動的革命、静的革命
Vフォーヴェンデッタという映画を観た。
舞台は第三次世界大戦後のイギリス。
国の実験台にされ、復讐を誓いテロを画策する男と国に両親を殺された女の物語。
そこでは「サトラー」とか言ういかにもヒトラーっぽい独裁者が出てくる。
そして国民は国家の為に生きるというファシズム的な価値観が蔓延している。
1984年もそうだけど、どうしてイギリスはファシズムに対する恐怖心が強いのかしら。
イギリス人のプライドみたいなものが被支配に対する抵抗感を強めてるのか。
最終的に革命は成功して、議事堂は爆発し政府は打ち倒される。
ファイトクラブのラスト然り、敵の象徴(資本主義に対するビル群、政府に対する議事堂)が破壊されるのは非常にカタルシスを感じる。
このカタルシスの為に映画を観てもいいという程だ。
この映画で描かれているのは国民全体で政府に「抗議する」という動的な革命である。
その逆、静的な革命について書いていこうと思う。
今、中国の若者で躺平族(寝そべり族)と呼ばれる人々がいるらしい。(らしいというのは、実際にどれくらいの数いるか分からないから)
彼らは家や車を買わず、結婚せず子供を産まないという生活様式を敢行している。
彼らは例え有名な大学を出たとしても職に就けない、あるいは失業するなどといった理由から社会に失望し、長時間労働により資本家の奴隷となるくらいなら植物のように生きようと望んだのだ。
この社会は働けど働けど資本家の私腹を肥やすだけという仕組みだ。
そして貰えたお零れは、誇大広告に魅せられた大して必要のない商品に費やされる。
私はこの躺平を、馬鹿馬鹿しい資本主義の螺旋から抜け出して、過剰な快楽も消費もない静謐な世界を生きようという試みだと思ってる。
これは非常に仏教的な試みだ。
過剰な快楽も消費も必要ないというのは、仏教を創り出した仏陀自身が証明している。
仏陀はカピラヴァストゥという国の王だった。
豪華な料理が食べれて、好きな女を抱けるという夢のような生活が約束されていた。
しかし聡明なる仏陀は、それだけが人間の幸福には成り得ないと信じ、人々を苦難から解放できる方法を探しに出家したのだ。
仏教が示すように、欲望を満たす事は必ずしも人を幸福にしない。
それなのに資本主義は人々の欲望を煽り増幅させ、消費を促す。
働かないのは悪だという風潮も、結局労働者がいなければ資本家が儲けられないからだ。
死なない程度に働けばいいのだ。
近代以前の日本にはこんなに物が溢れていたか?
別に物がなくても人間は幸せなんだ。
私は躺平の生き方には基本的に賛同するが、結婚をしないというのには賛同できない。
当たり前の話だが、子供が生まれなければ国は滅ぶ。
そして私は、子作りや子育てを人間のプリミティブな喜びだと考えている。
愛する二人が二人の遺伝子を残した子供を作るというのは、とても美しい事だと思うのだ。
でなければ人間という種はここまで続いていない。
ただこの国で子供を育てるという事において、一つ大きな障壁がある。
それは学費が高すぎるということだ。
特に大学の費用が高すぎて捻出できないという家庭は少なくない。
でも大学に行かなければ、就職も難しくなってくる。
それ故に子供を作らないという人も多いだろう。
現実問題、一律にお金を配るというよりは大学の学費を減らした方がよっぽど家庭にとって楽なのではないか?
「学校に行けて、飯が食えればそれで十分」
こういう考えならば、子供を産むという行為が今より悲惨には思えないだろう。
今のこの国の絶望って、賃金は変わらないのに物価が上がり続けてる事だと思う。
そして学費は高い。
出費だらけなのに、給料は少ない。
これじゃあ子供産む余裕はないよね。
あと塾代とかもバカにならないしね。
純粋な生活費だけなら子供一人くらい育てられる家庭は多いと思うんだけどなあ。
話を戻そう。
国家単位のパノプティコンが形成されたこの日本で躺平の暮らしをするのは難しいだろう。
何故なら日本は中国に比べ合理ではなく感情で動くからだ。
どういう事かと言うと、日本人は「あの人は仕事もせずに何をやっているのか」と言う重圧に耐えられない。
だから働きたくもないのに働いてしまう。
他人の目を過剰に気にしてしまうのだ。
仮に躺平の思想を説明したとしても受け入れられないだろう。
「お前が努力してないだけだ」と言う能力主義の鉄槌を下されるだけだ。
ただ躺平の思想というのは怠慢ではなく、自らの意思で沈黙を選択したのだ。
つまり「抗議しない」事で抵抗を見せつけているのだ。
日本人には口を噤む覚悟すらないだろう?
だからネットで芸能人や政府の悪口を書き続けるんだ。
それがストレスの捌け口となる。
さながら1984年の二分間憎悪のように。
私が思うに、中国の若者はただ何もせず生きているわけではない。
かつて内側から壊れていったソ連のように、現政権が倒れるのを虎視眈々と待っているのだ。
まあこれは私の単なる楽観的な妄想かもしれないが…
ただ中国の若き賢者達の選択は、少なからず私達に示唆を与えるだろう。
彼らは「沈黙」によって示した。
私達は何で示そうか?