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54歳人工関節を入れるの巻 その2


 
 高校を卒業後専門学校に入り保育士資格を取った私は、転勤族としてジプシー生活をしつつも各地で保育に関する某の仕事に就いていた。
 
 子どもたちが中学生になるのを機に地元に戻り、相方の父親との同居を始めた。相方は15年近く経った今も単身赴任を続けている。
地元に戻り最初に行ったのは、知的障がい児の通園施設。

広いホールの中を子どもたちが走り回る。
手を繋ぎグルグル回して欲しいと言う子どももいる。「もういっかい(お願い)」これも大切なコミュニケーション。
肩車をして欲しいと言う子どももいる。保育士より高い位置の目線には何が見えるのだろう。
中には歩行もままならず、ヘッドギアを装着し支援者と共に歩く練習をする子どももいた。卒園間際に数歩歩けるようになり、感動したのを今でも忘れない。
こんな狭い所を?というような窓の枠に登り、高い所へ高い所へと行く子どももいた。
毎日同じ素材の服しか着られないこだわりを持つ子どももいる。
座っているのかと思ったら、「今、ひきつけてるのよ」と静かに痙攣を起こしている子どももいる。
一人ひとりタイプが違う、金子みすゞだっけ?
『みんな違ってみんないい』
そうだよね。一人ひとり違って当たり前。その場所ではその『違い』が、かなり顕著だった。

そんな学びの中、私は20数キロの女の子をよく肩車して歩いたり、ダウン症の子どもと手を繋ぎグルグルグルグル回ったりしていた。
今思えば過信していた。
腰や膝にどんどん負荷もかかっていたんだろう。
それに、自分自身の体重も…まあまあ、他人様には言えないような体型だったので、膝は「やめてくれ❗」と悲鳴をあげていたに違いない。
その頃だった。園庭で転んで最初にその病名を聞いたのは。

変形性膝関節症アンド腰部脊柱管狭窄症

その頃の自分よ❗
今すぐ痩せろ❗
膝に筋力つけろ❗
軟骨成分に何かよいものを食べろ❗

もう、遅い
そう、来週にはキミは人工関節入れるんだぜ?

つづく




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