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レモンとオレンジの間で 《#シロクマ文芸部》

「レモンから映せよ。なんでアイツのアップからなんだよ」
「スポットCMなんて商品とナレーションだけで充分なのにね。アイツ、女優気取りだよ」
「ホントだな。あはは」

ジラフビバレッジの社員食堂は夜も開いている。天吊りのテレビモニターを見つめたワイシャツの二人が、フォーク片手に笑い合っていた。

今の全部「アイツ」本人に聞こえてますけど?

私は、飲み終えたレモンティーの紙カップをグシャリと潰した。

でも背後から「ご本人登場」って驚かせるつもりもない。こっちが虚しくなるだけだし。
だいいち、慣れてる。
見た目だけで判断されてチヤホヤされてきた女が、熟れどきを過ぎたらどんな扱いを受けるか、さんざん見てきた。分かってる。

営業のあいつら、私が新人の頃は合コンに来てくれって何度も頭下げて来てたくせに。

後輩のミスの後始末に追われ、自分の仕事を残業して終わらせ、彼との約束の時間まであと少し。ここで時間を潰したのが間違いだった。自分が出演するスポットCMが、この時間の番組内で流れるって忘れてた。

広報の私がイベントの司会をすることは多いけれど、テレビに映る機会はそう多くはない。新商品の「マイヤーレモンソーダ」のCMキャラクターに決定していたタレントが、SNSの暴言をきっかけに発売直前に降板する騒ぎとなり。新キャラクターとの契約が間に合わず、今回は急きょ、私が代役としてつとめる羽目になったのだった。

30秒のCМは、白いカモメが舞う青空と、見るからに爽やかなマイヤーレモンの畑から始まる。商品の売りは、生産者の顔が見える果実と、特殊な形状をしたペットボトルのキャップ。
あいつらが笑ったのは、「わぁ。美味しそう」と驚く私の顔のアップ。そのあとキャップを捻ると、くし形カットのマイヤーレモンがジュワっと絞り出される仕組み。
確かに、私の顔なんて映さなくて良かったのに。

「アイツもよくやるよ。こーゆー仕事は若い子に譲ればいいのにな」
「広報のアヤノちゃんなら爽やかで合うのにね。あの子、可愛いよね」

営業のあいつらは、まだ「アイツ」への不満を吐き続ける。

東欧の血が混ざった目鼻立ちのせいで、何かとお人形扱いされてきた。誰も私の努力や才能を見ようとしない。新人の頃から。ううん。採用試験の時から。
最初から女は「見た目」と「能力」の採用枠が違う。いくら時代が変わっても、それを公言しないだけで採用担当者はそうやって選んでいると、今付き合っている人事部の彼が自慢げに言っていた。
「もちろん、一定の水準に満たしてない人は論外だよ? でも採用なんてそんなもんだろ。結局、最終面接で選ばれるのは、見た目の好みだよ。男も、女も」
そして彼は、いかに私が自分の好みであるか丁寧に語りだす。ひとつひとつ確認するように。グレィカラーの瞳、滑らかな髪質、身体の感度に至るまで。

新人のアヤノだって、きっと私と同じように消費されていく。先輩の私が何とか守ってあげなければと思うけど、組織が大きければ大きいほど、簡単には変わらない。

見上げた4Kモニターの中の私が、最後のセリフを白々しく吐き出す。
「オレンジとレモンの交配によって生まれたマイヤーレモン。レモンより甘く、オレンジよりすっきり。いいとこどりの休日を、あなたにお届け!」
両手でボトルを持ち上げてニッコリ微笑む私。
小首を傾げる仕草は、誰へのアピールなんだろう。
アイツ、ばかみたい。

ブッブッ
スマートフォンが低い唸り声をあげた。Qというイニシャルだけの表示は、彼からのメッセージ。

【ごめん。行けなくなった。必ず埋め合わせするから】

その文字列を冷静に確認し、そっと席を立った。エレベーターで1階まで降り、社員証をかざしてゲートを抜け、小雨の中を走って地下鉄に向かう。

いつからだろう。
約束をキャンセルされると、なぜかほっとしている自分がいる。

奥さんにバレたらマズイ。
社内の誰かに見られたら困る。
ほんの少し前までは、そんな感情も二人を盛り上げるスパイスだったはずなのに。

比較的すいている地下鉄の車内で、彼からの続きのメッセージを確認する。

【急にあいつが病院から連絡してきて。慌てて駆けつけたけど結局何でもなかったよ】

彼にとっての「あいつ」は奥さん。
家では何と呼んでいるんだろう。案外、名前に「ちゃん付け」だったりして。
【奥さん、どこか悪いの】
無視するわけにもいかないので返信する。
【医者にかかったのは母。もう家に戻ったよ。心配いらない】
心配なんかしてませんけど。
【あいつが急病でも、俺はドタキャンなんてしないから大丈夫(笑)】

