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【短編童話】浴室の人魚

浴室にはひとりぼっちの人魚がいました。柵のある窓にはヤドリギのツルが絡まり、暖かな湯船は自分の赤い赤い血液で満ちていました。
人魚は死なないので寒い時はそうして暖を取るのですが別に今は夏ですし、寒くもなんともありません。
水の中にいる時は体重があるのですが地上に上がると人魚は泡のように軽くなります。

夏の暑さと月の引力で干上がった浜に打ち上げられていたところを彼女は連れて帰りました。小さくて、無邪気で、善悪の区別もつかない幼い孤独な女の子、人間の言葉はわからないし足も無いので浴槽から出てその子の孤独を埋めてあげることはできません。ただその子が会いに来るのを人魚は血を流しながら待っています。いつまでずっと。

自分をこんな狭く冷たいところに連れて来た少女のことが人魚は大好きでした。いざとなれば食べてしまうこともできましたが人魚はただ少女の持つ痛みと苦しみと抑圧された暴力性を受け止め続ける入れ物になることをえらびました。

第二の母になることで彼女の飢えを埋めて、受け入れてあげたのです。傷口から出た血液はいつまでも暖かく少女の皮膚の上を伝います。人魚の肉が剥がれる音が狭い浴室を響きます。文字通り、顔を変えて第二の母になった人魚を何度も何度も残酷に、有り合わせの切れ味の悪い果物ナイフで突き刺します。その度に恨みが募っていくので夜明け頃まで二人は一緒に過ごすことになりました。

不死の人魚にとって身体に異物を刺し、血を流すという行為は人間でいうところの自慰行為のようなものなので肉を剥がされても嫌な顔一つしません。むしろどんどん少女のことが好きになっていきました。人魚は人の顔をしていますが所詮魚なので知能はカラスよりも劣ります、そのためバケツに入った魚と同じように逃げるなんてこと考えないのです。

ある日少女は人魚の腕だけでは飽き足らず、自分の手首も同じように切るようになりました。その頃には少女も人魚に特別な感情を抱くようになっていたので手首同士をすり合わせ互いの血液を混ぜ合わせる遊びをするようになりました。人魚同士のそれはただ戯れあいの意味しかありませんが二人には性交と同義でした。人魚は人の血で傷を治し、人は人魚の血で傷が治ります。その時に稲妻が走るような快楽が全身を駆け巡るので、少女はだんだん淫に女らしい体つきになっていきました。もう12歳にもなるのに元々子供らしい容貌でまだあれもきていないくらいでした。

声も枯れて、一時変声期前の男の子と変わらないほど低くなりました。少女はその頃からあまり人魚に会いに来なくなりました。

次に来た少女はすっかり女になり、お腹を大きく膨らませ出産寸前でした。山奥のこの場所まで少女は一人来たのです。
人魚には少女がスッカリ変わってしまったように見えましたが産み終えた少女を見て安心したようになりました。その顔はあの頃の無邪気で孤独な少女と変わらなかったからです。
子供は産声も上げず死にました。人魚は差し出されたそれを迷いもせずに食べました。そうして顔を変え、代わりに産声を少女に聞かせてあげました。それを聞いた少女は自分の胸を包丁で刺し、死のうとしましたが人魚の血が皮膚に染み込み過ぎていた為に死ねませんでした。少女はいつまでも少女のままで消えない孤独を埋めようとお腹を膨らましては人魚に胎盤ごと食べられる快楽を知り、何度も何度も美しく暖かな人魚に会いに行きました。その場所は寒く、汚く、いつまでも愛に満ちていました。だけど二人はそのことにいつまでも気づくことはありませんでした。
あの窓にはまだ今も変わらずヤドリギのツルがはっているのでしょうが。それは二人にしか分からないことです。

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