雑記
ここ最近全然書いてなかったので、近況報告的なものをしようと思う。
まずね、私、晴れて受験に合格し日大芸術学部の学生となったわけですが。
まだ、まだ同じ学科の友達ができておりませぬ。
いや違うから、まだ始まったばかりだから。
しかも他の学科の友達はできたし。
一つ懸念点があってね、うちの学科に支配者みたいな女がいるんですよ。
声がデカくてね、男子のコミュニティにもクビを突っ込むような女がね。
そういう女がいるとよ〜、俺の存在が掻き消されるんだよなぁ〜。
もう中学の頃からずっとそうなんだよ。
私は声がデカい女がいると、萎縮しちゃって何にも話せなくなっちゃうんです。
おもんない女が中心のコミュニティにそもそもいたくないしね。
そいつが台風の目のように人を巻き込む限り、私のような存在は身動き取れなくなるか弾かれるしかないんですね。
はっきり言って私は少人数のコミュニティでしか輝けない。
私の事を理解している少人数の中であれば無双できる。
しかし大人数の中にあって、一人でも私の事を知らない人間がいた場合、私は「無」となるより他ないのだ。
男を集める男ならいい。
何故なら男の中でなら私はまだ私という存在を顕現させやすいからだ。
しかし、しかぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜し!!
男を集める女、これが一番ヤバい。
いるだろ?
女の子が来た途端に喋れなくなっちゃう奴。
あれだけ意気揚々と喋りまくってたのに、影のように存在感を無くしてしまった男。
それ、俺。
ヤバいよなー、どうしよっかなーー。
考えあぐねていた時、刹那、恐ろしい思考が私の頭をよぎる。
「殺す、、、か??…」
ダメだダメだ!
そんな事で人生を棒に振ってどうする?
相手は謂わば仇敵、中学生の頃から私の存在を脅かしてきた宿敵…!
正々堂々と戦わねば。
となれば私の人間的な魅力によって人々を彼女の周りから引き剥がし、私の元へと呼び寄せるしかあるまい。
というわけで、友達作り、頑張りま〜〜〜〜〜〜〜〜〜す!
話は変わって、「繊細さん」って、最近よく言うよね。
私、この言葉に物凄く違和感を感じるんです。
他にもいっぱいあるよ。
「初心者さん」とか「欲張りさん」とか、とにかくたくさんある。
率直に言って、気色悪いよね。
いや何故って、自分が弱いと言う事実を無条件に肯定してもらおうとし過ぎてるよね。
私も繊細です、ええ、もう目も当てられない程にね。
そのせいで友達の一人だって作れやしねぇ。
でもね、生きてくしかないんだよ。
自分が繊細であるという事実を肯定したところで、現状が良くなるわけじゃない。
寧ろ改善しようとする努力を怠ることによって悪化していくばかり。
生温い言葉で、一時的な安堵を得てるだけ。
慰めだけで生きてける程、この世界は甘かねぇ。
人間は弱い、無論それは事実。
だがそれを認めた上で世界に対して毅然とした態度を取らないと、自分が傷つくだけだ。
気に入らない奴らをぶっ殺すくらいの勢いが、俺達には必要なんだ。
だからいつまでも「繊細さん」なんて言ってちゃいけねえ。
人には尊厳ってもんがある。
自分を傷つける世界に対して、きちんと突っぱねなきゃいけない。
声がデカいだけの女が幅を利かせる環境でも、自分の声を響かせなければいけない。
ともすれば私も「繊細さん」なのかもしれないが、そうも言ってられねえんだよ!
「繊細さん」のままじゃ友達ができねえんだよ!
という、「繊細さん」という言葉に対しての提言でした。
次の話題行きます。
この前映画「i ai」を観た。
この映画はgezanというバンドのボーカル、マヒトゥザピーポーが監督、脚本、音楽まで携わっており、端々からマヒトのエッセンスが感じられる映画となっていた。
gezanはね〜、本当に大好きなバンドですね。
「東京」って曲のMVで初めて知ったんだけど、衝撃を受けたね。
その頃私は高校2年生、コロナウイルス全盛。
現実世界からは隔離され、ネットの世界は醜穢極まりなく、精神的に参ってる時期だった。
そんな時、マヒトのシャウトが全ての暗雲を切り裂いた。
特に喰らったのがこのフレーズ
「誰も幸せな人はいないのに蔑みあってるループ」
端的にネット世界の現状を、惨状を表していると思った。
マヒトはこの時代の救世主か、否、革命家である。
我々が為さねばならない個人的革命の、赫き革命の旗手である。
ちょっともうgezanについて書いてるとキリがないので映画について。
美しい映画だった。
ただそれだけ。
映画だから特別何かをした訳ではなくて、マヒトが表現してきた事の延長線だと思った。
暗い時代が到来しラブ&ピースとも言っていられなくなった今、猶もマヒトは「Just love」と叫ぶ。
マヒトの人間に対する優しさと、Absolutely imaginationが形を成したのがこの映画なのだろう。
想像力は絶望を招来するが、だが一方で未来を切り拓くナイフとも成り得る。
この映画は美しさを湛えたナイフだ。
この先人生に行き詰まった時、このナイフが少しだけ私に勇気をくれるだろうと信じてる。
そしてそれこそが芸術だと、私は思う。
清志郎もジョンレノンも不在。
リンダリンダはもう聴こえない。
けれども大丈夫、私達の時代にはマヒトがいる。
それにマヒトは言う、
「大丈夫じゃなくても大丈夫」と。
これは決して慰めの言葉ではない。
人間の、人間に対する愛そのものである。