
飯山あかりは悲劇のヒロインか?
「あかりちゃん、いじめられてかわいそう~TT」
さて、あかりちゃんを応援する人たちの中でそう思っている人は何パーセントくらいいるのだろう?。
少なくとも小生は彼女が可哀想などと一度も思ったことがない。
あ、前言撤回。
つばの襲撃で選挙妨害され、物理的に被害を被った時は可哀想だと思った。
限られた時間の中、訴えたい声を選挙区の方々に届けることが出来ず、唇を噛んで耐えていたあかりちゃんの横顔を見た時は心から同情し、可哀想と思った。
しかし今は違う。
じっくりと作戦を練り、時間制約なく世界中の人に語ることが出来ている。
一時期に比べて減ったとはいえ、毎日何万人もの人が彼女の訴えを視聴し続けている。
私はほぼ毎日拝聴しているが不思議と「可哀想」と思うことはなく、
どっちかと言えば「あはは、それは言い過ぎやろ!」とか、
画面にツッコミを入れ、
「コラっ!」と窘めたくなる事もしばしばだ。
大概その様な時は、いたずらっ子の様に口をすぼめてキョトンとする顔を見せる。
それがまた可愛くて
「くぅーっ、たまらん」
と目がハート型になってしまうのだ。
(↑ほぼ変態)
まぁ、そんな変態色惚けジジィの戯言はさておき、
YouTubeライブにおいて10万というリーチ数を維持し続けることは尋常ではない。
悪口だけなら3日も聞けば嫌になる。
内部告発なら1度聞けば充分だ。
同情を買うための泣き言なら
わざわざこっちの時間を費やしてまでつきあう気になれない。
ではなぜ毎日聞いていても飽きないのか、
なぜあれだけのネガキャンを突き付けられても、
「妄信だ」とか「騙されている」と言われても、
ピクリとも気持ちが変わらないのかを考えてみた。
【飯山あかりは卑怯な手口を使わない】
「誰」と名指しせずにXに匂わせ投稿などせず、堂々と自分の配信で公表している。
これは犬笛などではない。
自らが、しかもたった1人で、
非難を受け止める覚悟を持ってやっているのだ。
そして「いつ」「どこで」「誰が」とソースを提示したうえで批判している。デタラメかどうかは調べれば簡単にわかる。
聞かせたくない相手には蓋をして陰で悪口を言うとか、
意味なく特定の人に向けて「バカ」「アホ」「クソ」など罵声を発することはしない。
【飯山あかりの論評は「説得力」がある】
例えば曰本保守党を某カルト団体に似ていると論評した回があった。
なぜそう思うのか類似点の事例を挙げ、根拠を元に解説していた。
エビデンスを提示しているから、
「ほほぅ、なるほど」と思う人もいれば、
「その考え方は違うな」と反論できる公平な仕立てになっている。
決して闇雲に「ニチホはカルトだー!」と喚いていたことなどない。
「キリトリ」だけを見てそう思い込んでる人はきちんと一次情報を確認してもらいたい。
ほかにもキリトリ操作によって発言そのものを歪められて出回っているものが多く見受けられるが、その被害についてはいちいちすべて語らずとも理解して頂けると思う。百田さん、有本さんはじめ、日本保守党の皆様もまったく同じ被害をもっと多く受け、心痛めておられるから。
【飯山あかりを支持する人たちは営利目的ではない】
筆頭に小生がそうだと自信を持って断言できる。
こうして時間を掛けてno+e投稿しているが、これで利益を得ることはない。
匿名投稿ゆえ、私個人には何の宣伝効果もない。
読んでくれる人がいて、フォロワーさんの数が増えることはとても嬉しい。ただそれだけ。
たまにチップで応援頂くことがあるが、記事を書くことの時間給に換算すれば大幅なマイナスだ。
長谷川幸洋先生に対しても、YouTube再生回数を増やすのが目的などと侮辱を受けている様だが、損得で考えれば曰本保守党のおべんちゃらを配信する方が安定した再生回数が見込めるだろうし、誹謗中傷のネットリンチで心を痛めることもなかろう。
