これから
生き方としての変態淑女。
わたしは薬剤師で口に糊をしており、サディストでもある。
薬剤師は正確さが一番、サディストは加虐性が一番であろうと思う。
正確さとは、薬剤師の職種で言えば、細かさと同義だと感じている。
医療のゴールキーパーと、薬剤師は形容されることがあるが、まあ8割くらいは当たっているだろう。
処方が100枚があるとする。
その100枚は問題の無いものでも、101枚目が間違っていたとする。
医療事務の入力ミスかもしれないし、医師の判断ミスかもしれないし、薬剤の選択ミスかもしれないし、とにかく101枚目に記載されている薬剤が間違っていたとする。
それを見つけ、指摘し、正しいものに訂正要請をしなければ、医療過誤が起きる。これを発見できるのは、薬剤師である。(患者が他に飲んでいる薬のことを医師に伝えておらず、併用禁や併用注意になっているものも多い)
だから「医療のゴールキーパー」なのだと思う。
101枚目の医療過誤を防ぐことができたわけだが、それを100枚目までの患者は知らない。100枚までの処方箋も、101枚目と同じ注力で臨んでいることを、知らないわけだ。
もっといえば、正確な処方がされている幸運を、知らない。
「もっと早く」「薬剤師なんて袋詰め作業」の声は、そういうことだ。
「AIに任せればいい」「ネットで調べられる」それはそうだと思うが、明日AIが導入される予定は無いし、ネットで調べられても、医師に訂正を指摘してくれる患者もあまりいないので、とりあえず今のところは、正確細かくでやらせてもらっている。
加虐性とは、俯瞰することだと私は思う。
徹底的な俯瞰。
肉体的に痛みをもたらしたり、心理的な苦痛を与えることはただの工程で、その結果現れる、完全なる観察物を俯瞰しつくすことこそが、サディストだけに許された喜びなのではないかと思う。
サディストとマゾヒストは完璧な信頼関係があってこそ成り立つと誰かが言っていたけれど、そんなこと私にはどうでもいい。
私にとって大切なのは、魂の奥から突き上げる様な熱だ。
それは、私の身体全てが目になるような、つま先から頭のてっぺんまでが何百もの眼球になるような、その全てで相手の隅々まで見喰らうような、
「完全なる被俯瞰物」を造り上げた時に湧き上がる欲情そのものだ。
被俯瞰物予定者は、恥じらい痛みよじれて、徐々にカラになっていく。
そして肉体も心も感覚も、全て私に委ねる。
全てを放棄し、放棄せざるを得ないことの歓びに、震えている。そして、わたしに「俯瞰」を懇願する。
完全なる俯瞰物が出来上がるわけだ。
わたしは、見る、見る、見る、わたしは相手を見喰らう。
被俯瞰物を舐め、押し潰し、貪る。
歓喜。
わたしは生ゴミみたいになった、被俯瞰物を可愛いと思っている。
正確な細かさと、加虐性が相合わさってしまうと、犯罪の匂いがする。
犯罪とまでいかなくとも、血の匂いがする。
あまり都度、血の匂いがしてしまうのは良くないので、わたしは淑女でいようと思う。
淑女の部分は、わたしの中にある、正確な細かさの薬剤師が担保できよう。
サディズムは、今までのように隠さず、立派な変態でいようと思う。
だから私は、変態淑女でいよう。
変態淑女という生き方を、高らかに宣言しよう。