終わりの始まりだと気づいた日に

はじめまして。帰蝶といいます。
ここでお会いできたのはとても嬉しいことです。

出会える数には限りがあって、偶然か奇跡的にか出会える人、出会わずにおわるひともいる中で、この場所を見つけて、読んでみようと時間を作ってもらえるのは、とても貴重なありがたいことだな、と認識しています。
語彙力はないですし、どこまで自分の想いや価値観が伝えれるか、というところですが、脳味噌をフル活用していけたらと思います。

これから好きなことを書き綴る前に、自己紹介がてらのどこにでもあるのか、ないのか、身の上に触れてみながら
導入の話をしていきます。

演劇に出会った日


世間でいう一般家庭に生まれました。機能不全家庭とか毒親とかの知識なんかない頃、嫁姑関係のゴタゴタに巻き込まれたり、躾で殴られるなどが日常でした。
小学生にして集団いじめを経験し、家に帰っても怒鳴り声や家族の泣き声にもまれ、学校でも一人きりでろくに信頼できる友人もいなく、死ぬ術もわからず、ただ生きていました。

身内の不仲や集団いじめの経験から他人を信頼することもできなかった自分にとってのそのときの世界は、ただの地獄でしかなかったと言えます。

中学校のときに、部活というものを知ったこと、
声をかけてくれたのが演劇部の先輩であったことが、ひとつの転換期でした。

当時の自分の状況的に人前に立つ、など一番合わないことだと客観的に今の自分なら考えます。

ただ、そのときの自分が(今もですが)何よりも大嫌いで、こんな自分でいるくらいなら違う人物になって生きてみたい、という一心だったのを覚えています。(小栗旬さんが俳優になった理由に自分が嫌いだったから、とあげておられたのをぼんやりとした記憶であります。当時共感していました。)

3年間、いいことばかりではなかったですし、家の環境は最低だった時代でしたが、大嫌いな自分ではなく、違う誰かの人生を演じ、リアルでは出せないどんな感情も出し切ることができたあの日々は
十数年たっても宝物です。
本気でひとつの作品をだれかと作りあげるということの大変さ、素晴らしさ、感動を学べたことは、
自分にとっての財産です。中学生でオーバードホールでお芝居できたのは幸せでした。

人にはそれぞれいろんな事情や葛藤があると思います。他人には言えない苦しみ、悲しみ、絶望。
いつまで続くのかわからない地獄は、沢山の喜びや感情すら奪っていきます。
どんな耳障りのいい言葉も綺麗事も、結局は自分を救い出してはくれないのだと、思わざるえない状況が人にはあります。

今でも疲れたら自分自身も昔のその感覚が思いおこされるので、簡単に励ましの言葉などは書けないです。

ただ、そんな地獄から救ってくれたのが演劇でした。

自分を許せなくて、何もかも壊したくて。
でも、そんなこともできないで、暗い部屋でうずくまって泣いていた自分、大嫌いな自分。

けれど、演劇の舞台に立てば、自分は自分ではなく、違う自分でいられる。どんな感情も、出し切ったっていい。その姿を晒したとしても、舞台で昇華することができるから。

観劇でもいいんです。ぜひ、舞台の生の芝居に触れてみてください。今日の自分に絶望したのなら、違う誰かに生まれ変わって何度でも生きる方法があるのだと、どこかの誰かに届きますように。

合唱、音楽との出会い


高校でも演劇をしていたのですが、学業、先輩との不仲もあり、途中で辞めることになりました。

挫折は何度か経験しましたが、それが一番大きな挫折だと思っています。

まだまだやりたかったな、演劇。
またやりたいな、いつかは。

そんな自暴自棄な頃、合唱部についてを言われ、
歌うことも好きだったので軽率に入部しました。

しかし、ピアノとか演奏できないのにそんな簡単に入部するもんではないな、と今の自分ならアドバイスしたいです。(何度壁にぶつかったことか)

相変わらず先輩たちとは相性合わない後輩だったと思います。上下関係、礼儀とか礼節の大切さは学べた気はしています。(一応)

顧問の先生は、音楽に妥協しない変人(失礼)だったので、スキルだったり声の鍛え方、全力で歌いきることの楽しさを知りました。

家庭環境は相変わらず最低だったので、歌うということがその時期の発散するツールでした。

合唱というものもそこまで熱量も興味もなかったのですが(重ね重ね失礼がすぎる)

誰かと息をそろえ、ひとつの作品を作りあげるために何時間も時間をかけていく、そんな環境が、自分は好きなのかもなと気づかせてもらいました。

真夏の熱い日に、防音室で、ソプラノの音を当てるために高い声を何時間も出させられて缶詰めにされたあの日々。消耗も、悔しさも半端なかったですが。
3年最後のコンサートのソロの星に願いをでもらえた盛大な拍手が本当に報われたように感じて、
泣き出しそうになったのも良い思い出です。


エンタメという救い

演劇、音楽という出会いがあり、地獄の日々を生きてきた自分にとっては憧れであり、理想とする2人の役者さんがいます。

役者を好きになった原点、柳浩太郎さんという役者さんもいますが、彼についてもまた別記事で書かせてください。


神谷浩史さん
佐藤流司さん

この2人に出会い、生涯追っていきたいと思える生きがいをもらいました。

またそれぞれについてを詳しく別記事で書き綴れたらと思っています。

唯一無二を背負う究極の努力家

ちなみにですが、お二人ともまったく別系統の雰囲気をお持ちだと認識しています。

役者であり、アーティストであるという点が共通なところではないかと思います。

年齢や経験の差はもちろんあるのですが、
自分がこのお二人がすごいなと思うのは、

仕事に対する意識です。

神谷浩史さんが語っていた仕事について聞かれたら好きなことしてます、って答える話

佐藤流司さんのが仕事は楽しいと語っているところも

そんな簡単なことじゃないだろうな、と認識しています。

ファンであればそれぞれの方の忙しさは理解されているだろうと思います。
一般人と芸能人なんだから、忙しいのが当たり前だし、という話かもしれません。

土日もカレンダーの祝日も誕生日すらイベントやライブに予定を取られたとして。

それでも、自分は好きなことしてます、って楽しい、仕事にいきたい、なんて言えるのだろうかと。

特に神谷浩史さんは歌が苦手、声優なのに顔出しすることに関しての発言から、好きじゃない部類の仕事だって多いはずなのに
ファンが来てくれるから、ってフラッグの練習なんかをしてたりしてました。(休憩時間なのに)

そんな姿勢を見てると、自分自身の背筋が伸びます。

苦手なことも好きなことを継続するためのひとつなら、向き合い続けること。

自分の仕事に誠心誠意取り組むこと。

できる努力は全力ですること。

周りに対する配慮や、責任感、役への向き合い方を追わせていただいてると、まだまだその背中を追いたいと思うのです。


そんな、いわゆる「推し」のお二人でございます。

導入で長々と失礼しました。


これからいろいろ書き綴って参りますので、興味を少し持たれた方は、お付き合いいただけたら幸いです。


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