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嘲笑う石 第3話

 大音量の蝉の声。
 だらだらと滴る汗で帽子と服は色が変わっていった。
 汗ばむ手で握りしめた虫籠と虫取り網。
 長期休暇になる度訪れていた祖父母の家の周辺には見た事がない虫が沢山いて幼い私は夢中で虫取り網を振り回していた。庭の散策にも飽きた頃、家の裏にある森に続く細い道の先に何かの気配を感じた。
 生い茂る雑草の奥の茂み。見覚えのある緑と黒の縦縞の球体。
(何でこんなところにスイカ?)
 裏の森に1人で行ってはいけないと言われていたけれど好奇心が自制心を押さえつけた。私はワクワクしながら茂みの中に潜む大きなスイカに忍び寄った。スーパーでは見た事のないくらい巨大なスイカだった。
「うまそうだな。」
 自分のセリフが聞こえてきたと思ったら、口が動いていたのはスイカの方だった。
 気がついたら私はスイカの口の中にいた。
 スイカの口の中は真っ暗で出入り口は見当たらなかった。閉じ込められたと思った私は恐怖で動けなくなった。まとわりつく妙な温かさと湿っぽさに吐き気が込み上げた。
 「何しよるんじゃ。この怪異ばけもんがー。」
 遠くから祖母の声が聞こえてきたと思ったら強い力で引っ張り出された。それから激しい衝撃音が聞こえた。次の瞬間見えたのは薄暗い木陰と私を見守る心配そうな祖母の顔。
輝国てるくに。良かったぁ。」
 祖母に抱きしめられて私は泣いた。怖かったのとホッとしたのと色々な感情が混じっていたのだと思う。祖母の肩越しに見えた周辺に散らばったスイカの残骸は、祖母の一蹴の凄まじさを物語っていた。私は世の中には怒らせてはいけない人間がいる事を知った。
 後から聞いた話では、趣味で怪異ばけもの退治をしていた祖父がかなりの面倒くさがり屋で各地から持ち込まれた危険性の低い怪異ばけものを処分せずに裏の森に保管していた事が原因だったらしい。祖父が放置していた怪異ばけものに孫を食われるところだった祖母は怒り狂い祖父を締め上げた。
「いやー。あと1体届いたら100体になってキリがいいから、そん時にまとめて処分するつもりだったんだがな。ハハハ。」と笑った祖父がどうなったのかは記憶に残っていない。
 これが私と怪異ばけものの最初の接触だった。

 怪異ばけものと言っても全ての怪異ばけものが人間に悪さをするわけではない。人間に干渉する事なくひっそりと潜んでいるものもいる。そういうものまで退治する必要はないと思う。
 問題があるのは悪意を持って人間に干渉する怪異ばけものだ。経験上、危険性の高いもの程伴う悪意や気配が強い事が多かった。

 時坂先生が調整してくれたおかげで私はそらにつづく幼稚園で怪異ばけものの調査が出来る事になった。
 午前中に外回りという怪異ばけものの気配を探す業務を終えた私は、約束の時間の5分前位に幼稚園に到着した。私は子供達を迎えに来た保護者で混雑している駐車場に車を停めた。楽しそうに会話をしながら階段を降りてくる親子の横を私は挨拶をしながら階段を登っていった。
 最初に訪れた時のような強い気配や悪意は感じなかったが、園庭を覆うように残り香のようなものが薄く漂っていた。
 幼稚園の門に到着しインターホンを押して名前を告げた。今回は快く迎え入れられ玄関に通された。
「風祭さん。お待たせしました。」
 数分後、時坂先生が現れた。急いできたのか呼吸が荒くなっていた。
 私は時坂先生に挨拶をして日程を調整してくれた御礼を伝えた。
「幼稚園全体を見るんですよね。まずは、建物の中からご案内します。」
 時坂先生は来客用のスリッパを私の足元に置いてスタスタと歩き出した。私は用意されたスリッパを履いて園舎の中に足を踏み入れた。

