・自己紹介 出生〜小学生編
初めましてー!
※現在の状況※
初めまして! 営業職×管理職を10年間経験→HSP気質もあり適応障害を発症→ 再発で短期離職→転職活動中&少しだけフリーで働いてます。 経験談•インプット•アウトプットの場としてアカウント作りました。同じ様な悩みをお持ちの方だけでなく色々な方と繋がれたらと思います。
先にお伝えします。幼少期から小学生の時は人生の中でしんどかったので長文です。笑
この度、今までの経験談と今のHSP気質と気付くまでの生い立ちをまとめさせて頂きます!
※今後の記事有料、無料について※
営業成績で数年連続日本一になった時の自分なりの行動案や業績を倍にしたマネジメントのコツ、適応障害発症〜内定獲得までの行動等の具体的な部分はお安く有料として掲載しようとあくまで現時点では思ってます。
こういう記事自体初めてなのでまずは練習の意味も込めて無料で掲載させて頂きます。
・出生〜幼稚園
ゆとり世代と呼ばれております平成4年に調理師の両親から長男として宮城県に生まれた妹と2人兄妹の者です!
幼少期の頃はウルトラマンごっこにハマり、ポケモン初代赤版からゲーム人生をスタートさせたどこにでもいる普通の子供だったと思います。
・小学生
この6年間は自分の中でメンタル的に大きな期間でした。
1番は小学4年生の時に父親に1億円程の負債がある事が発覚して両親が離婚。負債の原因は今で言う地面子的な感じで父親が独立しようとした際にお金を支払ってから飛ばれたと大人になってから聞きました。担保にしていた一軒家を売り借家へ引っ越してそれまで専業主婦だった母が夕方まで配送業をして帰って来てからメール便を配達するダブルワークを始めて僕と妹を何とか育ててくれました。ただ本当に今思えば寂しかったです😅
小学校5年生に上がるタイミングで名字を母方の姓に変えました。当時は離婚という物が珍しい事でしたし子供達は悪気が無いから素直に『何で名字変わったのー?』と毎日聞かれましたし、お家に帰っても母は仕事中で不在な事が多く作ってくれていた晩ご飯を妹と食べながら母の帰りを待つ。子供ながらに『あまりお金ないんだなぁ』というのは分かっていたので母は『我慢せずに何かあればいいなね!』と言ってはくれたものの本当は欲しい物、やりたい習い事は素直に言えなかったです。でも誕生日やクリスマスは母は僕と妹が欲しいゲームやプレゼントを調べて買ってくれたのは今でも鮮明に覚えていますし、僕と妹が2人でご飯を食べてるのを見て幼馴染家族が『学校から真っ直ぐうちに帰って遊んでご飯一緒に食べなー!』と定期的に言ってくれたのが本当に嬉しかった。夏休み、冬休みも母が連れて行けないので幼馴染家族達や母方の祖父母が僕、妹をキャンプやバーベーキューに連れて行って思い出を沢山くれたのは今でも覚えてます。何より食費、旅費余計に2人分かかって簡単な事じゃないのに幼馴染家族達は凄すぎません?笑
僕たちは一家団欒という物が本当に嬉しくて。。でも自分の親達はそこに居ないのが何だか切なくてちょっぴり寂しいし、何かを与えられても少し遠慮しちゃう。そんな6年間だったと思います。
続く。
と何か物語風に一旦かっこつけて締めさせてもらいます。笑