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左派がヤバいと思った経緯について(2)
まえがき
先に申し上げておくが、小生の政治・経済・世界情勢知識は中学生レベル、いや、それ以下かもしれない。
きっと百田尚樹氏の言う「1割の善良なバカ」の1人なのだと思う。
そんなバカが政治を論じるのは実におこがましいことなのだが、バカはバカなりに人生を歩み、日本の行く末を憂いでいるというお話です。
(今日は百田さんと飯山さん登場しません)
初めての選挙
忘れもしない、二十歳になったばかりで初めて選挙権を持った日のことだ。
当時はまだ学生。
勉強は嫌いで好きな異性とバイクのことで脳が埋まっていた。
パジャマのまま寝っ転がってTV見て、日曜日の怠惰を満喫してる時に
それをぶち壊す電話の大音響が鳴り響く。
携帯電話など無かった時代で、ナンバーディスプレイもない黒電話だ。
誰から掛かってきたのかもわからない。
家族は出掛けてるみたいなので渋々電話に出た。
「あー、neon?(仮名)、オレ森玉、覚えてる?」
この珍しい苗字には聞き覚えがあった。
小学校の同じクラスにそんな名前の子がいて、のりたまと呼ばれていた。
ふりかけののりたまは思い出せるが、森玉の顔は思い出せない。
たぶんほとんど喋ったことは無かったと思う。
そののりたまが何の用だ?と訝し気に思いながら
「・・・のりたま?」
と聞いてみた。
「そうそう!覚えてた?何してる?今日は何か用事ある?」
「テレビ見てた。今日は特に用事ないけど。」
「じゃ、今からすぐ迎えに行くから待ってて!」
「は?迎えに???」
今だったら電話はケータイなので出掛けてるとか何とでも逃れることが出来るが、家電話に出てしまった以上居場所はバレている。
のりたまの家は知らないが、同じ小学校の校区なのでそう遠くはないだろう。
ここから先は、そう。ご想像通りのアレだ。
のりたまとのりたまの母ともう1人やたら早口で喋るおばさんの3人が玄関先まで迎えに来て、投票所になっている児童館まで拉致された。
道すがら早口おばさんが公明党の〇〇先生がどんなに立派な人かを繰り返し語り、〇〇先生に投票する様に命じられたが、のりたま母と早口おばさんの貼り付けたみたいな笑顔が気味悪く、何より一度も友だちと思ったことのないのりたまが馴れ馴れしくタメ口で話すのがだんだんムカついてきて、本能的に公明党の〇〇先生に入れてはいけないと悟り、入口に貼ってあったポスターの中で1番のべっぴんさんに1票を投じた(←あかんやつ)。
その後も実家を出るまでの数年間、選挙の度にのりたまから電話があったが、話を始める前に
「オッケー!公明党な。入れとくわ!」
と明るく噓の返事していたので、家まで迎えに来られる強行から逃れることができた。
もちろんその数年間、投票所には1度も行っていない。(←ドヤることちゃう)
初めてのリベラル種族との出会い
社会人になった。
就職したのは小さな会社で、毎日終電間近まで働いた。
かと言って今で言う「ブラック」ではない。
社長も上司も良い人だったし、常にこちらの身体を気遣ってくれていた。
好きな仕事だったし、努力が結果として目に見えるのが楽しかった。
がっつり仕事して、ハナキン(←わからない人はお父さんに聞いてね)には遊び倒して、時間がいくらあっても足りない。
政治など関心も無ければ、親父が見ていたTVニュースを片耳で聞くこともなくなった。
そんな時、同じ部署に中途採用でアキコが入社してきた。
アキコという名前は「与謝野晶子」から頂いたと誇らしげに自己紹介していた(←今ならこの時点でヤバい奴と気付けた)。
アキコは賢い女性ですぐに仕事を覚え、周囲も彼女に期待を寄せた。
しかし頼んだ仕事が途中であっても定時の5分前には帰り支度をし、ぴったり定時に退社してしまうため急ぎの仕事が任せられない。
また、責任の伴う面倒な仕事を頼むとあからさまに迷惑そうな態度を示すので仕方なく残業を厭わない他の社員で補った。
