【超短編小説】猫と井戸

猫を井戸に捨てた。猫は溺れて、にゃぁにガラガラ声が混じり、やがて静かになる。
なんで捨てたんだ、と怒られる。水が汚くなるからだった。死んで尿とウジで水は飲めたものでなくなってしまう。
そっちを怒られるのか、と人の倫理を疑う。悪いのは自分なのに見上げた根性。怒った人間もまるで人のできたものではない。明るくとも、屑なのだった。明るいだけで男は、一人前になれるのだから私のような人間は半人前の半人前それまた半人前だ。ダンゴムシの足の隅にもならない。
猫が死ぬと井戸は悪臭を発すようになり、すぐそばの我が家にもゴキブリや気をもむような多足昆虫が湧くようになった。不思議なことに、猫を捨ててから井戸に身投げする動物が増えた。猫はもちろんの事カラスや野良犬。幼児が死んでいた時は肝を冷やしてコンクリでも流し込んで蓋をしてしまおうかとも思った。ただ牛が死んでいたこともあるのでどうしてももったいなくていけない。
肥溜めよりも臭いが酷いのでまた怒られるとヒヤヒヤしていたが、誰一人私の周りには寄り付かなくなった。幼児の両親はいまだに私に何も言ってこないのが逆に不信感を誘う。
私は怖くて、家畜が死んでくれるのだからこの穴はいい物なのかもしれないと怖がったり嬉しがったりを行ったり来たりしている。
もう井戸としての認識がない。穴として考えたほうが自然なのだ。だって、ドロドロと汚泥が溜まっているだけなのだから井戸と思っていては間違えて飲んでしまう。
飲んでしまったらアハハハと色々、生き物のエキスのせいできっとキチガイになってしまう。
溶けているのには人も混じっているのだからどんな動物にもきっと毒だ。
ああそうだ、思いつく。怒ってきた男は二軒先の隣人なのだけど個人的な恨みがある。仕事での上司でいつも何かと小言を言ってくる。いつも明るいのだって私を見下しているからだろうし何より雰囲気が嫌いだ。だからあの井戸の水を飲ませてみようと思いついた。
そうとなると、早いもので今夜家に来ないか、と誘いをかけた。2、3の同僚が来る。鍋を用意して継ぎ足しの秘伝のタレのような井戸から組んだ汚泥を鍋に入れる。
お湯を入れて混ぜ白菜や豚肉、鶏肉を入れる。煮えてきたところでコンソメを入れて味が整える。味見をする。
「嘘、おいしい。」
コンソメのせいで整わないはずの味が整ってしまった。どこかエスニックな生臭くもある、ツンと癖のある味。
「来たぞー。おじゃまします。」
上司が来た。机の上にはバケツに入った汚泥。
「くっせぇなんだこれ。」
「あれ、二人来るんじゃなかったんですか?」
「なんか行かないって。」
「家族いますもんね。」
「そうだよ。俺らだけだろ結婚してないのは、仲良くしてくれてありがとうな。」
汚泥スープのおいしさのせいで頬が緩む。殺そうとしてたのにそんな気も無くなってしまう。
「先輩従妹いましたよね。」
「なに?うちの従妹と結婚しようと思ってる?」
「え、え別に。そんなことないですよ。」
「俺、ホントは従妹と結婚したかったんだよな。でもやっぱ世間体やべぇじゃん。」
「まあ親からは縁切られますよ、おそらく。」
「だよなぁ。だから助けてくんね。まず、お前が近づく、悪い男のふうにして俺が助ける。よしグッドラブ。」
「いいですけどいけますかねぇ。」
「大丈夫でしょ。傷つくのは俺じゃないし。」
こいつ、でも不思議と腹は立たなかった。美味しいスープのせいだった。
数日して汚泥を味噌汁の出汁と使うようになってから、上司の従妹に会うことになった。そういえばいくつか聞いていない。私はあまりに家に出ないから気をまわして上司が家まで連れてきてくれた。
「どうも。連れてきたぞー。」
手を繋いでいて親子みたい。これと結婚したいと言っているのだからイカレている。
「こんにちは!りんです!はじめめして。」
「初めまして。いくつかいえる?」
「言える!えっとね、7、じゃない8歳になったんだよ。」
「6月9日が誕生日なんだよな。」
「違うよ?6月6日だよ。おじさん物覚えわっるいの。りんのことなんてどうでもいいの?」
「そんなことないと思うよ。」
「ああそんなことない。」
「おじさんこう言うと嬉しそうにするよね。私の事好き?」
「えっえ、普通だよ。」
「お兄さんはこうなっちゃだめだよ。」
「あ、はい。」
「で、なんで来たんだっけ。」
「りんちゃんと仲良くなりたいんだってこの、お兄さん。」
「ええ、しょうがないな。」
頬に子供らしいキスをされて思わずハッとする。恐ろしい子供だ。
「好きになった?」
「あ、っちょおい。おじさんにもほら。」
「えーやだよ臭いもん。」
「好きになりました。」
「ありがと。おじさんにはしないからね。」
「じゃあおい。お前しろ。キスしろ。」
「えっ、やですよ。なんで私がするんすか。」
「間接キス。」
「はぁあ?されたのほっぺなんですけど??」
「なんかごめんね、りんのせいで。」
一番大人なのはこの子で無いのだろうかと思う。男と言えどお互い子供すぎる、だから結婚もできない。ともかく悪い男を演じないといけない。
「痛、なんで叩いたの?」
「さあ、なんでだろうね。おじさんに聞いてみたら。」
「おじさん。」
上司はにやにやとしている。
「なんで笑っているの?」
「お兄さんに訊いてみたらいいじゃないか。」
「ねえ。なんで叩いたの?お兄さん。」
「好きだって。りんちゃんの事おじさんが好きだって言うから叩いたんだよ。」
「意味わかんない。2人とも酷い。」
「あっ、待って。」
りんちゃんは泣きながらあの井戸があるほうに走って行った。ボチョンという音がしてシンと耳が痛くなった。
「あ、あああ、あああああああ。」
上司はプカリと浮かんでいるりんちゃんをみて膝をついて言葉にならない声を上げていた。
「ごめんなさい。」
「なんで、蓋してないんだよ。」
「ごめんなさい。」
下を覗き込んでいる上司の背を押した。
「ごめんなさい。美味しくいただくので。」
「おい!助けて、いやだ。ああ。りん。ほんと最低だよお前。」
「知ってますよ。」
この夜は井戸に蓋をして眠った。重い石の蓋を。コンコンコンと二日なっていたが三日してシンとなった。
汚泥の味はすっかりまずくなりりんちゃんがくさいと言っていたなと、思い出していた。うるさい奴が一人減って、清々した。


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