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思春期=「クズの本懐」なので読もう、そして乗り越えよう

現在、連載当初から読み込んでいた漫画『推しの子』のTVアニメをもちろん視聴している。

だが、それとは関係なく、今更かもしれないが、いや、この時期だからこそ作画担当の横槍メンゴによる恋愛作品『クズの本懐』について記す。

安楽岡花火と粟屋麦は誰もが羨む理想の高校生カップルだが、花火は幼いころからお兄ちゃんと慕っていた鐘井鳴海、麦は昔家庭教師をしてくれた皆川茜が本命の想い人であり、それをお互い了解していた。花火たちの高校の新任教師になった鐘井と茜は次第に距離を縮めていくことを知った花火と麦はお互いに似たところがあるのを感じ、好きにならないこと、どちらかの恋が成就したら別れる、肉体の欲求には何時でも受け入れることを了承しながら付き合う『素振り』をしていく、という人間味の解像度がオーバーキルしている濃厚で素晴らしいラブストーリーである。

『思春期』の登場人物たちは、全員寂しいものである。何か満たされているようで何か救われていないし、何か救われているようで何か満たされていない。何もかも持っているようで、何かを探している。何かを探しながら、何かを持っている。それが寂しさの正体だと思う。しかしその寂しさは、『思春期』だから、で片付けられそうな衣を着ているように感じる。それが嫌だったが、それでも良いと思っていた。

しかしその作品は、その正体不明のものに真摯に向き合って、答えを追い求めるためにたくさんの事柄を傷つけ、傷つかないために歩む美しさがある。わからないことを言い訳にしない。結果わからないのもそれはそれでありかもしれないが、逃げていないのがとてもかっこいい。オーバーキルだからこそ美しいのだ。

そして最終的に、その「何か」は絶対に見つかる、必ず幸せになれるはずだという、希望というよりは「断定」をメッセージとして私はうけとった。良い人が傷ついて幸せになる話は数あれど、作品タイトルのクズが幸せになれるように、クズの探求心をたっうり描いているので、「思春期」=クズの本懐と定めて成立する。まるで仁王立ちをしているような作品である。

結局自分のことは、自分が1番わかっていない。だが、絶対わかるものなんだ。

『クズの本懐』を摂取すれば、自分自身の本懐をつかめる気がするし、すでに掴んでいる気にもなれる。そしてこの作品を乗り越えることが、我々が有難く頂戴した本懐なのかもしれない。

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