フェイブルマンズを観て

 スティーブンスピルバーグはカメラが全てだった。カメラが彼の人生だった。

 彼の幼少期に初めて撮ったフィルムはプラレールが人を轢いて脱線するという観た映画の模倣であったが、それを観た母親は彼を絶賛し、満面の笑顔で彼を抱きしめる。

 その経験が彼を世界のスピルバーグにするのだ。

 しかし、人生は皮肉なもので、彼のカメラが、母親が父親以外の男性を愛していることを映し出す。母親を笑わすことができるのは父親ではないと気づく。彼は母親を許すことができない。

 父親は最後まで妻と正面から向き合おうとせず仕事にかこつけて家庭崩壊となる。

 ただ、スティーブンが大学を辞めて映画をつくりたいと言った時、そうしなさいと勧めるのは父親だ。
 紆余曲折あるが、彼はあたたかく育てられたと言えるだろう。特に母親の兄である伯父さんはサーカス団でゾウのフンの掃除をしたりしながら苦労して生きた人で彼に強く勇気を教える。

 こども家庭庁や地方自治体は子育てを少しは助けてくれるかもしれないし、理由のある人は仕方ないが、基本は子育てというのは親や家族でするものだと強く思った。子は親の鏡だと思う。

 また、彼はユダヤ人で故郷がなく、親の都合で家を転々とする。転校生ということでイジメにもあう。

 彼はいじめっ子をヒーローにした映画を撮ったりもする。撮ることによって感情をコントロールしたり、人の心をも動かすことができると、それは良くも悪くもではあるがわかるようになる。

 透けた体の線が出るワンピースで踊る母親を撮って、表現の自由を知ることにもなる。

 決して映画の高等教育を受けたわけではなく、彼は人生の中から自分の好きな映画というものを見つけ、助手の助手の助手から初めて今日に至ったのだ。

 映画という媒体を通して人生の機微を教わった素晴らしい映画だった。

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