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嘲笑う石 第2話

 いつも通りの朝。新聞や本やマグカップなどが乱雑に置かれたテーブルの上を探りリモコンを見つけてテレビをつける。ベッドから降りて洗面所へ向かう。顔を洗い鏡を見る。
(昨夜はどんな寝方をしたんだろう?)
 右耳斜め上の部分を中心に髪がぐるぐると渦巻いていた。水をかけてヘアブラシをかけて丁寧に治していく。どれだけとかしても渦巻の名残がささやかな自己主張を諦めてくれない。
(まあ、多少の癖が残ったとしても帽子を被るから問題ないだろう。)
 私は寝癖に完全勝利する事を諦めて洗面所を出た。
 冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぐ。
 テレビからはニュースが流れている。
「見通しの良い交差点で起こった悲劇。被害者の京太郎君の近所に住む方からお話を伺う事が出来ました。」
 京太郎君という言葉に引き寄せられるかのようにテレビの方に目が向かう。昨日会った時坂先生が言っていた事故にあった男の子の名前だ。
 青信号で起こった悲劇。ドライバーは過労で見落としか?などの目を引く文章がテレビ画面を彩っていた。
「いつも元気でしたよ。姉弟仲良くてね。ただ、お母さんが子供に興味ないのかな。可哀想なくらい放ったらかしでしたね。だからかな、こんな事になっちゃってねぇ。お母さんが近くにいたら子供をとめるでしょぉ。」
 テレビの画面にはモザイク処理された小柄な中年女性の全身が映っていた。短い髪、黒いTシャツにジーンズ、ピンク色のネコのキャラクターのサンダル。よく知っている子供が事故に遭った話をしているのに声が弾んでいるように聞こえるのが妙に気になった。緊張すると笑っているように見えてしまう人がいるように取材に緊張して声が上擦ってしまったのだろうか。
 (昨日時坂先生から話を聞いた時は母親の事は何も言っていなかったな。確かに、誰かがトラックに気付いて京太郎君をとめることが出来れば防げていた可能性がある事故なんだよな。近所の人は放ったらかしと言っていたが事故に遭った時は子供達だけで歩いていたのだろうか?)
 私は詳細な情報が流れるかとテレビを見ていたが画面が切り替わりスタジオのコメンテーターが感想を述べ始めた。
(今日は時間があるから事故現場に行ってみるか。)
 私は乾ききった喉に冷たい牛乳を一気に流し込んだ。
 テレビでは若い女性タレントが涙ながらに話していた。
「同じ子供を持つ母親として悲しいです。ウチの子はまだ1歳でよちよち歩きだけど外を歩く時は絶対手を繋ぎます。だって何があるかわからないじゃないですか。自分の子供って宝物みたいな存在なのに、そう思わない人もいるんですね。放ったらかされて事故にあうなんて可哀想すぎます。」
 (そうだよな。2才と4才の子供がいたら普通は親が側についているよな。子供が事故に遭った時親は何をしていたのだろう?)
 私は漠然と思った。

 事故現場はそらにつづく幼稚園から徒歩10分位の場所にあった。国道から分岐した2車線の道路に跨る横断歩道。車道の交通量は多くスピードを出す車が多かった。トラックも沢山通った。
 車のスピードは速いが車道と歩道はガードレールで完全に分離されているので横断歩道さえクリア出来れば子供だけでも安全に歩けるような気もした。
(昔は子供だけでおつかいに行ったりする事もあったよな。ガードレールに守られて安全に歩けるなら子供だけで出かけるのもありなのだろうか?)
 子供のいない私にはその感覚が正しいのかわからなかった。
 私は京太郎君と遥ちゃんが立っていた横断歩道の待機場に立ってみた。その横断歩道は住宅が途切れて田んぼが増えてくる地点に設置されているからなのか、待機場に立つと空が近く見えた。遥ちゃんが京太郎君の目隠しをしたように私も自分の目を両手で覆った。目の前が真っ暗になって視覚以外の感覚が強まった気がした。左右から聞こえてくる車の音がさっきより近く感じた。自分の汗の匂いに混じって草の匂いがした。太陽の光の熱をいつもより強く感じた。
 「いないいない」小さな声で呟き目隠ししていた両手を外して目を開けた。
 光がパーっと目の中に広がり青い空と白い雲と信号機が視界に飛び込んできた。開放感と共に全てがキラキラしてとてもきれいに見えた。
(遥ちゃんはこれを京太郎君に見せたかったのか。)
 数日前にここに立っていた2歳の男の子の事を考える。お姉ちゃんに目隠しされてドキドキしながら合図を待って目隠しが取れてこの景色を見たら?「ヨーイドン」と言われたら?
 走りたくなっちゃうよな。だって信号は青なんだから。
 
 横断歩道の上に空に向かって走る小さな男の子の姿が見えたような気がした。
 何故だか胸がギュッとなった。
 
「あんた記者さん?」
 背後から声をかけられた。
 振り返ると麦わら帽子を被った高齢の女性が訝しげに私を見つめていた。右手には杖、左手には涼しげな籠バッグを持っていた。バッグからは青ネギが顔を覗かせている。買い物帰りなのだろうか。
 私は名刺を取り出し「記者ではありませんがこの件で調査をしている風祭です。」と自己紹介した。
 女性は日に焼けた顔を緩ませた。警戒心がほどけたように見えた。
「なんでもいいや。ちょっと話を聞いてほしいの。私目撃者なんだわ。」

