イッキ読み【停戦してないのに戦場記者の賞って本来必要なのか?】
パレスチナ以外の全てのジャーナリストに賞を与える事に疑問がある。
そもそもパレスチナが停戦する前に記者の賞がある事自体、違和感を覚える。
後藤健二の身代金に動かなかった日本の記者が賞を貰う事に違和感を覚える。
パレスチナ市民の撮影では賞を貰えず、記者のみってのは閉鎖的ではないか。
勿論、亡くなった記者は賞を貰って良いが生きてる日本の記者が賞を貰うのは辞退した方が賢明って思う。
そもそも何で停戦してないのに停戦より先に賞があるんだろう。
死んだ子供には賞がなくて記者じゃないと賞が貰えない。
つまり、危険な場所での努力に賞が貰えるのだが逃げた子供も努力したけど賞は貰えない。
撮影抜きの努力は努力ではないと言う事なのか?
賞とは何だろうってゲシュタルト崩壊する。
報道する事によって明らかになる戦争の歴史と言う側面と同意のない被害者の撮影。 飽くまでも同意してるのはイスラエル政府の側であってイスラエル市民が怪我した場合、否定する前に撮影する事もあるだろう。
イスラエル市民を避難させるより戦場でカメラを回す事が優先事項になり、個人の撮影許可の同意なんてやってない。
これは人命で救急車を呼ぶよりも臨場感がある撮影の撮れ高に執着する。
悪魔みたいな話である。
勿論、撮影して過酷な被害を拡散して貰いたい市民も居るだろう。
過去に従軍記者で臨場感のある写真を撮影した記者が賞を貰い、英雄扱いされるとともに不快感を感じる。
昔から私は違和感しかなかった。
戦争では何処の国でも統制された窮屈で縛られた時間と指定された場所で自由に撮影出来ない。
限られた規制の中での撮影出来た事は利権と思惑の中での機会であって記者が素晴らしいとは到底思えない。
交渉術は必要だけど、そこで評価してしまう事は私はしない。
犠牲の前では凄い・カッコイイ・英雄・素晴らしい等の褒め言葉は浅はかだと思う。
勝谷誠彦は好戦的なジャーナリスト。
戦場が好きで現場に行ってる。
だから一般人市民の感覚は特殊な現場で行って戦場を金儲けにして専門でやると言う気持ちが根強い。
だから記者の薄っぺらさが嫌い。
勝谷は面白い話もするが戦場の国境でワクワクしてる所は全く評価しない。
他にも戦場ジャーナリストで恋愛する記者が居るがまるで織姫と彦星みたいな感じになって現地で恋愛する記者も居るらしいがそれも違和感がある。避妊などしてないだろう。
遺体がバラバラで放置されてる戦場から帰国して得意気に戦場でモテるとヘラヘラ自慢するのも好きじゃない。
以上が私が記者に対する疑問点である。
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