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日記が教えてくれたこと

 こんばんは、いたんです。朝方と夜はもうすっかり冷えてきましたが、みなさま体調などは崩されていないでしょうか。

 さて、今回のテーマは「日記」。というのも、最近日記を書くのが日課になりつつありまして、夜な夜な蝋燭を焚きながら薄暗い中で日記を書くのにハマっております。
 そんなわけで今回は、日記にまつわる私とパートナーとのお話をさせていただきます。


日記、書きますか?

 みなさんは、日記書きますか?私は、日記というより日々の気づきをスマホのメモにせっせと残すタイプで、今日〇〇をしたといった”日記”を書くのが非常に苦手だったんですね。感情を文字にするとなぜか小っ恥ずかしくて、誰かに見られたらという恐怖感もあり、あまり続かずにいました。ですが、ある工夫をすることで改善されたのです。それは、、、、

「語り口を小説風に書くこと」

です。は?と思った方もいるでしょうから、具体的に書いてみましょう。例えば、

今日は〇〇をした。Aさんがこう言ってきたのがすごく嫌だった。もう、会いたくないな。

というようなことを残したいとすると、

今日は、〇〇をした。知人にAという人物がいるのだが、そいつは大層嫌なやつである。今日は、そいつのせいで完全に嫌な一日となった。あいつにもう一度会うくらいなら、このまま海に身を投げたほうがマシである。

という感じです笑。下のほうがよっぽど人に見せられないような黒歴史感は漂っていますが、自分というより”自分というキャラクターが書いている日記”というふうに思えて、すんなり書きやすく内容も入ってきやすいです。私だけですかね笑。あとは、詩のように言葉として残したり。
 こんな感じの工夫を凝らしながら、少しずつ日々の記録を溜めています。

なぜ、私が日記を書くのか

 では、なぜこんな工夫を凝らしてまで私が日記を書くのか。それは、「感情を忘れないため」です。単純明快ですね。基本日々を感情ベースで生きている分、感情の蓄積も非常に多く、かつ、更新されまくっていくことで忘れっぽいんですよね。
 また、過去に悩んだことって意外とおんなじことを現在や未来で悩んでいたりするものなんです。だから、私は日記に悩んだことや困ったこと。そして、それを乗り越えていく過程を残しておくことで、これからの自分の道標になることも多々あります。

 辛く嫌な記憶は人間誰しも消したいものかもしれません。しかし、振り返ってみたときに人生の味となるのは、苦悩なのではないか、と最近は考えるようにしてどんなことも、カッコ悪いことも、辛いことも書き残すようにしています。もちろん、幸せなこともね。

 前置きが長くなってしまいましたが、そんな私の日記が私を助けてくれた実際のお話を一つお伝えしたいと思います。

日記が教えてくれたこと

 先日、「久しぶりに死にたくなった話」という不気味なタイトルの記事を書きましたが、あの記事に書いた最悪な出来事の直後、実はパートナーと初めて大きな喧嘩をしていました。

 なぜ、揉めてしまったかというとまぁ簡単に言えば”価値観の違い”みたいな感じですかね。2人の中で大事にしたいものが結構ずれて、それをお互い守りながら、お互いを思い合うこと。それを両立するプランが明確に見つけられず、久しぶりに頭を抱えてしまいました。

 私にとって、パートナーとの関係で大切なのは、「相手が私のことを大切に思ってくれているか」なんですよね。それが、感じられないもしくは、感じさせる・伝える努力を相手がしようとしないことは、私の中では結構終わりに近いんです笑。彼自身は、感情が豊かな方ではないので、それを非常に感じづらい。そんな中での彼の「会う時間が少なくなるかもしれない」という発言があった(それに、それを補うような行動のプランも見えなかった😶‍🌫️)。大事にされている実感がないと生きていけない弱い私は、このまま大事にされているかどうかあやふやに思いながら彼と一緒にいられるだろうか、と割と真剣に悩みました。

 そんな中なので、日記には彼に対する疑念や愛情を求めるような言葉、もし関係が本当に終わってしまったらという恐怖とこのままでいいのかという不安。そんな感じの日々が1週間ほど続きました。

日記が私を助けてくれた

 そんなある日、ふと昔の日記を見返してみたんです。縋るような思いで、彼に関することが書かれているページを探しました。これが意外となかった笑。はっきりと彼に関する感情が残されているページをやっとの思いで見つけ、読んでみるとそれは2人で初めて会った日の日記でした。すると、不思議なことにそれを書いた時の感情がみるみるうちに蘇ってくるんですね。

 この関係がどうなろうと、この日のことだけは忘れたくないとペンを持ったあの感覚、楽しかった記憶に浸りながらページを開く感じ。こんなことを思いながら、その日記を読んでいると最後に、こんな文章がありました。

普通でいようと努力しすぎていた自分を、彼が戻してくれた。
自分の中にある感情の正体が尊敬なのか、恋愛なのか、はたまた依存なのかわからないけれど、今はただ会いたい。話したい。そう思える人だった。

 これを見て、あぁそうだ、そうだった。彼はそういう人だった。彼のこういうところが好きだった。彼は、本当に素敵な人なのに、自分の都合の良い人にしようとして、勝手に絶望しようとしていたのは自分だった。過去の素敵な思い出に縋っているのではなく、今も昔も変わらない彼の素敵さを再確認し、彼ともう一度向き合おうと決心しました。

 その後、すぐに会って話す場を設け、何時間にも及んで話し合いをし、結局明確な解決策は出なかったけど、お互いがお互いのために努力は怠らないようにしようと2人の中に決意が芽生えたように思います。これからはもう少し、歩み寄って、手を取り合って生きていけるような気がします。

終わりに

 さて、今回は日記が私を救ってくれたお話でした。いかがでしたか?
偉そうに記事を書いていてなんですが、私も毎日必ず日記を書けているわけではありません。元気がない時や、忘れたくないなと思ったことがあった時に特に書いている気がします。ただ、私の理想は、特に何もない日でもふとした時に思いついたことをサラッとかけるものにすること。なので、この日記はなるべく肌身離さず持っています。また、今度使っているノートや歴代の日記帳、使っている文房具などもご紹介してたいと思います。ご要望があれば、コメント欄にぜひコメントください😊

 日記がみなさんのこれからを救ってくれますように。今日も読んでくださりありがとうございました。それでは、また。

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