自身を殺す人生
12月3日、親とテレビを見ていた。内容は特に覚えていないが、最後に俳優が「一度立ち止まって自身のやりたいことを考えみてください」と言っていた。
それを見た親に「ほら、言われてるぞ」と言われ、「自身のやりたいことを考え直すことの大切さ」を熱弁された。
やりたいことって何?なんか皆が大学行くから興味のある学科行っただけだし、ここまで脳死で生きてたからやりたいことなんてないんだけど。そもそも立ち止まるってなに?今ニートだから既に立ち止まってるんだが。
そう思いながらも自身のやりたいことを精査することにした。
まずは一度立ち止まってみる。いや、どうやったら立ち止まれるんだ?今までの人生、周りに追いつくことに必死で立ち止まる暇なんてなかった。
周りが作ってきた轍を踏んでいるだけの人生だった。
スマホで調べても意味が書いていない。しょうがない、今までの人生を振り返るしかないか。 一体これで合っているのだろうか。
僕が学校という組織を嫌いになったのは5歳からだった。保育園に通っていた頃から、家という安心できる場所から離れることがとても嫌だった。それで毎日泣きながら通園させられていたのを覚えている。
そのまま小学校に上がっても当然学校が嫌いなままだった。恐らく5年生からだろうか。脳死した状態で生きていると1番楽なことを覚えた。
ここで言う脳死というのは、自我を殺してその場に無理やり居れるようにする私なりの処世術だ。この時はまだ脳死状態に慣れていなかったが、慣れてくると必要最低限のことだけ判断、行動が出来るようになる。その代わり楽しい、悲しいに関わらず記憶がほとんど残らないようになる。
だが恐らくそのせいで負のループに入ったのだと思う。
中学生の時に脳死した状態ではこの先生きていけないことを知る。小学生の時は頭も悪くなく、テストで100点を取れるのは当たり前だった。だが中学生になった途端70点程度しか取れなくなる。また、周りが思春期に入り、以前の優しかった姿(今となれば小学生の時は可愛がられていた)を消してしまった。
その事に驚きを覚えた私は母に報告したのを覚えている。その返答が「みんなも自分のことで大変だから」だった。
その時は、その気持ちが理解出来ないと思った記憶があるが、今思えばその頃から精神の成長が小学生で止まっていたのかもしれない。
中学生2年生。不登校になった。周りについて行くのが不可能になり、鬱状態になり学校に行くのが出来なくなった。親には行けない理由を毎日問われ、姉には無視されるようになった。その時の僕は脳死した上に語彙力がないので行けない理由を説明できず、ずっと怒られておりさらに鬱状態が増すことになる。
その年の冬、なぜか僕は母に「進級式から学校行くから」と言ったのを覚えている。なぜ3年生から行くことになったのか。今でも分からない。だが、恐らく将来の不安を考えた時に高校には行かなければ行けないという「脳死してない状態の僕」が一生懸命考えた結果なのでは無いだろうか。
高校入試、当然ながら勉強が止まっていた状態で入試に挑むのはとても厳しい戦いで必死に勉強した結果下から3番目で合格した。
だが結局周りが高校に行ったから高校行っただけで、全く学校なんか好きじゃなかった。
高校生、何も覚えていない。ただ脳死したことでなんとか3年間行ききったのは覚えている。中学2年生は毎日将来のことを考えて地獄であったが、高校生は毎日明日のことを考えて地獄だった。
大学生、興味が会った心理学を学びながら、やっと私の人間味を取り戻していく。前半はこれまでの癖で脳死した状態で生きていたのだが3年生から脳死せずに現実と向き合った結果、そこまで対面すべきストレスがないことに気づく。
卒業後、就職。
何故か異常に期待されており、周りは2週間東京研修なのだが、私だけ1ヶ月半東京に幽閉されることになる。
仕事自体にはやりがいを感じ、給料がとてつもなく高く、ある意味充実していたが怒号が飛び交う職場であり、脳死すると仕事できない。だから脳死せずに仕事をしている内に隠れていた大きなストレスと真っ向から対面し、適応障害と診断された。
ここで初めて心療内科に行くことになる。
私自身ADHDぽいなと感じてはいたが、別に生活自体に苦労はしておらず、大学もストレートで卒業した。だからADHDでは無いと感じていたのだが、先生によると結構重めのADHDらしい。
ここから薬を飲む生活になるのだが心に変化が訪れる。 なによりさっきから言っている「脳死状態」について認知するようになった。今までは無意識の状態で脳死していたのだが、最近になって私自身に意思があり、考えがあって行動していたことを知った。そして「脳死状態の私」とは別に「脳死状態の私を傍観している私」の存在にも気づいた。
このことを先生にも言ってみたいと思うが未だに自身でその状態について詳しく説明ができず、言うことが出来ていない。
そこで最近になって今までの人生の合致がいった。
中学生で不登校になったのも「周りに追いつけないから」じゃなくて「このままだと周りに追いつけないまま距離が離れそうなのが怖いから早めに逃げたい方がいいと傍観してる私が思ったから」
大学で心理学を選んだのは「傍観している私が1番必要としている知識だったから」
前職も退職したのも「しんどいから」じゃなくて「傍観している私から見るとしんどそうだから」
ということに気づくことが出来た。気づくにはとても遅すぎたがこれからなんとか頑張っていくしかない。
この「脳死状態」はまだ消えておらず、たまに「傍観している私」が出てくることがある。私はなんとかこの「脳死状態の私」を消せるよう出来るよう努力していくつもりだ。
話は逸れたがこれが今までの人生と現状だ。
結局やりたいことはなんだったのか。
心理系の資格を取っており、心理学自体に未だ興味は向いているので心理職にまた就職したいと考えている。
なんとか生きていくしかない。
今は、傍観している私と一緒に脳死状態の私を殺している。