嘲笑う石 第4話
時坂先生に駐車場で待つように言われた私は数分後には指定された場所に立つ事が出来た。待ち合わせ場所に指定された幼稚園の駐車場は来た時と同じように親子連れで賑わっていた。
不思議な事に私が園庭から離れていくにつれて怪異の気配が徐々に強まっていった。私が居なくなるのを待っていたかのように思えた。
(もう一回園庭に戻ってみるか。さっきは見つける事が出来なかった怪異の手がかりが見つかるかもしれない。)
私は園庭に戻る為に再び階段を上がり始めた。
面白い事に私が階段を上がって園庭に近付いていくたびに怪異の気配が薄れていく。
(このままじゃ、さっきと同じだ。)
私は一気に階段を駆け上がった。
心臓が口から飛び出そうなくらい足を動かした結果、5秒後には幼稚園の門に辿り着く事が出来た。私は息を切らしながら門の外側から園庭を眺めた。さっきは見なかった人物が花壇の近くに立っているのが見えた。
その人はシンプルなシャツとジーンズを身につけて黒い帽子を被っていた。近くに来た子供達と会話をしながら両手で持った大きな緑色のジョウロで花に水をあげていた。
「風祭さん!そんなところでどうしたんですか?」
私が息を整える為につかまっていた門の内側にびっくりした顔の時坂先生が現れた。
「と、時坂先生、花壇のところにいる人は誰ですか?」
時坂先生は花壇の方を見てから、笑顔で答えてくれた。
「先程お話ししたボランティアの島軒さんです。もう1人のボランティアさんと2人体制で花壇を手入れしてくれてるんですよ。何かありましたか?」
私はもう一度花壇に行って調べるか迷ったが怪異の気配が薄れてしまったのでやめた。
「気のせいだったみたいです。遥ちゃんの家に行きましょうか。」
「そうですね。」時坂先生は門を開けて出てきた。
遥ちゃんの家は幼稚園から15分程歩いた住宅街にあった。お互い考える事で頭がいっぱいになっていたのか道中は無言で歩いていたが、京太郎君の事故現場の横断歩道で信号待ちをしていた時に時坂先生がぽつりと呟いた。
「ここなんですね。」
私は何と答えていいのかわからず、頷く事しか出来なかった。信号の根元には小さな白い花が供えられていた。
遥ちゃんの家は白い壁に茶色い屋根の一戸建てだった。
時坂先生が不安そうな表情を浮かべているのが見えた。時坂先生は深呼吸してからインターホンを押した。押し終わった時には先生の顔になっていた。
ガチャリと鍵が開いた音がしたが誰も出て来なかった。インターホンから女性の声で「入ってください。」という声が聞こえた。私と時坂先生は顔を見合わせたが、インターホンの指示に従い扉を開けて家の中に入った。
玄関には子供用の靴や長靴、大人用の靴やサンダルなどが乱雑に散らばっていた。
「お邪魔します。そらにつづく幼稚園の時坂です。」「風祭です。」
私と時坂先生は大きな声で挨拶をした。廊下の先にある扉の中から女性の声が聞こえた。
「玄関で靴を脱いでそのまままっすぐ進んでくださーい。」
私達は端の方に靴を脱いで廊下の先に見える扉の方へ向かった。
扉を開けるとリビングだった。カーテンが開かれた大きな掃き出し窓からは日の光が入って部屋の中は明るかった。白いフローリングにはラグが敷いてあり壁側には大きなグレーのソファが置かれていた。床やラグの上にはおもちゃや絵本が散らばっていて小さな女の子が遊んでいた。3人掛けのグレーのソファにはお腹の大きな女性が横になっていた。女性はやつれて疲れた顔をしていた。
「こんな格好ですみません。京太郎の事故で色々負担がかかってしまったみたいで赤ちゃんが早く産まれないように自宅安静になってしまったんです。とにかく横になっていないといけないので部屋も散らかり放題で恥ずかしいです。」
ソファに横になっている女性は遥ちゃんと京太郎君のお母さんだった。
「この度は」
私と時坂先生はお悔やみの言葉を言おうとしたが、遥ちゃんのお母さんは両手を前に伸ばして私達を制止した。
「京太郎の葬式を思い出してしまうのでそこから先は言わないでください。」
おもちゃで遊んでいた遥ちゃんが京太郎という言葉に反応してお母さんの近くに来た。時坂先生が声をかけると遥ちゃんはにっこり笑った。
泣いたのだろうか。お母さんも遥ちゃんも目が赤かった。
遥ちゃんのお母さんの証言
「今日は突然のお願いにも関わらず来てくださってありがとうございます。時坂先生からお話しを聞きました。風祭さんですね。よろしくお願いします。
風祭さんが言ったはなちゃんという子の名前は今まで聞いたことありませんでした。遥の友達にもそんな名前の子はいません。でも、何か気になって遥に聞いてみたんです。
遥は京太郎の事故から一言も話さなくなってしまったんですが、その名前を聞いた途端に泣き始めたんです。何を聞いても首を横に振るだけで、うんともすんとも言わないので困ってしまいました。どうしたらいいのかわからなくなって私も泣いてしまったんです。そうしたら遥が言ったんです。「京太郎みたいにパパとママが居なくなったら嫌だからお話しできないの。」って。
それから何も言わなくなってしまいました。
