見出し画像

嘲笑う石 第6話

 夕日の差し込むリビングに時坂先生の声が響き渡ったあと私達の間には沈黙が流れた。テレビから流れる子供番組の軽快な音楽が遠くの世界から流れているように聞こえた。
島軒しまのきさん?」
 遥ちゃんのお母さんは不思議そうに尋ねた。名前に心当たりは無いようだ。
「花壇の手入れをしてくれているボランティアさんです。お迎えの時間には居ないことが多いので会ったことはないかもしれません。
‥‥‥もう10年以上前から幼稚園に関わってくれている人です。お話し好きの人ではないので深く話したことはないですが、お花が好きで子供達にも優しく接してくれる感じの良い人です。こんな事するような人じゃないのに‥‥…。すみません。自分で島軒さんて言ったんですけど、信じられません。」
 時坂先生はショックが大きかったようだ。
 私は遥ちゃんの家に来る前に幼稚園の門から見た島軒さんの後ろ姿を思い出した。子供達と話しながら花に水をあげていた姿。そんな穏やかそうに見えた人が、事故が起きる前に遥ちゃんのお母さんを無理矢理引き止めた人、事故の後にインタビューを受けて遥ちゃんのお母さんが誤解されるような原因となる嘘を言った人と同一人物だとは思いたくない自分がいた。
「人間は人によって見せる顔が違う、それを体現する人って事ですかね。私の知り合いに島軒という人は居ないんですが、どこかで見た事ある気もします。幼稚園で見かけたのかなー。」
 遥ちゃんのお母さんは一生懸命考えていたが、突然素っ頓狂な声をあげた。
「よく考えたらおかしいですよね。何でこの人に全国ネットで嫌がらせされなきゃいけないんですか?全然関わりないじゃないですか。時坂先生、風祭さん。知らない人に恨まれる事なんてあるんですか?」
 全く無いとは言えないが、稀な事例じゃないだろうか。普通はどちらかに面識があったり何らかのトラブルがあったりするものだ。
「遥の事もあるし。もう、どうしたらいいんでしょう。」
 私は遥ちゃんから聞いた話をかいつまんで説明し、明日はなちゃんと話をつけると約束した。2人ははなちゃんという怪異ばけものが幼稚園に存在しているという事に半信半疑だったが、私に任せると言ってくれた。
 やるべき事を遂行出来たので私と時坂先生は帰る事にした。外に出た時にさっき叫んでいた人物がいたらどうしようと思ったが遥ちゃんのお母さんは「あの人達が来る時間帯に警察のパトロールをお願いしているのでもう居なくなっていると思います。」と言った。
 「今日はありがとうございました。お見送り出来なくてすみません。」と遥ちゃんのお母さんはソファに横になりながら玄関に向かう私達に声をかけてくれた。
 玄関の鍵を閉める為に遥ちゃんが私達を見送ってくれた。
「遥ちゃん。明日約束について話してくるね。どうなったかは報告しにくるからそれまで遥ちゃんを守ってくれるように御守りは預けておくね。」
 遥ちゃんは御守りをギュッと握りしめるとホッとしたように微笑んだ。
「風祭のおじさん。お話ししてた時におじさんが右手を握ってくれたでしょ?不思議な事が起きたの。遥の左手は御守りしか持っていなかったのにずっと温かかったの。御守りのおかげだったのかな?」
 私の目には今も遥ちゃんの左手を両手で握っている京太郎君の姿が見えたが、その事を伝えていいのかわからなかったので微笑んで話を濁した。
 時坂先生は遥ちゃんに「幼稚園で待ってるね。」と言った。
 遥ちゃんはにっこり笑って右手を振った。遥ちゃんの左手を握っていた京太郎君は名残惜しそうに遥ちゃんから手を離すとフワリと見えなくなった。
 日が落ちた外の世界は静かだった。後方からガチャリと鍵が閉まる音がした。
 時坂先生と私は歩きながら明日の手筈を話し合った。

