カムアウトの例え話
ある国では戦争が長引いていた。とある家族の10代の子どもが、兵士として戦地に駆り出されることが決まった。家族、兄弟、知人、総出で泣きながら、その子を戦地に送り出す。残された家族は、その子どもが無事に戻ってこれるよう、毎日祈って過ごしていた。
一年以上が過ぎた頃、家族に連絡があった。
「久しぶり。元気にしてた?ようやく帰れることになったよ。」
待ち侘びた子どもの連絡に、何より無事だったこと、帰ってこられることに、家族は泣いて喜んだ。家に帰ってきたら、何をしてあげようかといろいろ想像する。
その子どもは、相談があるのだと話を続けた。
「戦場で僕を助けてくれた同輩の恩人がいる。彼がいなければ自分は死んでいたかもしれない。彼も無事だったけど、身寄りがない、一緒に連れて帰りたいんだ。いいかな。」
家族は二つ返事で承諾する。あなたの恩人なら、もちろん一緒に連れてきなさいと。
さらに子どもは話を続けた。
「ただし、その彼は両足がないんだ。片手も若干、不自由なんだよ。それでもいいかな。」
家族は一瞬押し黙った後、こう伝えた。
「そうか。ただ、残念ながらその障害では、村に帰ってきても仕事は見つからないと思う。もっと街にいって義足だったり、手を治療する方法を探すほうが彼のためにもいいのでは。この狭い村では、きっと人目に晒されることになり、彼も生きにくいんじゃないか。それと、お前が一生、障害のある彼の面倒をみつづけることは、簡単なことじゃない。」
子どもは黙ったまま静かに家族の言葉を聞き終えたのちに、一言だけ答えた。
「そうだよね••また連絡します。」
その後、どれだけ時間が経っても子どもからの連絡がない。不安に思った家族は、所属の軍に問い合わせをする。すると、係の者からこんな回答が返ってきた。
「お子様は両足を失い、片手に重傷を負ったものの、なんとか戦地から帰還されました。しかし、大変申し上げにくいことなのですが、その後に自ら命を絶ってしまわれました。誠に残念なことです。お悔やみ申し上げます。」
それを聞いて、家族は泣き崩れた。
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いかがでしたか。
この話では、障害を負った彼=その子ども自身、だったということですね。
そして、この子どもが遠回しに家族に確認しようとした気持ち、それは僕らLGBTもまったく同じなのです。どんなに信頼している家族、友人であっても、理解されない可能性があることを誰よりも私たちは理解しています。
この話を聞いて家族が良くない対応をしたのでは?と感じたでしょうか。
しかし、そのような単純な話でもないことはお分かりだと思います。家族が子どもに伝えたことも、真実を知らない場合、当然に感じることです。つまり、善悪、正誤、では語れない難しさがあります。
家族が使った何気ない言葉がありました。障害(病気)、治せる、人目に晒される、面倒、これらは僕らLGBTによく浴びせられるものです。
インターネットなどに溢れている言葉なら、心を痛めるものの、たいして意味を持ちません。しかし、信頼する家族や友人から直接この言葉を聞いてしまうことの絶望と恐怖は計り知れないと言うことなのです。
いわずもがな、LGBTは病気ではありませんし、変わることはありません。人目を気にしているのは自分自身が1番わかっています。
皆さんが思っている以上に、周りや大切に思っている方のなかにも、隠れているだけでセクシャルマイノリティの方はそばにいます。
僕個人の考え方になりますが、ストレートの方たちに理解することまでは求められないけれど、少なくとも知ってほしいとは感じるところです。