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母との思い出

先日、妹とランチに行きました。私と妹の家は離れているので、中間地点の駅で落ち合いました。たまたま、そこは私が小学生の頃住んでいた町。用事があって電車でその駅を通りかかるたび、昔母とよく行った喫茶店がみえて、「まだやっているんだ…」と思っていても行くことはなかったその店に、一緒に行ってもらうことにしました。

私が3歳くらいのとき両親は別れ、私は母と、妹は父と暮らしました。別れてからお互い会うこともなく、妹のほうは姉の存在も知らずに、はたちの頃漫画のような展開で涙の再開を果たしてから、友だちとも、一緒に育った姉妹とも違う関係を築いてきた妹です。

喫茶店が昼まで開かないので、周辺散策に付き合ってくれて、昔住んでいたアパートのあたりをブラブラしていたら、何とアパートがそのまま残っているではありませんか!さらに、近所の友だちの家や優しかった自転車屋さんを見つけて、思いもよらぬノスタルジー散歩になりました。

私の母は、私が期待する母親役をこなせるほどには、健康に恵まれていませんでした。だから母との思い出は嫌なことばかりで、今回の散策も「母との思い出」ではなく、「私の子どもの頃の思い出」をたどる感覚でした。

でも、散策をしながら妹がぽつんと一言。
「喫茶店に連れて行ってくれるようなときも、あったんだねぇ」
そう、あったのです。頻繁に行っていたので、頻繁にあったのです。嫌なことがあった、○○してほしいのにしてくれなかった、のも事実なら、喫茶店に行った、お店に行って何か買ってくれた、学校の運動会に来てくれた、そういうこともちゃんとあったのです。

不思議なもので、やってくれたことはすっかり忘れて、嫌だったこと、やってくれなかったことばかりが心を占めます。きっと我が子もそうなんだろうな…と親目線で思うと、母への思いも少し変わってきます。父に対しても…会ってくれなかった、○○してくれなかった、と思いこそすれ、3歳まで注いでくれたであろう愛情は、まるでなかったことになっていたのですが、自分と息子に置き換えると、3歳までの愛情は是非ともなかったことにはしないでほしい。
さらには祖父母も、母親役はしてくれなかったので不満もあったのですが、祖父母役は超えて助けてくれたのだから、ありがたい話なのです。

今回の散策とランチは、忘れていた母との楽しかった思い出、さらには私に繋がる人々への感謝を思い出させてくれたのでした。


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