発達支援領域からみて「設定保育」と「自由保育」はどちらも大切な話
保育現場でよく聞く疑問として
「設定保育」と「自由保育」どちらがいいか
という話があります
園としてはどちらかの特徴に特化したほうがやりやすさはあるかもしれませんが、発達支援に関わり、両方の現場を行き来していた私にとっては
「どちらも必要なものである」
と言わざるを得ません
どちらかに優位性があるという話はナンセンスだと思っています
今回はそれをテーマに記事を書いていきたいと思います
設定保育と自由保育
・設定保育とは
「設定保育」とは法律で定まったものではありませんが、一般には
保育士やお子さんと関わる支援員が目標のも基、活動内容を決め実施していく保育
という認識です。要するに子ども達に
「お絵かきするよー」とか、「制作するよー」と保育士が主導で呼びかけ集まってもらい、集団から小集団で一緒の活動を行うことで協調性やルール理解につなげることが目的となります
・自由保育とは
一方で自由保育は
子どもの遊びや活動に干渉せず、見守ってサポートする形で保育を行う形態です
子ども達が自分の興味関心に基づいて自由に遊ぶことを重視し、遊具や遊び場などの環境を整えて提供します
例を挙げるなら、保育室に造形コーナーや絵本コーナーなどを設けて、子ども達に遊びを選んでもらい、保育者は見守る形をとる などです
主に子ども達の主体性や創造性を育むことが目的になります
発達支援の領域からみた設定保育、自由保育の必要性
私は発達支援の領域で働いてしましたが、どちらかというと「設定保育」に近い環境でした
しかし、隣に「自由保育」の保育園があったのでよく交流をしていく中で「どちらも大切」ということを結論を出しました
というのも「お子さんを理解する」「関わる保育者、支援者の技術の向上」という上でどちらの要素も必要になり、どちらが優れている、向いている ということではない ことに気づいたのです
以下に理由をあげていきます
・自由でも駄目、設定でも駄目なお子さんがいるため
発達支援の現場では、「はい 今から自由に遊んでもらいまーす」と声をかけても自由に遊べない子が数多くいました
「主体性を尊重する」と言えば聞こえがいいのですが、「自分で選ぶことが苦手」「何をすればいいのかわからない」となるお子さんにとっては「自由」の場をこちらが強いるのは酷なことだったのです
そういったお子さんには「設定」的に大人が遊びを提案したり、スケジューリングしたりすることで、活動の意欲を引き出していました
反対に、「設定保育」が苦手なお子さんもいました。保育者が設定した遊びや活動に興味が持てなかったり、特性的に落ち着くことが難しいお子さんにとって、「設定」は自分の動きを縛るものでしかありません
そういったお子さんに「設定」を強いると信頼関係から崩れるケースも多く見てきました
なので、「このお子さんは設定、自由のどちらが合うか」をまず保育者、支援者は見極めなければならない というのが私の実感です
・考えが偏ると保育者、支援者の関わりの幅を広げられない
「設定保育がメイン」、「自由保育が主軸」と園や施設、保育者 、支援者の考え方が凝り固まると、「お子さんへの関わり方」を見誤ることがあります
例えば、「買える前に絵本の読み聞かせ」という「設定保育」をした際に「座っていられない」「動いてしまう」といった特性のお子さんがいた場合、どのように対応するでしょう
私の知っている間違った事例として、
「そのお子さんは絵本の読み聞かせに参加させず、家族に早めに迎えに来てもらう」
という対応をした園を知っています。もちろんご家族とトラブルになりました。
色々な対応は考えられると思いますが、「設定を見直さない」に固執したこともこの結果を招いた一因であると考えます
凝り固まった思考はそのまま「本来お子さんに必要な関わり」を排除してしまう可能性があるのです。そうなるとお子さんへの関わりの幅を狭めることになりませんか?
そういった意味で、どちらか一方に考え方が偏るのではなく、「自由も設定もバランスよく保育、支援に組み込む」ことが求められるのです
まとめ お子さんの発達段階は凸凹でバラバラで枠にはめられない
上記に書いたように、「自由保育の枠にはまらない」「設定保育の枠にはまらない」お子さんがいます。しかし、それが当たり前なのです
なぜならお子さんの発達は一人一人違いますし、特性も違います。その中で保育者、支援者がお子さんを
「一つに枠にはめよう」
ということ自体に無理があるのです
今後、従来の保育、幼稚園の活動はどんどん見直されていくことが必要だと持っています
なぜなら、「この幼稚園、保育園、施設の特色や売りはこれです」と「一つの枠を押し付ける」場所がまだ多くみられるからです
売りや特色を出すのは良いことです。しかし、
「お子さんの特性や発達段階に合わせる関わり」が最低限出来ないようであれば、それは大人の「ひとりよがり」なのです
様々な視点でお子さんをアセスメントし、「設定」「自由」を柔軟に行える環境や人が今後求められるのです