 翌日。太陽が自己主張をし始めた頃、そらにつづく幼稚園の園庭に私は立っていた。子供達の登園が無事に終わった園庭は静けさに包まれていた。
 遥ちゃんから教えてもらった情報を脳内で繰り返しながら私は園庭の芝生の上を忍足で歩いていた。かくれんぼが得意な怪異ばけものに気付かれて逃げられると困るので私は気配を押し殺しながらそーっと近付いていった。昨日と同様に園庭を包むように怪異ばけものの気配が残り香のように漂っていた。
 やはり花壇のあたりの気配が微妙に濃くなっている。
 (これはフェイクだ。昨日は騙されたが今日は騙されないぞ。)
 私は花壇をスルーして土や葉っぱが積み重なっている場所に向かった。
 「園庭にある花壇から少し離れたところにある土や葉っぱの下。」
 「三角形の石。」
 「ひっくり返す。」
 何かが息を潜めているような微かな気配を感じながら、私は土の中に手を突っ込んだ。柔らかな黒い土の中に、それは居た。
 白くてツヤツヤした三角形の石。土を払い落としてから、遥ちゃんが言ったようにひっくり返すと赤黒いシミが滲んだ裏側が見えた。何の気配もしなかった。
(これはシミ?なにかの模様?)
 私は赤黒いシミがとれるかどうか爪を立ててゴシゴシとこすってみた。年季の入った汚れなのだろうか。固くこびりついていて取ることができない。
 その時、赤黒いシミがグニャリと歪んだ。
 私は急に冷水を浴びせられたように背筋が冷たくなるのを感じた。
 怪異ばけものの強い気配がブワッと滲み出ると石の周囲を包んだ。
「イッタイなー。何すんの。おじさん。」
 赤黒いシミが話しているかのように言葉に合わせてグニャグニャと動いた。
「きみがはなちゃんか。」
 はなちゃんはジタバタ動いて私の手から逃れようとした。私は逃げる事が出来ないように両端を固定するように掴んだ。
「逃げるな卑怯者。今日は話をしにきたんだ。」
「私は卑怯者じゃない。」
 はなちゃんは動きを止めた。
「じゃあ。弱虫かな?大人や小学生は怖くて相手できないんだろ?幼稚園児にしか強く出れない弱虫だ。」
「私は弱虫じゃない!」
 白かった石が真っ赤になった。固定していた手が辛くなるくらい熱を持ち始めた。私の挑発にはなちゃんは本気で怒っていた。その単純な反応は子供そのものだと思った。はなちゃんの怒りが強まる程怪異ばけものの気配は強まるのに、最初の日に感じたような強い悪意を伴わないのが気になった。
(あの悪意ははなちゃんのものでは無かったのか?)
 太陽の照りつける園庭の片隅で、私はこの幼稚園で危険な遊びを5回も流行らせて何人もの幼児を危険な目に合わせた上に、4歳の女の子が約束を破った事を過度に責め立てて許す条件として走行する車の前に飛び出すように唆した怪異ばけものはなちゃんと対峙していた。

はなちゃんの証言

「もう。なんなの。おじさん。痛いから強く持たないで。
 あとさっきからチクチク刺すのやめて。トゲでも生えてんの?毛虫なの?
 はっきり言っとくけど私は弱虫でも卑怯者でもないから。誰も出来ないすごい事をやれるの。大人でも怖くて出来ない事だよ。
 え?そうだよ。いないいないヨーイドンの上級者レベル。今まで私以外に出来た子はいなかったの。皆弱虫なんだよ。びびったり怖がっちゃうの。足が震えちゃう子もいたかな。お母さんがダメって言ってたとか言い訳する子もいるから「親の言いなりなんてあんた恥ずかしくないの?」て言ったら泣いちゃうんだよね。弱虫ってホントに嫌い。
 でも遥ちゃんは違ったの。年中なのに私の事怖がらないし、ちょっと教えただけでいないいないヨーイドン出来たの。初心者レベルの次のレベルも1回で成功しちゃうからびっくりしちゃった。
 遥ちゃんなら本当の友達になれると思ったんだけどな。
 だから、年中なのにいないいないヨーイドンも教えてあげたの。
 なのに私との約束破ったんだよ。先生や家族に言っちゃダメって言ったのにすぐ弟に言っちゃったの。友達になった印で教えてあげたのに「弟もやってもいい?」て聞いてきてさ。最悪最悪ホントに最悪。裏切り者だよ。
 だから、言ったの。上級者レベルをクリア出来たら許してあげるって。
 何?危ないってわかってただろうって?
 わかってるに決まってるじゃん。何回やったと思ってるの?最悪死ぬかもね。
 何?何でそんな顔するの?
 最初から言ってるでしょ。遥ちゃんとなら本当の友達になれるって。裏切られたのに許すって事は本当の友達になるって事だから。

 何でそんな顔するの!
 本当の友達って死んで私と同じになるって事だから!!
 仲直りするってそれを受け入れるって事なんだよ!

 そりゃ、説明してないから向こうはそんな事になるなんて知らないかもしれないけどさ。友達なんだからいいじゃん。私の為に死んでくれてもいいじゃん。
 ずっと1人だったから友達欲しかったんだもん。

 何?大丈夫だよ。全部お母さんが上手くやってくれるから。遥ちゃんの事もお母さんが教えてくれたんだよ。「お友達にいいんじゃない?」って。
 あの日は遥ちゃんが上級者レベルやるって言ったからお母さんと一緒に見に行ったの。なのにガッカリだよ。弟にやらせるなんてさ。弱虫の卑怯者。
 遥ちゃんは私の中で裏切り者決定。もう友達でも何でもない。
 ずっと許さないって決めたの。一生苦しめてやる。

 そういえば最近何回か怖い人が来てたんだけど、おじさんの気配にすごく似てたよ。もしかして、おじさんだった?鬼婆みたいに怖いお婆さん連れて来るから怖くて隠れてたの。今日は鬼婆一緒にいないね。
 何でそんな事聞くかって?私達にとっては好都合だなーって。
 ねえ。おじさん。何で私がこんなにおしゃべりしてあげてると思う?」
 
 赤黒いシミが裂けるくらい大きく歪んだ。はなちゃんは笑っているのだろうか?赤黒いシミがグニャリグニャリと気持ち悪い反復運動を繰り返していた。
 その時、私の首筋に冷たいものが当たっている事に気がついた。
 首に目を向けると研ぎ澄まされた草刈り鎌が見えた。

 後方から感情を押し殺したような低い声が聞こえた。
「うちの子に何してるんですか?」
 黒い帽子を被った小柄な女性が私の首筋に草刈り鎌の刃先をあてていた。沸騰するマグマのように強い悪意が次々に湧き出してきて彼女の周りを包んでいた。
 はなちゃんが嬉しそうに大声で叫んだ。
「はい。お母さん、登場!!おじさん終了だね!!」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?