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友達は損得感情で付き合うもの??

今日は、

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刺激がゼロな場所に行くと「だから何?僕はここで何を得られたの?無駄な時間じゃない?」と感じてしまうことが、友達に対しての損得感情で付き合っているのか??

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について話したいと思います。

「それは違うぞ!」という点や、僕のバイアスがかかってる部分があると思うので、ぜひ意見して欲しいです。

結論から言うと、「相手のためにもならない」と思うからです。単純に話が合わないんです。相手と僕がツボるポイントは全く異なっていて、話をすると高頻度でズレが生じる。

この場面に出くわすと少ししんどくなります。

相手と会話する時に重要なことの一つに、共通点探しがあります。相手との共通点が多ければ多いほど、お互いに親しみを持ちやすくなる。そこから、友達や親友になってくらしいです(心理学より)

つまり、価値観の共感やそれに基づく体験や経験、未来の展望が互いに合致すればするほど、友達になる確率は高くなるわけです。

#心理学面白い

ここで厄介になるのは、中学や高校のころと大学になってからの僕の価値観は大きく変わったという点です。実際には、大学に進学するまでは、常に同級生に共感しまくってたので、特に中学ではそれなりに友達はいました。とても楽しかったです。

でも、中学3年生の時に、共感しまくったことで「自分の考えや意思、価値観、未来の展望」がないことに気づきました。常に、誰かに自分を合わせようとしていたからです。

#中身すっからかん人間の誕生

友達はいたので毎日が楽しい時間でしたが、「自分自身」という抽象的で一番大切にすべきものがなくなっていました。

高校になると、「共感しなければ友達は作れない」という感情と「でも自分をどんどん出していきたい」という感情が、常に複雑に絡まっていました。そして、考えるのを放棄し、自分と向き合うことを辞めました。その結果、多くの後悔が残る学生生活を過ごしました。

部活の最後の試合は1開戦で敗退(しかも2年の初心者に。僕は5年やってました)。学業では勉強から逃げましたが、運良く進学。高校からコミュ障が始まったので、友達とどっかに遊びに行くことは超マレ。全てが中途半端。やり切ったと言えるものがありませんでした。

#しんどかった

ですが、コロナで一人の時間が増え、強制的に自分と向き合わされました。そうすると、やるべきこと(留学)が見えてきて、それに努力(TOEFLの勉強)できたので、2年前の自分よりも今の自分が好きです。

損得感情で友達と付き合っているのではなく、価値観や性格の問題なんだと思います。

これまで以上に努力して、僕の行きたい、体験したい、幸せを感じられる方向に自分を持っていけるように、頑張りたいです。

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