冬色シチューの待つ家へ《#シロクマ文芸部》
冬の色になったね。もう安心だよ。
そう先生に言われて、隣に立つ母がほっと胸を撫で下ろしたのが僕にまで伝わった。
僕はと言えば、急に来た自分の身体の変化に戸惑いと恥ずかしさが纏わりつくばかりで、家族や先生の喜ぶ顔もまともに見れない。でも
「テルマくん。明日から一人で学校まで来られるね」
そう言われて、やっと嬉しさもこみ上げてきた。
僕は家族から守られるだけの対象ではなく、自分で自由に出歩いていい存在ってことなんだ。
大人になるってこういうことなのか。
先生にさようならの挨拶をして、雪山を母と一緒に跳ぶように帰る。
「今日はホワイトシチューよ。テルマと同じ、真っ白のシチュー。好きでしょ」
母が嬉しそうに振り返って言った。
僕の体毛と同じ、冬色のシチュー。
母の得意料理を思い出しただけで、お腹がグゥと鳴った。
この地域に住む大人たちは、冬になると体毛が茶色から白色に変わる。僕と同じ年の友達はみんな昨年から冬色に変わったのに、僕だけ茶色のまま一年を過ごした。
雪山のなか、茶色の体毛のまま学校や遊び場に行くと、いつニンゲンに見つかるか分からない。100年以上前からニンゲンたちは僕たちを追っている。危険すぎて学校にも一人で行くことが許されなくなるのだ。
「母さん、ニンゲンはまだ絶滅しないの?」
「そうねぇ。ずいぶん減ったって聞くけど。私たちを狙うニンゲンはちっとも減っていないらしいわ。迷惑な話ね。私たちはニンゲンの敵ではないのに」
ニンゲン達はいつも、僕たちを必死で探して、そして見つけても襲いかかるわけではなく、遠巻きに見ているんだ。何かの機械を使って。
じいっと。ずうっと。
監視されていては気持ち悪くて仕方ない。そして一度誰かが見つかってしまった場所には多くのニンゲンが訪れて、森は切り開かれ、夜遅くまで明かりが灯り、他の生き物たちも生活できないほどの場所になってしまう。
山のみんなに迷惑をかけるわけにはいかない。僕たちは、より森の奥へ、より山の上へ、隠れるように生活していくほかなかった。
「テルマ、冬色になったからって安心したらダメよ。ニンゲンに見つかったかもって思ったら……しっ! 待って。何か音がする」
母が急に足を止めて耳を澄ませた。
寒苦鳥の鳴き声が遠くに響き渡っている。日が暮れ始めた。急いで帰らないと。でも、その遥か向こうから、何かが近づく足音が聞こえてきた。
ギシッギシッ
深い雪を踏み込む音。ひとり、ふたり……。
「5人以上はいるわね。動かずに、ここでやり過ごしましょう」
「岩のふりをするんだね」
「そうよ」
僕たちは体を丸めて息をひそめた。見つかったら大変だ。僕のお腹はまだ茶色い毛が残っている。見えないように必死に膝を抱え、首もすぼめる。だけど、まあるい瞳でニンゲンの姿を捉える。僕は、本物のニンゲンの姿を初めて見た。
ギシッ、ギシッ、ギシッ
ニンゲン達は僕たちに気付かなかったみたいで、それほど近づくことなく、とても楽しそうにワイワイ話をしながら、やがて去って行った。
「母さん、ニンゲンはカラフルな服を着て、肌の色も、毛の色も、みんな違うんだね」
その後ろ姿を見送りながら、僕は母にそっと聞いた。
「そうね。頭わるそうだったわね」
母の言葉を聞いて、僕はなんだか悲しくなった。僕は、ニンゲンっていいなって思ったからだ。
学校で習ったんだ。
かつてのニンゲンは沢山の機械を駆使して毎日真面目に働き、その見た目も表情もみんな同じだったけど、そういったニンゲンたちは淘汰されて減少したって。
たとえばこんな山奥まで、ただ僕たちを見つけたいっていうような変な熱意や嗜好を持った者たちだけが何故かしぶとく生き残っているって。
僕たちは、体毛を一律に夏色、冬色に変えることを「大人になる」と言って褒めたたえるけれど。同じ格好は自分たちを守るためって言い聞かされてきたけど。
このままでいいんだろうか。
「さ。帰って冬色シチューを食べましょ」
「うん!」
母と僕は立ち上がり、また雪の中を歩きだす。
温かいシチューの味を想像したら、またお腹がグゥと鳴って、頭上に落ちる雪がすぐに溶けてしまうのと同じように、僕たちイエティの将来への不安なんてあっという間に忘れてしまった。
(了)
部長、いつもありがとうございます。
久々に参加できたシロクマ文芸部。何故かイエティの話になってしまいました。
誰もが知ってるUMA。なんならその姿を捕えようと一度は旅に出た方も多いとは思いますが、念のため補足します。(あ、寒苦鳥はUMAじゃないですよ)