飯山氏を擁護することでご自身のニコニコ動画の有料登録者数が減ることだって覚悟の上だ。私は長谷川先生の「漢気」を断固支持する。
YouTubeにもSNSにも個人的に飯山氏を応援、もしくは直接的な応援でなくても曰本保守党のここがおかしいと勇気を持って発言をする人たちが後を絶たない。それどころか増え続けているように見える。
彼らに共通する点は慣れ合いや仲間意識ではなく、各々が自分の「意見」として圧力を恐れずに配信を続けていることだ。
【飯山あかりは「博士」である】
毎日欠かさず更新される飯山博士のno+e記事は専門分野の中東関連だけでなく、世界の情勢、時には国内政治について具体的な情報ソースを載せてとてもわかりやすく解説されている。
毎日中身の濃い、これだけの量の研究されていることはとてつもない労力だと思うし、それを惜しみなく公開して頂いていることに頭が下がる思いである。
ニュースのサムネだけ見て、薄っぺらい評論をするのとはわけが違う。
no+eだけでなく、この期間にも雑誌連載を続け、執筆した本は毎回アマゾンランキング上位に躍り出る。付け焼刃のつまらない著作なら誰も手に取らないだろう。
私怨に駆られ、毎日悪口だけ考えていたならこんな仕事が出来るはずがない。
「飯山さんがまともな政治評論が出来る人だとお考えですか?」
と私に問われたら、
「はい。少なくともそう仰るあなたよりずっとお勉強を続けておられるし、
常に情報を収集更新し、冷静に、客観的に視る目をお持ちですよ?」
と自信を持って答えるだろう。
ましてや飯山博士の人格を否定し、言論の場を奪おうとする行為など、
あってはならない愚行である。
【飯山あかりは偽りの手柄を誇示しない】
某氏がまるで自分がやったかの如く、事実をすり替え自分の手柄と誇示した時も「それは噓」と指摘したが、決して自身の人脈だったとは言わなかった。
(『実は飯山氏の人脈だった』ということは、その噓を発した本人からの言い訳の中でポロっと喋っているのを聞いて知った)
「国費で留学させてもらったからそのご恩がある」と感謝の気持ちは何度も聞いたが、その偉業を自慢する言葉は聞いた記憶がない。
大袈裟なほどに謙遜することはよくあるが、自慢話を含め承認欲求を満たそうとする発言は極めて少ない様に思う。
飯山氏の発信が単純にウケを狙うためだけに大袈裟に表現したり、
リスナーの賞賛を求めるものでないことが判る。
【飯山あかりには「愛」がある】
時折配信されるぼんちゃんとのお散歩、ぼんちゃんがおもちゃで遊ぶ動画の中であかりちゃんとたぶん娘さんのものと思われる笑い声が漏れ聞こえてくることがある。
それはごく普通の、幸せな家族の1シーンだ。
飯山さんの配信中にピーピー鳴り響くのは、Uberの配達ではなく、
「ご飯が炊けました」の通知音だ(笑)。
炊きあがったごはんはすぐにしゃもじでほぐさないとならない。
お喋りに調子が乗っていても、慌てて配信終了する姿を見れば、主婦として母として、家庭を一番大切にしていることがリアルに感じ取れる。
そんな当たり前の「暮らし」を大事にしているからこそ、「人」を「国」を大切に思えることが出来るのだと思う。
その場しのぎの嘘や誤魔化しを重ねていれば人は信用を失う。
一見何気ないことでも、地に足を付け、小さな信用を積み重ねていくことが「信頼」に変わるのだと私は思っている。
だから「妄信」と言われようが、「騙されている」と言われようが、
揺らぐことなく、飯山あかりが闘う姿を見たい、声援を送りたいという気持ちに繋がるのだ。
今日もライブ配信のスマホ通知を楽しみに待っている理由はこういうことかと改めて認識した。