ある年のこと、突然取引先が倒産し、会社は大きな損失を喰らった。
辛うじて共倒れは免れたが、その冬の賞与はゼロ円で同年の昇給も見送られた。
それに対してアキコは猛然と不平不満をまき散らしていた。
「利益を出せなかったのは会社(社長)の責任で、社員がそれを負担するのはおかしい」と言うのだ。
私には考えつかない発想だったので正直驚いた。
社長もプレイヤーとして働いている小さな会社で、資金繰りのためあちこちに頭を下げている姿を見ているはずだ。
取引先が倒産したのは誰にも予想できなかったことだし、給料が満額貰えてるだけで有難いと思っていたから、社長を責める思考回路が理解できなかった。
そんな危機も乗り越え、翌年には全国的に有名な企業からの受注が決まった。男女雇用機会均等法の認知度も高まり、女性の活躍が注目され始めたこともあってか、プロジェクトリーダーにはアキコより後から入社した年下の女性ナツコ(仮名)が抜擢された。
それを知ったアキコは鬼の形相で社長室に乗り込み、外まで聞こえる大声で異議を訴えた。
「会社が定時を設定している以上、残業の義務はない。
それを理由に仕事の分配を差別するのは不当だ。」
そのうえに、
「自分はナツコよりも有能だ。
なのにナツコをリーダーにしたのは彼女が美人で、男性上司に媚び、好かれているからだ。この抜擢は間違っている。」
と社長相手に言ってのけたのだ。
今ならそう珍しい話ではないかもしれないが、これは昭和の出来事だ。
社内では即日にうわさが拡がり、周囲はアキコを腫れ物に触る様に扱った。
アキコは孤立し、それからしばらくして退職した。
退職の際も「自己都合」の場合は失業保険がすぐに貰えないとかなんとかで、「業績不振による解雇」にしてくれと事務室で暴れていたが取り合ってもらえなかったそうだ。
アキコが去った社内は彼女のことなどすぐに忘れ、皆士気高く働いた。
たまに「変わった人いたよね」と思い出されることはあったが、彼女を惜しむ人はいなかった。
後で知ったことだが、アキコの両親は社会党の党員で、父親は幹部職員だったらしい。
くしくも土井たか子がマドンナ旋風を巻き起こしていた真っ最中のことだ。
この頃はまだ「はたらきかた改革」や「ルッキズム」の言葉はなく、
アキコの様な女性は「異端」として扱われていた。
アキコにとっては理不尽で生きづらい世の中だったと思う。
彼女が今、どこで何をしているのか知らないが、
きっと現代までにずいぶんと「進化」したと思っているに違いない。
しかし令和のこれは「進化」ではなく「劣化」だ。
劣化は既に「危機的水位」まで及んでいる様に思う。
イデオロギーが違うと常識も違う?
若い頃は政治には無関心で自分には関係ないと思ってたのだが、
身近にも政治的思想を持つ人がいて、知らず知らずのうちに関りを持っていた。
その時の違和感が潜在意識の中に残っていて、ずっと後になってから点と点で繋がって「思想」をリアルに感じ取るきっかけになった。
現在はおろか、過去にも友だち関係を築いたことのない、名前を知ってる程度の知人相手に図々しい頼み事をする「のりたま」。
自分が逆の立場ならありえない行動だ。
小学校の同級程度の相手に電話をするのは同窓会くらいで、頼み事をするのは生命の危機に瀕する災害時かそれ相当のレベルの時だ。
「アキコ」は仕事に対する考え方が根本的に違っていた。
彼らに共通するのは周囲と自分の「常識」が違っていても動じることなく自分が正しいと確固たる信念を持っていること。
また「違う」ことを「間違っている」と決めつけて、それを周囲の他人にも押し付けようとする。
周囲には自分たちの主張に寛容性を求めるくせに、その逆は一切受け入れようとしないし、考えることすらしない。
当時はそんな連中に対して「世の中には変わった人もいるものだ」程度にしか思っておらず、そっと関りを遠ざけてきた。
まさかそいつらの「思想」が自分たちの生活を脅かし、国家さえ転覆させるやもしれない事態まで発展するとは思いもよらなかった。
(つづく)