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慈愛
久しぶりに会ったMは、わたしを歓待してくれた。
いっぱいの笑顔と、聞き分けの良い返答。
わたしの話を聞きたかったんだって。わたしに会いたかったんだって。
ずっとニコニコ顔。
桜を見に行こうだってさ。
わたしと桜だって。
個室の割烹。
親切な店員たち。
わたしはテーブルの下の、Mの足を思い切り蹴る。
のけぞるM。それでもニコニコとしている。
わたしはMが大嫌い。このニヤケ顔も虫唾が走る。
それがMを悦ばせる。わたしはMと出会った時からずっと、Mを悦ばせ続けている。
目の前で煮立つてっちり。
わたしはそれをよそい、Mに渡す。
「一気に食べてよ」
え、とMが少しためらう。
「一気に、喰え」
Mが上目で、わたしを見る。
器に息を吹きかけるMを制して、
「冷ますな」
Mは息を止める。眼鏡が曇っている。
箸を突っ込み、湯気の立つ器から、白菜をふぐをネギを口に詰め込む。
むせて、全て吐き出す。器から溢れ出る具。
「ほめんふぁふぁい」
わたしはMの隣に座る。Mはわたしの瞳を覗き込む。
Mは眼鏡を外す。そして求める。わたしがMの顔を押さえつけることを。
吐き出したものを食べさせることを。
一瞬で覚める。
少しはいい気分になったのに。
わたしはMの吐き出したものを、おしぼりで片付け、店員を呼ぶ。
「すみません、こぼしちゃって」
あらぁ大丈夫でしたかお怪我などありませんか、の丁寧さ。
「大丈夫です、申し訳ありません」
Mも小さな声で、もうしわけありません、と言っている。
手早く片づけられるMの失敗。
店員が火加減を調整した。
静かに、クツクツと煮えるてっちり。
鼻をすするM。わたしをチラと見る。
お預けをくらった表情。わたしはMをまっすぐ、見る。
本当につまらないヤツだ。くだらない時間だ。
それでも、わたしはこうしてMと会っている。
Mはわたしと会うとき、最大限の歓待を示す。
わたしが喜ぶように、わたしが快適なように。
今日も、ふぐでなくても良かった。
居酒屋で十分だった。個室でなくても良かった。
手土産も要らなかった。迎えに来てくれなくても良かった。
ただ、なんとなく、世間話みたいな、たわいもない時間を過ごせればよかった。
Mはいつだってわたしを喜ばせようとする。
それは、M自身の美徳のため。スマートな俺のため。
Mは、美味しいもの、楽しいこと、それに一工夫加えて、わたしをもてなす。
その後の、夜のために。
わたしと過ごす夜には、スマートのかけらも無いのに。
縛られて、踏みつけられて、首絞められて、尻ほじくり倒されて、口の中に手突っ込まれて、涎と涙と汗でぐちょぐちょになるのに、なに気取ってんだ。
父の夢を見た。
わたしを高い高いして、あやしてくれた父。
父はわたしのために、ひたすら、わたしだけのために、わたしを楽しませてくれた。
わたしも笑っていたし、父も笑っていた。
Mの目は、犬の目。それでいて大層な視線だ。
わたしが次に何をするか、何をしてくれるか、恐れながらも期待を込めた目で、わたしを見る。
たわいもない時間を、許してはくれない。
桜を見に行こうだってさ。
わたしと桜だって。