事故の目撃者の証言

「私はここに立ってたの。そしたら、そこの道をお姉ちゃんと事故に遭った男の子がキャーキャー言いながら走ってきたの。楽しそうにおしゃべりしてたよ。お姉ちゃんは幼稚園帰りだったのかな。幼稚園の服着てた。
 え?お母さん?いたよぉ。だいぶ離れてたけど。この辺りから「お母さーん」て呼んでたから確かよ。お母さんは確か「そこで待っててー。」て言ってた。
 でもお姉ちゃんが「信号渡ってから待ってる。」て言ったのよ。何かをやりたいからって言ってたよ。
 え?そうそう。いるとかいないとかそんな感じの名前だったと思うわ。
 それでお姉ちゃんが男の子の目隠しして大きな声で「いーち、にー、さーん」て数えてたよ。
 なんでそんなに見てたのかって?孫がいるから同じ位の年の子みるとかわいいなーって見ちゃうのよね。
 あとお母さんが離れたとこにいたでしょ?車道に飛び出さないか心配で見ちゃってたのよ。この位の年の子ってふらふらする子多いし変なとこで転んだりするもんね。
 ここ車のスピード速いでしょ?この信号過ぎたらしばらく信号ないから皆飛ばすのよ。赤になっても突っ込んでくる車結構いるから危ないんだわ。
 え?お母さん?なんで近くにいなかったんでしょうって?
 あれはしょうがないと思うけどね。お腹大分大きかったもの。一生懸命追いかけてたけど子供が走り出したら追いつけないわよ。だからかな。お母さんが到着するまで代わりに見ててあげようと思ったんだわ。
 信号が青になってちょっと気が抜けたの。これでもう大丈夫。この子達は無事に信号を渡ってお母さんが来るのを待てるわ。そう思って安心したのね。
 お姉ちゃんが男の子に何か言ったの。そしたら男の子が嬉しそうに走り出したの。お姉ちゃんも走ろうとしてたんだけどその時ゴオッて風圧を感じてね。右側見たらトラックがすごく近くに見えたから、思わずお姉ちゃんの服を引っ張ったのよ。男の子までは手が届かなかった。
 車の音なんて全然聞こえなかったよぉ。

 もうちょっと早く気付けたら
 もうちょっと私の手が長かったら
 私がこんな体じゃなかったら

 結果は変わっていたかしら?そんな事をずっと考えてしまってここ数日はよく眠れなかったわ。あの瞬間がねぇ、ずっと頭から離れないのよ。
 ここに来たのは事故があってから初めてかな。
 そうそう。テレビ局や記者の人がいたらこれを言わなきゃと思ってここに来たのよ。
 朝のニュース見た?近所の人が何か言ってたでしょ?お母さんが放ったらかしとか何とかって。さっき買い物に行った時に事故に遭った子の近所に住んでる人に会ったんだけどテレビに出てた人一回も見た事ないって言ってたよ。あの人が言ってた事全部嘘だって怒ってたよ。子供を放ったらかしにしてるとこなんて一度も見た事ないって。
 風祭さん。テレビ局や記者の人に会ったら言っといてね。嘘つきをテレビに出さないでって。お母さん妊娠中なのにあんな事言われて可哀想よ。」
 
 歩道の傍にまばらに存在している木陰の下で事故を目撃した高齢女性は目の前で起こった悲しい事故の記憶を話してくれた。話し終えると「じゃあ、風祭さん。あの子の為にも調査頑張ってね。」と言って横断歩道を渡っていった。笑顔を浮かべているのに泣いているように見える悲しげな目が心に残った。

 ニュースでインタビューに答えた(自称?)近所の人は「お母さんは子供に興味がなく放ったらかし」だと言った。
 事故の目撃者の女性は「お母さんは妊娠中で先に行く子供達を頑張って追いかけていた」と言った。
 目撃者の女性の友人である近所の人は「お母さんが子供を放ったらかしにしているところは見た事が無くインタビューに答えていた人は近所にも住んでいない嘘つき」だと言った。
 テレビのインタビューに答えた人が言っている事が本当なら目撃者の女性の話に出てきた母親の人物像と一致しない。仮に、インタビューに答えた人が近所に住んでおらず嘘をついていたとするなら、メリットは何なのだろう?
 考えれば考えるほど混乱が深まる為、時坂先生に電話して話を聞く事にした。

お母さんについての時坂先生の証言

「遥ちゃんと京太郎君のお母さんについてですか?仕事があるのでニュースを見る時間は無いですね。今朝のニュースで流れたインタビューで何か言ってる人がいたんですか。
 え?お母さんが遥ちゃんと京太郎君を放ったらかし?
 それは無いと思いますよ。すごく仲良い家族ですから。遥ちゃんの幼稚園の送り迎えも毎日お母さんと京太郎君が一緒に来てました。
 まあ、家の中まではわからないですが遥ちゃんから聞く家での話や幼稚園に迎えに来た時のお母さんや遥ちゃんや京太郎君の様子で気になる感じは無かったです。
 お母さん今妊娠中なんです。お腹が大きくて動くのが辛いって言ってましたね。遥ちゃんと京太郎君が走って行っちゃう事があるから追いかけるのが大変て困ってましたよ。そういうのが子供だけ放ったらかしにしているように見えたんでしょうかね。
 あの年頃の子とずっと手をつないで歩くというのは結構難しいですよ。」

  最後に時坂先生は幼稚園で行う怪異の調査を1週間後の予定で話が進めていると報告してくれた。私はお礼を言って電話を切った。
 1週間後か。
 (これ以上の悲劇を起こさせない為に怪異ばけものの手がかりを見つけなければならない。)
 そらにつづく幼稚園で感じた怪異ばけものの強い気配を思い出した。
 武者震いなのだろうか。心臓が熱くなって体が震えた。
 
 目を閉じると横断歩道の真ん中に立っている男の子が見える。

 (君の為にも頑張るよ。)
 男の子が振り返って何かを言ったような気がしたが私には聞こえなかった。


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