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【知的障害+ASD】信じたものに一直線だった高等支援校時代 #1

娘は公立の小中を経て高等支援学校を卒業し、現在は施設外就労で働いています。

高等支援学校とは、軽度知的障害のある子が企業就労を目指す高等部単独の特別支援学校のことです。

娘の学校は、一学年が40名ほどで女子は3~4割程度。

今日は、高等支援学校を選んだ理由を振り返ります。

我が家の進路は、子ども自身が選んだ支援校なのですが、親が積極的に介入し、勧めてきた経緯があるので親が望んだことにもなります。

知的障害のある子の将来をどう考えるのがベストだったのか、今、進路に迷っている皆さんにも考えてほしいテーマです。


一丸となって就労を目指した保護者たち

高等支援学校の特徴は、企業就労を目指すための職業訓練の場。

娘の学校は、寄宿舎に入るのが条件の特別支援学校で、寄宿舎では生活訓練を、学校では学業と職業訓練が徹底されていました。

学校を選んだ理由は、

  • 知的障害があっても企業就労が目指せる(経済的自立)

  • (社会に出ることを想定し)生活カリキュラムが組まれた寄宿舎がある(生活自立)


つまり、知的障害のある我が子の将来への見通し、手立てがあるに魅力を感じ選んだのです。

一学年40名という目の届きやすい少人数制は、毎年、募集人数が殺到しており、受験倍率が高い。でも、「この学校に入れさえすれば、(健常者のように)働くことが出来る」と、当時は本気で信じていました。

情報のない時代でしたから「企業就労ができる訓練の場」はものすごく魅力的なものに映っていた。それは、私だけではなく、この学校を選んだほぼ全ての保護者はそう思っていたはずです。

おはようからおやすみまで一日の流れが決まってた寄宿舎

当時の一日のスケジュールは起床~就寝まで、隙間なく埋められていました。それがTEACHのスケジュールの組み方なのだ、と知ったのはずいぶん後になってからです。

情報がなかった時代なりに、学校としては工夫してきたことが伺えます。

ただ、当時の私は軍隊のような生活スケジュールに見えていました。でも、寮生活というのは、そういうものだから仕方がない、そう割り切ってもいました。

就職さえできれば、人生は安泰だ

そう思っていました。

入学式、高い受験倍率を経て、企業就労を目指して入学した知的障害のある生徒たちは、県内の特別支援学校の中でもエリートのような扱いで、保護者の誰もが人生安泰路線を歩き始めたといわんばかりの空気感に包まれていました。

頑張れば人生安泰。

迷いなくそう思えたのは、平成当時の時代背景もあったのかもしれません。就職ができるように訓練さえすれば、就職できるはずと単純に思えていたのですから。

そして私は、そんな考え方を一直線に信じた保護者の一人でした。



ありがとうございます。これからもどんどん更新してゆきますので、どうぞよろしくお願いします!