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東海道五十七次 徒歩の旅⑪舞阪宿~吉田宿
こんにちは。26歳女です。
2024年11月から12月に、18日間かけて東海道五十七次を歩きました。
この記事では、東海道五十七次を歩いた記録を書いていこうと思いますので、これから歩く人にとって参考になればと思います。
これまでの記事一覧はこちら↓
今回の内容
今回は、出発して10日目に歩いた舞阪宿~吉田宿について書きます。
この日は、旅が始まってから初めて、辛すぎて完全に心が折れ、べそをかきながら歩きました。
何がそんなに辛かったのか。
見てください、この天気を。
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天気は良いものの、強風の中1日歩くことになったのです。
(国道を歩いていたときは、突風が吹くたびに風にあおられてよろけていました)
加えて、この日歩いた豊橋市の道は、見どころがない道だったのと、予約をしたホテルが東海道から大きくそれるところに位置していて、色々なことが重なって完全に心が折れてしまいました。
「東海道で一番つらかったところはどこ?」と聞かれたら、迷わず「静岡から愛知の県境、豊橋」と答えます。(豊橋の方、申し訳ないです)
とはいえ、この日歩いた道は、江戸時代から風が強い地域らしく、度々火事が起こっていた歴史を持つところでした。
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舞阪宿出発
12月4日(水)、天気は晴れ。
生まれて初めて浜名湖に来たのが嬉しくて、この日は日の出を見るために6時半頃外に出ました。
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写っている鳥居は、弁天島のシンボルタワーとして1973年にできたものです。
部屋に戻るついでに、この10日間で爪が伸びていたので、爪切りをフロントでお借りしました。
朝ご飯を食べて、8時過ぎにホテルを出発。
宿泊したホテルはこちら↓
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↑出発してすぐ、箱根関所に並ぶ難所の新居関所に到着です。
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↑新居関所には、渡船場がありました。
ここでは箱根関所と同様、「入り鉄砲出女(いりでっぽうにでおんな)」を厳しく取り締まりました。これは、治安維持のために鉄砲が持ち込まれるのと、江戸屋敷に人質としている大名の妻女が逃げるのを取り締まる言葉です。
関所は手形がないと通行できず、手形がないまま突破をしようとすると処罰されます。1867年の慶応の改革まで関所は存在をしていたので、日本人が関東と関西を自由に行き来できるようになったのは、実はまだ150年ほどの歴史なのです。
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↑高札場跡がありました。
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↑新居宿に入りました。
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↑この松並木は、虫食いによって全滅し、1987年に植え替えられたものです。ここからしばらく静かな道を進みます。
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↑新居宿と白須賀宿の間に、立場跡がありました。
立場は、旅人や人足、駕籠かきなどが休むお茶屋さんがあった場所を指します。
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↑白須賀宿に到着です。
白須賀宿は、1707年10月4日に発生したマグニチュード8.4の巨大な地震の影響を受けた場所です。
揺れによって泥が噴出し、家が将棋倒しになって、火事が発生。
それを大津波が襲い、宿場町は全滅してしまいます。
同年11月23日に富士山が噴火。
1708年6月に、白須賀宿は宿場ごと、この先にある潮見坂の上の方に移動することになりました。
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↑ここで同じく、東海道を旅しているご夫婦にお会いしました。
横浜から4年かけて旅をされているとのこと。
お話をしてみると、東海道を旅するだけあって、面白いご夫婦でした。
道中お会いをするシニアの方は、みなさん数年かけて観光しながら東海道を旅されていたので、そんな楽しみ方も老後はありだなと新しい楽しみ方を勉強させていただきました。
京都の三条大橋についたら、良い旅館に泊まって美味しいものを食べたいとお話をされていました。素敵だ。
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↑東海道屈指の景勝地である潮見坂。
登って後ろを振り返ると、駿河湾が綺麗に見えました。
ここは京都から江戸に向かう際、初めて太平洋や富士山を見ることができる場所として有名なところでした。
歌川広重も、東海道五十三次の浮世絵にこの海の景色を描いています。
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↑登り切ると、おんやど白須賀という無料休憩所がありました。
白須賀の歴史について解説をしてくれます。
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↑面白くて長居していたら、先ほどお会いしたご夫婦にまた会いました。
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↑海は元気をくれる。富士山はどうしても見えませんでした。
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↑本陣跡。
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↑各民家に、昔ここに何があったのか、プレートがかけられています。
この周辺は、潮見坂下にもともとあった白須賀宿が、津波によって移動した場所です。
津波の危険からは逃れられたものの、この周辺は冬になると強風が吹き、火事が多く発生しました。
その火事を防ぐために、火に強い木が植えられたり、土の壁が築かれました。
この地域に住むご近所さんも、風が強い歴史について教えてくださいました。
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↑高札場跡。
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↑ついに愛知県に入りました。
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↑豊橋市に入ると、こんな感じの開けた道に出ます。
風がダイレクトに吹き荒れ、疲れも相まって徐々にイラつき始めています‥‥。
強風の動画データがたくさんあるので、ここに載せたかった。
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↑二川宿に到着です。
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↑問屋場跡。
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↑旅籠屋が復元されていました。
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↑本陣も復元されていました。もっとじっくり見たかった。
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↑高札場跡と常夜燈と一緒に、二川町道路元標がありました。道路元標とは、道路の起終点を示す標識のことを指します。
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↑こういう道が一番精神的にきつい。
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↑吉田宿本陣跡に到着です。
吉田宿は、吉田城の城下町として栄えた宿場です。
「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖が」といわれ、飯盛女(めしもりおんな)が多かったところです。
飯盛女は、本来、旅籠屋で泊り客の食事の給仕をする人たちのことを指していましたが、次第に寝床を相手するようになっていきました。
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↑本陣跡。
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さて、ここから、今夜の宿まで、東海道を大きく外れます。
丸一日冷たい風に当たり体が冷え切った私は、イライラを通り越して、日暮れと同時にめそめそしだし、心がぽきっと折れた瞬間がありました。
(お日様が沈むとネガティブになるのと同じだ)
ここから泣きながらホテルまで向かいます。
頭の中ではずっとラップを作って気を紛らわしていました。
「風、風、向かい風
俺の人生向かい風
追い風待ってる
大阪待ってる
たこ焼き食べるぜ、551、551
風、風、向かい風
俺の人生向かい風」
生まれて初めてラップを作ってしまうくらい、必死に歩いていました。
本日の宿
この日は、コンフォートホテル豊川に到着。
ホテル前のスーパーに駆け込んで食料を買い込み、すぐにお風呂に入って就寝しました。
6600円。
本日の記録
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次回に続く
次回は、吉田宿~岡崎宿です。