私にはそれがどういうことなのかわかりません。ただ、誰が何を言っても頑なに口を開こうとしなかった遥が反応したのははなちゃんという名前なんです。今の遥を助ける事が出来るのはその名前を知っていた風祭さんなんじゃないかと思って来てもらいました。
風祭さん。遥と話してくれませんか?」
遥ちゃんのお母さんが私を呼んだ理由がわかった。遥ちゃんが口を閉ざした理由は予想通りだった。
遥ちゃんはさっきまで遊んでいたおもちゃの近くに戻っていたので、私は遥ちゃんに近付いて隣に座った。
「遥ちゃん。こんにちは。不思議な出来事や怪異の事を調査している風祭輝国です。今日はいないいないヨーイドンの調査をしに幼稚園に行ってきたんだ。幼稚園の子達に話を聞いたら1人の女の子がはなちゃんに教えてもらったって言ったんだよ。
幼稚園の子達はその名前が出たら皆怖がっちゃって何も言わなくなっちゃったんだ。遥ちゃんと同じだね。」
遥ちゃんはおもちゃから手を離して静かに聞いていた。
「ここからはおじさんの推測だけど他の人にはなちゃんの事を話しちゃダメって言われてるのかな、と思ったんだ。」
遥ちゃんはビクッとした。小さな肩に力が入るのが見えた。
私はポケットから御守りを出して遥ちゃんに見せた。
「おじさんのお婆ちゃんはとても強い人でね、こんな大きなスイカの怪異を一蹴りで倒したこともあるんだよ。おじさんをとても可愛がってくれて「輝国を死んでも守る」というのが口癖だったの。この御守りの中にはお婆ちゃんの髪の毛が入っているんだ。おじさんは今まで沢山の怪異に出会ってきたけど、この御守りのおかげで危ない目にあったことはないんだよ。」
私は遥ちゃんの小さな掌に御守りをのせた。
「面白い遊びを教えてくれるんだからはなちゃんは皆のお友達みたいな存在だったのかもしれないね。でも、人を怖がらせたり脅したりするのは良くない事だと思わない?おじさんははなちゃんがそういう事をしないようにお話ししようと思っているんだ。幼稚園で探してみたんだけどはなちゃんはかくれんぼが上手で見つける事が出来なかったんだけど、どこにいるのか知っているかな?」
遥ちゃんは御守りをぎゅーっと握りしめた。
「家族」「先生」「ダメ」
遥ちゃんは母親と時坂先生を順番に指差して言った。心の中の恐怖と闘いながら一生懸命伝えようとしているのが伝わって来た。
「家族と先生には言っちゃだめと言われたんだね。でも、おじさんは家族でも先生でも無いよ。はなちゃんは知らない人に言っちゃダメって言ってないんだよね?」
私は対象を限定してしまったはなちゃんの詰めの甘さに感謝した。
遥ちゃんは私の眼をじっと見つめた。一生懸命考えているのがわかった。
「じゃあ、紙に書くのはどうかな?書いちゃダメとも言われてないでしょ?はなちゃんの居場所を教えてくれないかな。」
私は遥ちゃんの目の前に白い紙とボールペンを置いた。
遥ちゃんは御守りがちぎれてしまうんじゃないかと心配になるくらい強く握りしめながら、目の前に置かれた紙とボールペンを見た。
5分くらい経ってから、遥ちゃんはゆらりと動いて目の前に置かれたボールペンを取った。御守りを握りしめた手で紙を押さえながら大きな長方形を書いた。そこから少し離れたところに三角形を書いて周りをグシャグシャと書き殴った。
遥ちゃんは長方形を指差して「花壇」と言った。花壇から少し離れて書いたグシャグシャを指差して「土」「葉っぱ」と言った。三角形を指差して「石」「ひっくり返るの」と言った。
「もしかしてはなちゃんは石なのかな?」
私の問いに遥ちゃんは大きく頷いた。
私を見上げる遥ちゃんの大きな眼から涙が次々溢れ出てくるのが見えた。
「遥のせいなの。遥が約束を破ったから京太郎が居なくなっちゃったの。全部遥が悪いの。ごめんなさい。」
堰を切ったように遥ちゃんは話し始めた。言葉と共に涙が次から次へと頬をつたって床にこぼれた。握りしめられた御守りは涙と鼻水でぐしょぐしょになっていた。
遥ちゃんのお母さんと心配そうに様子を見ていた時坂先生が風のように素早く近付いて来て遥ちゃんに寄り添うと母親の元に連れていった。遥ちゃんのお母さんが「大丈夫だよ。京太郎が事故に遭ったのは遥のせいじゃないよ。」と言いながら遥ちゃんの背中を優しく撫でるのが見えた。
その後ろに心配そうに見守る祖母と京太郎君が見えたような気がした。
(2人が遥ちゃんの背中を押してくれたのかもしれない。このまま京太郎君の事故が起きたのは自分のせいだと思いながら生きていくのは辛すぎる。なんとか話を聞く事ができればはなちゃんの呪縛から開放する方法が見つかるかもしれないんだけど。)
自分がやってしまった事を認めて打ち明ける。しかも弟の命を奪った交通事故に関わっていると本人が思っている事をだ。それは4歳の女の子にとっては難しい事かもしれない。遥ちゃんに辛い思いをさせずに聞き出すにはどうしたらいいんだろう、と私は悩んでいた。
ひとしきり泣いて落ち着いた遥ちゃんは「おじさんにだけ話す。」と言って私を部屋の隅に連れていった。
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