大丈夫って何が? 何のアピール? 何で(笑)カッコわら? 母親が急病ならドタキャンするってほうが気持ち悪いんですけど。

次から次へと、今まで見えてなかった彼への疑問が押し寄せる。その間にも次々メッセージが届く。

【今晩、会えなくて淋しいよ】
【本当だよ】
【内緒にしてたけど、土曜に連れて行くところ、ここだから。機嫌直してね】

私は機嫌が悪かっただけなのだろうか。今の感情がよく分からない。「奮発したよ」と書かれたURLを開くと、確かに女性なら飛びついて喜びそうな有名なリゾートホテル。

男が自分のために予約する店や宿のクラス。
それが自分の価値を測る尺度だと思っていた時期もあった。彼はまだ、私にお金をかけてくれる。
だけど。

地下鉄が地上に顔を出す。
雨は止んでいたけれど、地下を必死に進んでいた時と同じ暗闇が電車を包んでいる。
私はスマートフォンの画面に再び目を落として指を動かす。

【土曜、前原さんの葬儀には行かないんですか】
わざと畏まった文字列を選んで送った。
【え? 亡くなったの? 病気?】

目を疑った。人事のくせに訃報すらチェックしていない。しかも、結婚式でスピーチまで頼むほどの間柄だった、お世話になった先輩のはずなのに。

【バイクの事故だそうです】
【あの人、バイク乗るんだ。イメージ違うわ】

最後に(笑)がつきそうな文字列に、思わず眉根を寄せる。

【休職してから全く連絡取ってなかったし。温泉、予約しちゃったし。大丈夫】

無意識にスマートフォンの画面を閉じた。
何が大丈夫なの? クズ、クズ。本当にクズ。
小田急線の揺れを感じながら目を閉じる。

前原さんは、私の大学の先輩でもあった。就活の時からずっとお世話になっていた。1年前、脳梗塞で倒れたお父さんのために介護休業を取得し、回復したその後も実家のミカン農園の立て直しのために休職を選ぶような人だった。
実家と言っても、それは奥さんの実家。介護の対象は、義理のお父さん。
考えられないと、みんな陰で笑っていた。あいつ、また出世が遅れるよ。後輩に抜かれるよ。

違う。不器用だけど、誰よりも後輩思いの人だった。人の成功を素直に喜べる人だった。家族のために、そこまでできる人って、どれだけいるって言うの。

どうしたんだろう、私。
同期の営業にアイツ呼ばわりされて、彼にドタキャンされて、ムカムカしてるんだろうか。
違う。
優しかった前原さんを思い出せば思い出すほど、彼という人間が恐ろしくなってしまった。あの人は、自分にとって何の利益ももたらさなくなった人に対して、あんな態度をとる人間なんだ。悼む心も持ち合わせない人なんだって、よく分かった。

プシューという音をあげてドアが開き、半日以上ぶりのホームに降り立つ。
少し涼しくなった、優しい風が私を包んだ。

改札を抜け、自宅マンションに着く前に全てを終わりにしたくなった。腕時計を確認する。

もう、電話しちゃってもいい時間だろうか。
家族の食事は、終わっただろうか。

「そんなの、気にしなくていいか」
バカバカしくて吹き出す。立ち止まってスマートフォンの電話帳からQの文字をタップした。ワンコールで出る彼。

「今、大丈夫ですか」
「以心伝心だね。千奈津の声が聴きたくて、今電話しようと思ってたんだ。土曜日の話なんだけど――」
「土曜日はお会いできません」
「は?」
もしかして、まだ拗ねてるのと見当違いな事を言う彼に、当たり前の言葉を投げ返した。
「あれだけお世話になった先輩の葬儀に行かないなんて、人としてどうかと思う!」
「は? なんだよソレ。人としてって、不倫してる女の口から出る言葉とは思えないよ。何の冗談?」
笑う彼の声に、私は唇を噛み締めた。
分かってる。本当にずっと、人としてどうかしてた。こんな男に時間を費やして。ずっと奥さんを傷つけて。
「温泉はどうするつもり?」
彼の声は明らかに尖っていた。
「星野リゾートだぞ――」
彼の発した声は、そこで突然途切れた。

怒ってスマホを叩きつけたりでもしたのだろうか。通話は完全に切れていた。
でも、結局そこなんだよね。せっかくオシャレな高いホテルを予約したのに、っていう怒り。相手は私でなくてもいい。自分のプライドを、もう若くもない私に傷つけられたことに、腹を立てているだけ。

通話を一方的に切ったのはアイツのほう。
もう、捨ててもいいよね。
Qの番号をゴミ箱に入れ、本当によろしいですか? というメッセージの答えに、もちろん Yes を返す。

「はぁー」

大きな息を吐いた。
そして、新しい空気を吸い込む。

「ふぅー」
急にお腹が空いてきちゃったな。

いつも歩く、今まで雑貨屋だと思っていた場所が美味しそうな喫茶店に変わっていた。看板に書かれた今日のオススメは「レモンパスタ」か「オレンジソースのポークソテー」。

私にはもう、刺激なんていらない。
「よっしゃ。お肉をたらふく食ってやる」と、木のドアを押す。
カランコロンと心地よいドアベルの響き。
オレンジの優しい香りが私を包んだ。

(了)


超ひさしぶりに、シロクマ文芸部に参加いたしました。いや大遅刻!!

このお話は、あやしもさんが【ピリカ文庫】で書かれた「レモン」のスピンオフ。
……と言っても、お前ら誰やねん、ですね。こちらの記事をご覧いただくとご理解いただけるかと思います。
あの人と、あの人。さらに、あの人と、あの子! そして、あの店!

マイヤーレモンって、初めて知りました。みなさんご存知でした?

それと、最近発売されたアサヒさんの「未来のレモンサワー」って、輪切りがそのまま入ってるらしい。
そこからの発想で、あやしもさんのレモンは「くし切りでなくちゃダメ!」と自ら縛りをつけ、開けると絞られるってどんな形状よ?? と思いながら適当に誤魔化して書き上げました。

宜しくです〜🍋🍋

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豆島  圭
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