 私は教室や廊下を掃除している他の先生に挨拶をしながら時坂先生の後を付いていった。時坂先生は全ての教室、物置、トイレ、ありとあらゆるスペースを案内してくれた。教室は明るく絵本やおもちゃが沢山置いてあった。廊下には子供達が描いた絵や作品が飾られていた。
 園舎の中には怪異《ばけもの》の存在を感じ取れるものは無かった。
「次は園庭に出ます。」
 園舎を一周した私達は玄関に戻ってきた。時坂先生は運動靴に履き替えて園庭に向かった。私も急いで靴を履いて時坂先生を追いかけた。
 園舎の玄関を出て園庭の芝生に足を踏み入れた時に園庭をうっすらと覆っている残り香の中に濃くなっている部分がある事に気付いた。園舎の中では感じなかった私の動向を伺うようなかすかな気配がした。
「ここが遊具です。」
 滑り台とジャングルジムが合体したようなものや、ドーム型になった滑り台、雲梯や鉄棒、ブランコなどが並んでいた。幼稚園の服を着た子供達が楽しそうに遊んでいた。
「当園は園庭を開放しているので、保育後に遊具などで遊んでからお家に帰るという子供達が結構います。」
 迎えに来た保護者達も子供の様子を見ながら話に花を咲かせていた。
「ここが花壇です。」
 花壇には見事と言っていいくらい色とりどりの花々が咲き乱れていた。丁寧に世話されているのだろう。雑草や枯れかけて放置されている花が無かった。
「ここはボランティアの方々が手入れしてくださっているんです。お仕事の合間とか、お休みの日とかに来てくださっているんですよ。とてもきれいですよね。」
 時坂先生は微笑んだ。この花壇の辺りから濃い残り香が発生しているような気がしたが、具体的な場所ははっきりしなかった。私は花壇の近くをよく見てみようと思った。
「少しの間、この近くを見てもいいですか?」
 時坂先生は「いいですよ。しばらくしたら戻ってきます。」と言って園舎に戻っていった。
 私は花壇の横をゆっくり歩いてみた。クスクスという声が背後から聞こえて振り向くと数人の子供達が私の後に列を作って私の真似をしていた。
「おじさん、何しているの?」
「おじさん、何のお仕事してる人?」
「おじさん、お花好きなの?」
 気付いたら周囲を囲まれ、矢継ぎ早に飛んでくる質問に答える事になった。
「順番に答えるね。お花好きだよ。おじさんは調査する仕事をしていて、今日は幼稚園で調べたい事があったから来たんだよ。」
「何の調査?」
「幼稚園で流行ってる遊びについてだよ。」
 私は子供達に聞いてみる事にした。
「ここではいないいないヨーイドンていう遊びが流行っているって聞いたんだけど知ってる人いるかな?」
 全員の手が挙がった。
「俺知ってる。」
「私やった事ある。」
「あのねー、こうやって目を隠してね。」
「知ってるよー。」
「でも、もうやっちゃいけないんだよ。」
「先生がやっちゃダメって言ってた。」
 ここに集まった子達は全員知っているようだった。
(協力的な雰囲気の子が多いから、答えてくれる子はいるかな。)
 私は少し迷ったが質問する事にした。
「この遊びってこの幼稚園でしか聞いた事がないんだ。この幼稚園の中の誰かが考えた遊びなのかな?」
 子供達は静まり返った。今までの騒がしさが嘘のようだった。子供達は私の顔ではなくお互いの顔を見合わせて出方を探るように視線をさまよわせていた。
「先生が考えたのかな?」
「違うよ。はなちゃんだよ。」
 1人の女の子が私の間違いを訂正するかのように反射的に言った。
 その名前が出た瞬間、その子以外の全員がギョッとしたように目を大きくして発言した女の子を一斉に見た。中には女の子の口を押さえようとする仕草をした子もいた。
「シー。」
「言っちゃダメだよ。」
 気まずい沈黙が流れた。子供達の顔からは笑顔が消え不安そうな表情が浮かんだ。そんな中1人の男の子が手を挙げた。
「俺。俺だよ。この遊び考えたの。」
 子供達の間にホッとしたような空気が流れた。子供達は笑顔を取り戻した。
「そうそう。」
「そうだったよね。忘れてたー。」
「じゃあね。おじさん調査頑張ってね。」
 蜘蛛の子を散らすように子供達は離れていった。

 はなちゃん

(その名前が出た時の子供達の反応はおかしかった。怯えているように見えた。)
何の変哲もない名前だが、子供達の反応が何かを示唆しているような気がした。
(時坂先生の話では子供達が忘れる位の感覚を空けて5回流行していると言っていた。3年位で卒園する幼児がそんな事出来るだろうか。毎回言い出す子供が代わるというし、怪異ばけものが幼稚園の中にいて子供達に危険な遊びを教えていると考えるのが自然だと思う。はなちゃん怪異ばけものの名前なんじゃないか?)
 子供達の不安そうな表情が浮かんだ。
(他の人に言うなと口止めされている可能性もあるな。)
 それから念入りに花壇を調べてみたが、怪異ばけものの痕跡を見つける事は出来なかった。

 「お待たせしました。何かわかりましたか?」
時坂先生が戻ってきたので私ははなちゃんと呼ばれる女の子が在園しているか聞いたが、そんな子は居ないと言われた。
「そういえば、風祭さん。遥ちゃんに話を聞きたいとおっしゃっていたので聞いてみたんです。遥ちゃん、事故の後から話せなくなってしまったみたいで難しいとのお返事でした。ショックが大きかったんでしょうね。」
 時坂先生の目が潤んでいた。
 私は時坂先生とは違う事を考えていた。
(子供達が口止めされているのなら遥ちゃんも口止めされている可能性がある。)
「時坂先生、遥ちゃんのお母さんに一つだけ確認してほしい事があります。遥ちゃんの口からはなちゃんという名前を聞いた事があるかどうかを聞いてみてください。」
 時坂先生は「わかりました。確認してきます。」と言うと再び園舎に戻っていった。

子供達にはなちゃんとよばれる怪異ばけもの
子供達に危険な遊びを教えて口止めをする怪異ばけもの
その目的は一体なんなのだろう

 時坂先生が走って戻ってきた。さっきとは違い、明らかに急いでいた。
「風祭さん。遥ちゃんのお母さんが会いたいそうです。この後お時間ありますか?」
「あります。」
「私がご一緒する事になりました。これから遥ちゃんのお母さんに電話してから準備しますので駐車場でお待ちください。」
 時坂先生は再び走っていった。
 
 どうやら私の予想はあっているかもしれないようだ。
 頑張らなければ、と胸が熱くなってきた。同時に上手くできるだろうか、という不安も感じた。

 心の中の京太郎君に話しかける。
(君のお姉ちゃんは怪異ばけものに脅されて話す事が出来なくなっているのかもしれない。お姉ちゃんを助ける事が出来るように精一杯頑張ってみるよ。)
 横断歩道にうずくまっていた京太郎君が頷くのが見えた。


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