東海道五十七次 徒歩の旅⑥三島宿〜吉原宿
こんにちは。26歳女です。
2024年11月から12月に、18日間かけて東海道五十七次を歩きました。
この記事では、東海道五十七次を歩いた記録を書いていこうと思いますので、これから歩く人にとって参考になればと思います。
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今回の内容
今回は、出発して5日目に歩いた三島宿~吉原宿について書きます。
この日はもう少し先まで歩きたかったのですが、ホテルの都合で吉原を目指しました。
三島宿出発
11月29日(金)、天気は晴れ。
前日もそうだったのですが、この日も爆風の一日でした。
前日の箱根の国道一号線を歩いているときに、風にあおられて帽子が飛んで行ってしまったので、この日はレインウエアを風よけのために着て、フードもかぶって歩きました。
とにかく風にあおられて余計に疲れる1日となりました。
朝7時半に出発。
宿泊したホテルはこちら↓
↑ホテルの近くに本陣跡がありました。
↑沼津垣と呼ばれる垣根。
沼津は駿河湾に面しているため、塩分や砂を含んだ強風が吹き荒れる地域です。そのため、そういった風を防ぐために、竹を編んだ垣根が作られるようになりました。(爆風だったのは土地柄のせいか…)
↑一里塚。
この塚は、本来の一里の距離であれば宿場町の中に位置してしまうことになる為、少し離れたところに作られた結果、隣の塚から一里に満たないところにあります。
↑川廓(かわぐるわ)通りの目印。
狩野川に面した城郭に由来した名前です。
↑沼津宿の本陣跡に到着。
沼津周辺は、風が強すぎて心を無にして歩いていたため、写真がほとんどありません。
↑こんな格好。原宿に到着。
原宿周辺も心を無にしていたため、ほとんど写真がありません。
↑左富士。
吉原宿は、2度の大津波に遭い、宿場町が破壊されました。
そのため、津波から逃れるために、1682年に現在の場所に移され、発展をしていきました。
東海道は、日本橋から京都に向かって進むと、基本的に富士山は右手に見えます。しかし、この吉原宿は、津波を避けるために内陸に移動されたため、富士山が左手に見える珍しい場所となりました。
歌川広重が描いた東海道五十三次でも、その左富士が描かれています。
↑吉原宿に到着です。
本日のお宿
この日は「ホテルリブマックスBUDGET富士駅前」に到着。
料金は4569円でした。
到着早々、ルーティンとなっている足湯をしたのですが、お風呂の栓を抜いたら、洗面所の床からあふれ出してしまいました。
部屋を変更していただき、ちょっと広い部屋に移動をしました。
本日の記録
この日は強風のおかげでへとへとになったため、21時には就寝をしていました。この日は色々大変だったな~、、、。
次回に続く
次回は、吉原宿~府中宿です。