思い出のはなし
小さかったころを思い出せますか?
大人になるにつれ、過去は遠ざかり、薄く靄がかかって、当時とは違った風景に映ることでしょう。
まだ大学一年生の私がそう思うのですから、私よりもっと大人の人たちは、さらに異なるように見えるのでしょうか。
その景色は美しいですか?
私は意地っ張りなので、ぜっっったいに過去を美化したくありません。もちろん、良い思い出は良い思い出としてとっておきたいですが、いやだったことはけっして忘れないでしょう。「当時はいやだったけど、今思ったらあれも青春か・・・」とかは思いたくない。少なくとも今は。
おい、あのとき私にひどいこと言ったお前、忘れねえからな・・・。忘れてやらねえからな・・・。(cv.ハライチ岩井)
といってもですね、やっぱり子供時代っていうのはどの人にとっても、(良い意味でも悪い意味でも)特別なものなんじゃないでしょうか。
そのせいかは知りませんが、この世にはたくさんの「子供時代」を扱った作品が多くありますね。
少年の日の思い出とか、スタンド・バイ・ミーとか。
「そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな」でおなじみの少年の日の思い出。ヘルマンヘッセ著。車輪の下とかを書いた人ですね。著者自身がドイツの人だからか、作品の登場人物は、萩尾望都さんの「トーマの心臓」キャラで脳内再生されます。(トーマの心臓は、ドイツの架空のギムナジウム、シュロッタ―ベッツ高等中学が舞台)
主人公の少年はエーリク、エーミールはユリスモールのイメージ。トーマの心臓では、総合だとオスカーが好きなのですが、ビジュアル部門ではユーリのほうが好きかもしれない。
話を少年の日の思い出に戻します。この話は、大人たちが過去を振り返るシーンから始まります。そもそも、現在軸での語り手は、「少年」ではなく、その少年の友達、ということになっています。彼は、自身の子供の影響で蝶の収集を再開し、それを見て、「少年」だった男が語り始める、という出だしなのです。最後は、少年が収集した蝶をつぶすシーンで終わっていますから、現在軸には戻らず、過去で話は終わっていることになります。
私は、この後の話をつい想像してしまいます。友人の話を聞いた男は、つい自分の息子に思いを馳せてしまう。わが子も、もしかしたら同じような苦い思いを経験するかもしれない。大人とも子供ともつかず、もどかしい日々があるかもしれない。結局、人は、過去の人類の繰り返しであると。
この構図は、ヘミングウェイの「父と子」に似ている。父は、息子とのドライブ中に、自身の父のこと、そして、自分が「大人」になった日々のことを思い出す。私はあまり感じたことがないのですが、やはり、子は自分と同性の親に多少の反発を覚えるものなのでしょうか。尊敬しながらも、自分は違う風に生きたい、とそう思うものなんでしょうか。
そして、今度はわが子を見る。いつかこの子も、私の元を離れ、この子なりの人生を歩んでいくのだろう。でもきっと、私がそうであるように、この子も親と同じ思考をもって生きていくのだろう。そう思いながら、今は純粋に自分を慕ってくれる息子を愛おしく思うのだ・・・。
そしてもう一作品。スタンド・バイ・ミー。
四人の少年たちの、一瞬を切り取った作品。
この物語も、ゴーディが自身の過去を振り返る構造となっている。
かつて友達だった四人の少年たちのことを、小説に仕立てている。
大人の今ではもう、決して交わることのない友情。「誰とでも」友達になれる期間は、本当にわずかなのだ。映画でも、中学に上がる段階で、ゴーディとその他、という関係性になってしまう。クリスは、大人になってゴーディ側(この言い方が適切かは分からないけれど)の人間になったが、ほどなくして亡くなってしまう。この映画を見ていると、人の運命って生まれた時から決まっているのかな、なんて考えてしまう。
この「本来関わるはずのない人たちが、ある特異な状況下において出会い、互いに影響を及ぼし、会えなくなってからも忘れられずにいる」という構図が大好き。ゴーディはもともとお話を書いてはいたけれど、小説家になろう、と決心したのは、きっとクリスの影響があったと思う。クリスが、「俺たちのことを小説に書けばいい」と言ってくれたから、勇気が出たんじゃないかな。それまでのゴーディは、大好きだったけど、今はもういない兄に比べられて、アイデンティティを見失いかけていた。でも、クリスによって、小説を書く自分、というアイデンティティを思い出せたんじゃないかなあ。
ゴーディとクリスは似ていたと思う。だからクリスは大学時代に勉強して、弁護士になったわけだし。でも、二人の運命は平行線ではなかった。わずかに傾いていて、時が経つにつれ、大きく開いてしまったのだ。
ゴーディが、森の中でシカを見つけた、と語るシーンがある。でもこのことは、ゴーディ以外誰も知らない。何気ないシーンだけど、これが運命を分かつ伏線のような気がして、二回目見た時はちょっとしんみりしてしまった。
小学校時代に、クリスに似た子がいた。(語弊がある言い方でごめんなさい。決して、早死にしそうなタイプ、とかではなく)
誰とでも打ち解けられるんだけど、かといって自分から誰かにつるみにいくような子じゃなかった。学校内で一人でいるところをよく見かけた。すごくきれいな瞳をしていて、子供ながらに「男の子でこんなきれいな目の子がいるんだな」と思っていた。
今より多少明るかったけど、それでもやっぱりおとなしくて、友達は少なかった。そんな私に、声をかけてくれて、一緒に話したり、彼が言う冗談で笑ったりした。
中学校までは同じ学校だったけれど、違う高校に進んだので、それっきりだった。
高校の付き合いは今でも続いているけれど、中学校の付き合いはほとんどない。ラインでつながっている子も何人かいるが、ほとんどトークしたことがない。
それでもやっぱり、何かにつけてその男の子を思い出すことがあるし、彼以外にも、ふとした瞬間に思い出す人が何人かいる。知らず知らずのうちに、どこかですれ違っているのだろうか。
もし彼らに会うことがなかったとしても、忘れることはないだろうし、できればみんな、それぞれの幸せな道を歩んでいてほしいな、と思う。そして、私のことも、たまに思い出してくれる人がいたらうれしい。
それでは、この辺で、さようなら。
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