りましたね。
今の私だったら、いいんです。
中間でも泳いでいさえすればよかったんですよ。
それを、1番にならなきゃ。
トップ層にならなきゃと
さらに自分を責め、自分を追い詰めた。
競馬の騎手が馬に鞭をうつ映像が思い浮かびました。
自分に鞭を打って、中身を覚えていなくて
とにかくがむしゃらに覚えたり、鉛筆を動かす勉強。
自分が特別に、というか
特別な子どもに育てていたのでしょうね。
周りが。母が。(父は育児無関心。仕事人間)
それは、ありがたいことかもしれませんけれど。
正直心の準備が
「みんな、普通だよ」って育てられたかったです。
「特別なNちゃん」「あなたはその辺の人とは違うわよ」
ということで、友人ができない。
心を開けない。
苦しい。
周りがライバル。
となって、最終的には摂食障害。
たべることを拒否することで、
スリムな体型を目指すことで、
あの人より、細い。
あの人より、痩せている。
っていうことで自分を保つようになりました。
摂食障害はその後大学入学後に
スクールカウンセラーの下で無事克服
しました。
本当は、ガリ勉をやめたかったし、
もっと、普通の子と一緒だよ。って育てられ
たかったです。
友達も気楽に欲しかった。
そして、100点じゃなくなって、
もっと上のやつがいるんです。
何が起こるのでしょうか。
嫉妬心。
競争心。
勝てることを必死で探す。
秘密主義になる。
裏でこそこそ努力する。
変な化学反応のように間違って
大変な道に自分から迷いにいってしまいました。
半分悲鳴をあげていたのに、
上から握りつぶして、
いいから!だまれ!
と自分にいって、周りにも心を開けず
ひーひーの状態で卒業をしました。
進路相談では、
推薦枠で地元の国立大学にも
推薦が決まっていたそうです。
学校的に。
そこでも、「特別感」
の設定を抜け出せない私は
担任の先生を困らせます。
いえ、私は東京の大学に進学します!
自分でない自分が、
あのいじめられていた自分と混同して
武勇伝をまた繰り広げようとしました。
本当にすごいことですが、
立教、早稲田、など東京外国語大、
上智など選択はありましたが、
全て拒否をし、志望校1本で合格を
勝ち取りました。
先ほどの「え?」
と驚かれた担任の先生をはじめ、
母や周囲はどれほどヒヤヒヤしたことでしょうか。
1校全集中の受験勉強。
部屋に1日8時間こもり、
独学、そして代ゼミの冬期講習等を
利用して、猛勉強のすえ、見事第一志望校に
一発合格を果たしたのです。
勉強が本当は好きだったかというと
違いますよね。
砂やほこりにまみれながら、
砂団子とか作って口にいれちゃうような
わんぱくアウトドアは少女だったんですよ。
それが、急に大人しく、はんこうもしない。
勉強嫌いって、みんなはいうけれど、
私は勉強楽しいわ!
ゲームみたいに攻略してやるわ!
って無理をした結果。
身体が壊れました。
合格を勝ち取った後、
腑抜け状態になり、
机の前に座れなくなってしまいました。
机には座るけれど、
鉛筆やノートを広げられない。
だいぶ後になって、わかったことですが、
燃え尽き症候群を発症していた
んだと思います。
もう一回大学生活をやり直したいです。
うーん、寮に入っていたし。
親にも気づかれず、自分でも気づいていないから
相談という発想にも至らない。
図書館、授業が苦しかったのに、
語学系の大学だから
辞書を開いて、英文を読まないといけなかったのです。
それが、マジ勘弁という状態に、身体は悲鳴をあげていたのに、
頭では一生懸命厳しい自分が「やらなきゃ」「ほれ」「どうした」
「ペンをもて」と鞭をうっていたものですから、
自分いじめがはなはだしかったよね。
本当に自分が自分じゃないって怖いことだよね。
自分の人生じゃ無かったよね。
よく倒れなかった。偉い。がんばったよ。
宿題がだされるの?大学で?
えーまじで?
英作文、成績Cだ。
赤ペンばっかり。
やだやだー。
そこで、身体が完全にストップ。
唯一座れるようになった場所が
スターバックスカフェでしたね。
それも、本当はスタバなんか
いかなきゃいけないぐらいどっぷり
休んでたらよかったんだけど、
「勉強やれ」と
命令する厳しい自分(先生の目を意識した、周りの目を意識した自分)
が、「やらないと、悪い生徒だと思われるから」
という不安や怖れにしたがって
這うように外にでていってやっと
たどり着いたオアシスのような場所だったのです。
なんだ、このカフェ。
落ち着く。
みんなの気が素敵。
誰にも邪魔されない。
コーヒーがあって、喫煙などの臭い煙に邪魔をされず
シンプルに椅子と小さな机。
ここでなら、宿題ができました。
図書館じゃなくて、わざわざスタバに通う
日々もありました。
今ではヘビーユーザーですし、
もう一回書く気力を、勉強する
気力を取り戻させてくれたスタバには
感謝しかありません。
スタバにいつもいってしまう私を今は
全肯定です。
さあ偽りの自分で、高校、大学と
きてしまいました。
さらに悲劇が降りかかりますね。
周りや親の目、社会の役割、
固定観念、を気にして、
本来の自分から乖離した状態の自分で
生きていく事はできます。できました。
が、必ず「あなた、その道違うわよ!」
というお知らせが無意識レベルで
やって来ます。
こういうことには目に見えない、
魂レベルでの促しがあったり、
パリーんと割れるような体験、
ガラッと変えさせられるニュース、
入ってくるんです。
不思議です。
その当時は私も大変だった
でしょう。
でも、今段々自分を取り戻す中で
全て必要な経験だったと思うし、
一つ一つたどっていきたいと思います。
全てにありがとう。