母になる
私は2人の子どもを持った人を愛してしまった。子どもたちはその時2歳の男の子と4歳の女の子だった。とても可愛くて私にも懐いた。
私は彼のことをとても愛していたのでなんの疑問も抱かず、2人の子どもを育てた。幼稚園の送り迎え、公園での外遊び。絵本を読みがたりながらの寝かしつけ。あっという間に1日は過ぎ、夫もいつもありがとうと言ってくれた。しかしそれは子どもたちのお姉さんという感じだったかもしれない。ただ付き合ってあげていただけかもしれない。
私が愛するこの2人の母になるとはっきり自覚したのは、確か上の子が小4の時だ。ママ通信教育をやりたいの。と娘が言ったのだ。みんな塾行ってるよと。
私は正直とても焦った。夫も私も高校しか出ていない。しかしこの子は勉強したがっている。私は早速夫にこのことを話し、通信教育の資料を取り寄せ料金も確認した。2人で月1万円ちょっと。痛い出費だった。
でも私は無我夢中だった。正直自分のお腹を痛めた子でもないのになんでこんなめんどくさいことしなくちゃならないの?と思った。私が小4の時キッチンドリンカーだった母親に一升瓶で殴られて騒ぎになったっけ。その時児相の若いお兄さんに言われたんだ。あなたがいい母親になってねと。私で止めなきゃいけない。嫌なことは全部私で止めよう。そう小4で誓った。懐かしい思い出。
私はこの子たちの優しいお姉さんではなく母親にならなければいけないんだ。
私は毎日学校から帰ってきた子どもたちの宿題を見てやり、通信教育のテストを提出した。それは封書で自分の住所や名前も書き、行というところを御中と書きかえるんだよと教えることも必要だった。
私には妙な達成感があった。遊び相手のお姉さんから母になった瞬間だった。フワフワした家族がキッチリと立体パズルのようにハマったようだった。これからもこんな成長の時が来るかと思ったら、私の胸は高鳴るのだった。
もちろん上の女の子の髪も三つ編みしてあげたし弟の方の髪も家で私がカットしてあげた。でもそんな幸せな甘い瞬間より私は勉強を教えるという時間の方が母になった気がした。
子どもたちはどう思っていたかわからないし、もっと高学歴の親御さんにとってはバカみたいな話かもしれない。でも私はこの子たちの母になりたかったのだ。
私は子ども部屋の掃除をしながらたまに子どもたちの教科書をパラパラとめくってみる。自分が学生の時には大嫌いだった教科書。2人の血のつながらない子どもたちに勉強をさせるということが母になる自覚をもたらすなんて思ってもみなかったし、なんだかくすぐったい感じだったけど、私は母になる。
もうすぐプールの授業が始まる。水着はサイズアウトしていないかな?押入れの奥から去年の水着を取り出して私は幸せを噛み締める。
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