映画「CIVIL WAR シビル・ウォー アメリカ最後の日」
directed by Andrew Macdonald
starring : Kirsten Dunst, Wagner Moura, Cailee Spaeny, Stephen McKinley Henderson, Sonoya Mizuno, Nick Offerman
近未来のアメリカ。強引に3期目も大統領になってしまう現大統領(ニック・オファーマン)に反発し、多くの州が分離独立を宣言し、内戦が勃発した。西部戦力(WF)とフロリダ連合は政府軍を次々と撃退して、首都・ワシントンD.C.に迫る。
ベテラン戦場カメラマンのリー(キルスティン・ダンスト)と記者のジョエル(ワグネル・モウラ)は、1年以上、メディアの取材に応じていないでホワイトハウスに立て篭もる大統領に直撃インタビューを行おうと、リーの詩である老記者サミー(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)を伴い、また、リーに憧れ、ひょんなことから知り合った若い新米のカメラマン・ジェシー(ケイリー・スピーニー)と共に、分断された州道を迂回して、戦場の最前線、シャーロッツビルを目指す。
無政府状態になっている郊外を移動する一行はさまざまな光景を目にする。民間人の自警団、リンチを受ける略奪者、相手の正体も分からず遠くの建物にいる狙撃手と睨み合う狙撃兵、難民キャンプ、戦争とは全く無関心で平穏な生活を続ける村、民間人を処刑している謎の兵士・・・リーたちに影響を受けながら、ジェシーは次第に戦場カメラマンとして成長していく。しかし、一行が最前線にたどり着いたとき、政府はすでに降伏してしまった。ホワイトハウスに総攻撃を行うWF軍に同行したリーたち。しかし、たくましく成長していく若いジェシーに対し、恩師のサミーを失った痛手に意気消沈するリー・・・ホワイトハウス内部に潜入した彼女たちは、アメリカ最後の日の現場を目撃する。
私自身がアメリカに住んだ、わずか1年ぐらいの間でも、強く感じたのが「アメリカ人って・・・いない?」という奇妙な印象だった。私たち一家が暮らしたコロラド州は西部開拓地時代に開かれた土地で、通りの名前もネイティブ・インディアンの言葉だったり、明らかにドイツ系だったり、明らかにフランス語系だったり・・・とさまざまな国から人々が来て作ってきた州だってのが色濃く残っている印象があった。街の博物館を訪れても、日本の歴史とは明らかに違う「いきなりこの時代に飛んでる」感がすごくあった。未開の地だった時期が長かったというのがよくわかったし、そこへいろんな人々が移り住んで作ってきた・・・・だから、街の人の四代前ぐらいは、ここ?どころか、他の国の生まれという人が多かった。だからアメリカ人ってどこにいるの?って感じたものだった。
渡米のちょっと前に「インデペンデンス・デイ」が公開されてたなぁ。
「4th ofJuly, No longer the American Holiday, ….Today, is Our Independence Day (for Mankind) 」
と、アメリカ大統領が高らかに宣言してた。
それから30年近く経って、こういう映画が作られて、それが全米一位になるんだなぁ。
戦場カメラマンに焦点を当てて、彼ら彼女らの動きがメイン、彼らの視点で見る「アメリカ」であり、ワシントンD.C. にニューヨークから向かうのに、大きく遠回りをして進んだので、一種、ロードムービー的な要素もあり、それが緩急をつけて、おもしろい構成になっている。
国中が分断して戦争状態・・・なのに? ある村では全く意に介さず、いつも通りの平穏な生活を続ける・・・それが可能なこと・・・だれもそれを否定もしない・・・これもまたアメリカなんだろうね。
その中で駆け出し新米カメラマンのジェシーの成長を描きながら、一方で、ベテランカメラマンのリーが、最初はジェシーをリードしながら、自身の若い頃も重ねながら、優位にたっていたが、ジェシーは危機にも遭いながら成長していく「したたかさ」を持っていて、切り替えも早く、戦場カメラマンとしての「冷徹さ」も身につけていってしまう。ある意味、人間ってえげつないなぁと。可愛いジェシーでいてほしかったって思いも・・・観客としては感じてしまうなぁ。
リーは、恩師であるサミーを失ってから、精彩を欠いてしまう。戦場にいても心ここにあらず状態・・・この辺、キルスティン・ダンストの表情が印象的・・・
それでも、最後、大統領専用車が出てきたときに、いち早く「替え玉だ」と見抜いて、ホワイトハウス内部に突入していくのは、戦場カメラマンとして百戦錬磨の彼女のなせる業だろうね。
しかし、リーが、ジェシーを庇って銃撃に倒れる、リーの死をカメラに収めるジェシー、そして振り返らずに大統領の最期の写真を撮るために部屋へ入っていく・・・この冷徹さ・・・人間としてどうよ!さっきまでのジェシーはもうどこにもいない・・・リーを乗り越えて新しくカリスマ・戦場カメラマンとして台頭していくのか・・・
大統領を射殺して歓声をあげる兵士たちの写真と、そこにかぶさる、なんとも陽気なジャカジャカした音楽・・・
これがあり得ない・・・とは言えないだろう・・・「もしトラ」の後、これが起きやしないだろうか?
そんな暗に秘めた思いもあるんでは?
A24は、やっぱり、視点のつけどころが違うよなぁと。
脳出血の後遺症で失語症の夫を誘って見に行った映画、英語のセリフならなんとか追える夫、おもしろかったようで、見終わった後も、「こんなことが起こりうる・・・起こり得ないとはいえないかも? もしトラだったら・・・」「いや、もしトラだったら、かえって起きないかも」「これ、FOXの映画じゃないよね」「そうだよ、A24ってなかなか切り口がFOXとは違うねん」などなどと映画談義もできた。私にとっては、こういう映画談義を夫とできる・・・ってのもすごくうれしかった。