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「消えつつ 生まれつつあるところ」

秋の金沢で、いくつかの「街を巡るアート展」が開かれている。
もう会期が終わったのもあるが・・・
「oterart」「GO FOR KOGEI 2024」「発酵文化芸術祭」「消えつつ生まれつつあるところ」

この中で、「oterart」は残念ながら回れなかったが、あとの3つは回っている。
回復期リハビリ病院を退院して現在休職中の夫と共に、金沢の街を歩きながら作品を見て回る。
車を使わず、バスや歩きで回っていく・・・体力回復、ウォーキング、リハビリを兼ねて作品を楽しめるんだから、結構楽しい。

正直言って「当たり外れ」はあるなぁ・・・と。

今のところ、ダントツで良かったのが、この「消えつつ生まれつつあるところ」

金沢市菊川2丁目の民家:イクヤマ家をベースに、その周辺の家を巡って作品を鑑賞していく。
構成がとてもしっかりしていて、統一感があった。
まるびぃがご縁で存じあげている方がキュレーションをされているのだが、他の展示でも、根底にある「時のつながり、人の営み、生と死」は、やっぱり、日本人がもってる「もののあはれ」の感情に直接触れるところで、この方が主催される展覧会、とても好きです。

 まず、イクヤマ家には、カフェスペースがあり、作品展示もある。そこで、まず説明を受けて、料金を払うと、チケット代わりにと、藍染?の布のハギレを渡される。担当の方々は、皆、藍染?の布を肩にかけたり、ストールのように首に巻いたりされていて、それが目印。それはこのイクヤマ家に残されていた布を使っていると・・・
そして、次の展示場所への案内の目印が、曲がり角などに置かれている、小さな子供用の木の椅子だ。

このあたりは、私の通勤路。
ちょっと前から、角に置いてある小さな木の椅子は目に入っていた。
それがこの「消えつつ生まれつつあるところ」の展覧会に関わるアイテムだったとは!!
空き家になった家、最後に住んだカップルが亡くなる時の話とか、今後新しくリノベされる空き家の最後のありのままの姿を見せるとか、べっこう飴のレコードに刻まれて記録されていく誰かの記憶、能登半島地震が起きた後に能登に入って撮られた写真、パフォーマンスの衣装、参加型の縫っていく作品や、植物がモチーフの絵画作品や、遊牧民の生活に欠かせない羊の腸を使った作品など、6人のアーティストの作品が展開されている。

植物は、発芽、成長、開花、そして種子を残し、枯死し、休眠というサイクルを持っていて、儚いものは一年足らずの寿命のものもあるが、木々ともなると何万年もの寿命を持つものもある。
空き家もまた、人の営みが絶えた後の「休息」が必要なのかもしれない・・・と
展覧会のパンフレットの言葉にあります。

アート作品の展示に空き家を使うことは、新しいことではないけど、空き家そのものの存在が強く意識させられて、すごく物悲しくなった。これが夏だとこういう印象にはならないだろう。秋だからこそ・・・だ。
 瀬戸芸や奥能登、妻有の芸術祭を見てきたけど、今回の「消えつつ生まれつつあるところ」は、自宅から歩いていける、普段は通勤路であり、子供が通った幼稚園のすぐ近くという、自分自身の生活圏内に密着してたこともあり、その生々しさ感はすごく強かった。
 
 現在、金沢21世紀美術館の企画展「すべてのものとダンスを踊る 共感のエコロジー」展との関連企画だそうで、道念邦子さんは、その企画展の出展作家さんでもある。
 この企画展そのものは、まだ私てきに全然つかめてないんだけど、この「消えつつ生まれつつあるところ」は規模が小さいぶん、すごく心にぐっとくる印象深いものでした。
  最後に、カフェでテイクアウトして買ってきたモンブランとタルトがすご~~く美味しかった~~~!!
  
  土・日・月しか開いていない展覧会ですが、街歩きをしながらのアート作品鑑賞、とてもレベルの高いものでした。ぜひぜひ!!

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