[ショートショート]石鹸と読書(毎週ショートショートnote参加作品)
妻と出会ったのは30年ほど前だ。
同じ会社の彼女は常に物静かで、決して目立つ存在ではなかった。
社内にはマドンナ的な存在の女性がおり、男たちはそのマドンナに夢中で私もその内の1人だった。
ある日、くしゃみをしたマドンナの隣に座っていた彼女が、箱に入ったティッシュをマドンナの机の近くにそっと置いたのを目にした。マドンナはそのティッシュを使い、周りの男たちはマドンナを心配する一方で、彼女のその行動には誰も気づいていなかった。その時から私は彼女に恋をした。それ以降、私からのアプローチに対して彼女は控えめながらに応えてくれて、私たちは結婚した。
結婚生活の中で、滅多に怒らなかった彼女から唯一怒られた事を思い出す。私が本を雑に扱った時だ。彼女はいつも本を読む時に石鹸で手を洗ってから読んでいた。筆者に対しての敬意の念を示しているのだと控えめに笑って彼女は言った。
どこからか石鹸の香りがした本屋の片隅で、今は亡き彼女の面影を追った。
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今週もたらはかに(田原にか)さんの企画に参加させていただきました。いつもありがとうございます!