アニメ鑑賞
「僕の心のヤバい奴」を見た。
なぜって?
牛尾憲輔が音楽を担当しているからだ。
それ意外に見る理由はない。
勿論、この作品の作者やアニメを制作した多くの人々を侮辱するつもりは毛頭ない。
しかし私はこういった作品が好きではない。
なぜなら都合が良すぎるからだ。
学校一の美人でモデルをやっていて、性格も良くて巨乳な女子が陰キャ男子を好きになる事は万に一つもない。
好きになるどころか接点すら持てない。
それはまるで反比例のグラフのように。
こういったアニメを鑑賞する事は、そんな当たり前の事実を無視し非現実に没頭する謂わば逃避行為なのだ。
もちろんアニメとは非現実を描くものであるが、精液臭い妄想を描く事はもはや「オナニー」と同じ行為だ。
言い方は非常に悪いが、私はそう思っている。
こういう作品が好きな人には申し訳ないのだが、こういうアニメを見ると作者のオナニーを見せられているような気分になってしまうのだ。(これは本当に個人的見解だと言うことを了承してほしい。)
極端な理想を非現実だと断定し、現実から隔絶することは賢明な選択だとは思わない。
敷衍すると、「俺たちには青春や恋愛なんて土台無理なんだから、いっそのこと夢想の世界に生きよう」という考えが良くないと、私は言いたいのだ。
無論そうでない人もいるだろう。
だが「現実じゃ非リアなんだから、せめてアニメん中では理想を味合わせてくれ」というような思いで見てる人が多いことも否定できない。
そんな人々に私は問いたい。
「ユートピアの外の世界は、必ずしも不幸なのか?」と。
理想を達成しなくとも、私たちは幸福を享受できる。
理想はあくまで理想であり、そこに辿り着く道中で幸福を見つけられればそれでいいのだ。
今のお前たちは理想を遠い遠い檻の中から眺めてるだけだ。
そこから一歩踏み出すんだ。
理想までの道のりがどれだけ遠くても、その中途で美しいものが落ちていると信じて。
話は変わって「推しの子」を見た。
トー横界隈の話なのかな〜と私はまるで見当違いの想像をしていたのだが、実際は全然ちゃがう物語だった。
最初主人公と思われる医者が殺されたところが結構衝撃的で、そこから好きなアイドルの子に転生してしてあれやこれやする物語かな〜と思いきやその後二転三転し、最後には復讐劇が開幕するという急展開。
途中長いな〜と思ったりもしたけど、ええ、なかなか面白い物語なんじゃないでしょうか。
中盤とラストに出てきた映画監督がペルソナ3のストレガに似てると思ったのは私だけだろうか?
まあそんな事はどうでもいい。
アイが妊娠していると医者(主人公)が知った時、主人公と自分を重ねた。
つまり、新しい学校のリーダーズのSuzukaが妊娠したらどうなるだろうかと自分に問うてみた。
にっ妊娠!?
うそ?やだ!
信じられるかそんなもん!!!
いや待て、これは処女懐胎に違いない。
ん?処女懐胎?キリスト?
あ!
やっぱり聖母じゃねえか!
前回の記事でSuzukaは聖母ではないと書いたが、やっぱ聖母でした。
Suzukaが子を身籠った時は、神の子か私の子に違いない。
(流石にキモすぎるか…)
ふざけた事言ってないで、少しは恋愛する努力でもしろってことだ。
「人に散々一歩踏み出せとか言っといてお前も非現実語ってんじゃねえか!」というツッコミの声は無視して、私はもう寝ます。