短編小説 ~団地のサッカー問題~①
その日は、冷たい風が街を吹き抜け、曇り空の下に小雨が降り始める冬の午後だった。主人公、佐々木は、車のエンジンを切り、広間に続く細い道を歩き始めた。訪れるのは、県営集合住宅の敷地内にある広間だった。かつては地域の子どもたちに愛されていた遊び場で、滑り台やブランコが並び、笑顔と歓声に包まれていた場所だ。しかし、今ではその面影は薄れ、安全上の理由で遊具が次々と撤去され、砂場と空き地だけがぽつんと残されている。
「佐々木君、次の現場は、例の集合住宅の広間だ。住民からのクレームが多いらしいから、きちんと現地を確認してくれ。」
出発前に上司樋口の口から言い渡された言葉が主人公の脳裏をよぎる。その上司は50代の男性で、かつてこの集合住宅に住んでいた過去を持つ。少年時代の上司にとって、この広間は思い出の詰まった場所だった。まだ小学生だった頃、ここで野球をしていた時に、近隣住民の家のドアをへこませたり、窓ガラスを割ってしまったりしたことがあると、苦笑い交じりに語ったことがある。そんな上司だからこそ、今回の広間撤去計画にはどこか寂しげな表情を見せていた。だが、何度も寄せられる住民からのクレームや駐車場・自転車置き場の不足問題を前に、計画を進めざるを得なかった。
車で片道数十分をかけ、現場近くに到着する。閑静な住宅街にある昔ながらの団地である。近くの駐車場を探すのに少し苦労する。住人同士でも駐車場不足から、要望が上がってるのを実感できる。
ようやく広間に到着した主人公は、薄暗い曇天の下、かつての面影を微かに残す場所を目にする。錆びついた砂場、雑草が茂る広場、そしてその周囲を取り囲むように立つ県営集合住宅の無機質な建物たち。その空間にはどこか懐かしさと寂しさが同居しているように感じられた。
その広間では、数人の子どもたちがボールを追いかけながらサッカーをしていた。即席のゴールは、広場に生える木々だった。彼らはこのわずかなスペースで工夫を凝らし、楽しそうに遊んでいた。その様子を目にした主人公は、一瞬、幼い頃の自分を重ねてしまう。こうしてみてると、よくある風景の一つに過ぎないと思える。昨今は家の中での娯楽にあふれてることを踏まえると、実に健康的だとほっこりする自分がいる。
しかし、その和やかな光景は突然の怒声によって壊される。
「おい!そこで何やってるんだ!サッカーなんてするな!」
振り返ると、60代の男性が広間に向かって怒鳴り込んできた。その男性は広間近くのマンションの1階に住む住民だった。上長から告げられていた、よくクレームを挙げてくる人物その人である。彼は普段から「子どもの声がうるさい」「ボールが当たる危険がある」といった理由で広間の使用にどうにかしろとクレームを入れている人物だった。そんな彼が、怒りに満ちた表情で子どもたちに詰め寄り、「近所迷惑なんだよ!」と声を荒げている。
「ご、ごめんなさい……」
ボールを蹴っていた一人の少年が、怯えたように謝罪する。しかし、その後ろにいたもう一人の少年が、涙ぐみながらも負けじと口を開いた。
「でも、ここしか遊べる場所がないんです!」
その言葉に男性はさらに苛立ちを募らせた。
「そんな事情は儂には関係ないし、知らない!周りの迷惑なんだ。大人しく家で遊べ!親にゲームでも買ってもらえ!」
「うちにはそんなの買うお金がないんです!」少年が叫ぶように返す。
その瞬間、男性と少年の間に静かな緊張が生まれた。
主人公は、そのやり取りを黙って見ていることができなかった。一歩前に出て、間に割って入る。
「すみません、お話をお伺いしてもよろしいですか?」
主人公はまず男性住民に目を向け、落ち着いた口調で尋ねた。
私は最初に自身の身分について明かす。するとすぐに、
「こいつらがボールを蹴り飛ばして、窓ガラスに当たったらどうするんだ!?そうでなくても、毎日声がうるさくてかなわない!」
特に鬼ごっこだの、かくれんぼだとしてるときの感じがたまらない。
男性の声は怒りで震えていた。しかし、主人公はその奥に、孤独や苛立ちといった感情を感じ取る。
「確かに、ボールが当たるのは危険ですし、声が気になるのも理解できます。」
主人公は男性の言葉に耳を傾けながら、一つ一つ丁寧に同意し、彼の不満を認めていく。男性を落ち着かせ、ある程度まともに話せるようになった。そして、子どもたちに視線を移し、彼らの言い分も聞き出すことにした。
「君たちは、ここで遊ぶことがどうしてそんなに大切なんだ?」
主人公の問いかけに、先ほど涙ぐんでいた少年が口を開く。
「学校の校庭は、部活の人しか使えないんです。家で遊ぶと、狭くてつまらないし……。ここがなかったら、僕たち、どこで遊べばいいんですか?」
その言葉を聞いて、主人公は彼らが抱える切実な事情を痛感した。一方で、男性住民も黙り込んだまま何も言い返せなくなっている。
話し合いの末、男性住民はしぶしぶその場を離れたものの、「場所があるからいけない。やはりこの広間はもう撤去するしかない」と強く言い残していった。
主人公はその後、子どもたちに声をかけ、さらに詳しい事情を聞き出す。彼らは、不安そうに言葉を紡ぐ。
「また遊び場がなくなったら、どうすればいいの……?」
「僕たちはスマホもゲームも持ってないから、家じゃ遊べないんだ。」
その言葉には、現代の子どもたちが抱える問題が凝縮されていた。主人公は心を痛めながらも、男性の手前、一度彼らに帰宅、解散を命じた。心情的に、立場的にも、彼らの見方でありたいというのが私の心からの想いだ。
しかし、その想いに従って行動することが私には出来なかった。
何故なら、すでに撤去の方向で話は進んでしまっていたのだ。
私は子供たちを納得させるために聞こえのよい言葉を発したこの口で、そのまま、集合時間にやってきた、仕事相手との話を進める。
現場の測定や調査を業者と共に進め、その資料を基に、今後の対策を決めていくのだ。残念ながら、この広間を撤去し、駐車場や自転車置き場として再活用する計画は着々と進んでいた。これを白紙に戻すということは段階が遅すぎるのである。