東海道五十七次 徒歩の旅⑦吉原宿〜府中宿
こんにちは。26歳女です。
2024年11月から12月に、18日間かけて東海道五十七次を歩きました。
この記事では、東海道五十七次を歩いた記録を書いていこうと思いますので、これから歩く人にとって参考になればと思います。
これまでの記事一覧はこちら↓
今回の内容
今回は、出発して6日目に歩いた吉原宿~府中宿について書きます。
この日は薩埵峠(さったとうげ)越えを控えていましたが、箱根峠を超えた自信から、そこまで不安ではありませんでした。
1日中見どころがたくさんあり、とても楽しい1日となりました。
今回の記事は長いので、流し読みいただければと思います。
楽しかった一方で、この日は40km以上歩いたため、満身創痍となった日でもあります。
吉原宿出発
11月30日(土)、天気は晴れ。
この日は、朝7時過ぎに出発しました。
宿泊したホテルはこちら↓
↑富士本町通りからの富士山。
とても綺麗で、テンションが上がりすぎ、吉原宿の本陣や脇本陣は素通りしてしまいました。
↑うひゃあ~!見慣れてはいてもテンションが上がる。というよりパワーがみなぎる。
↑秋葉常夜燈(あきばじょうやとう)がありました。これは1794年にできたものです。
秋葉山常夜燈というのは、火災を防ぐ神である秋葉信仰を具現化したもので、静岡県袋井市に多く見られるものです。
常夜燈は、東海道を含める主要な街道や寺社・広場に設置されて、毎晩灯篭に火がともされました。
旅人たちの道中安全や、火災が起こらないように願いが込められています。
何百年もここで行きかう人を見守ってくれていると思うと、なんともエモい気持ちになります。(この道中、見かけるたびに、「ありがとう」という気持ちを込めて触れました)
↑富士川を渡ります。
ここでは、昔、舟渡が行われていました。
↑富士川から見た富士山の眺め。すごくきれい。
↑渡った先にも秋葉山常夜燈。
「嘉永六奏(?)丑年十一月」「上町安全」と書いてあります。
何年のものだろう…。
↑朝が早いので静かな道です。
↑ここにも常夜燈がありました。
↑岩渕の一里塚。
以前の投稿でも記載しましたがおさらい…。
1601年に東海道が整備されて以降、人や物資の行き来が盛んになっていきましたが、駄賃銭があいまいになっていました。
そこで、1604年に徳川幕府は、日本橋を起点として一里(約4km)ごとに、約9メートル四方の塚を作りました。この塚は荷物や人を運ぶ際に距離の目安となっただけでなく、エノキや松の木が植えられたため、夏は木陰を作り、冬は冷たい風を遮る旅人の休憩場所の役割にもなりました。
昔は道の両側に設置をされていましたが、道路や町の開発に伴って取り払われ、現在は片方のみ存在をしているところが多くそもそも塚が残っているところも少ないのが現状です。
この岩渕の一里塚は、東側のエノキが虫害によって枯死してしまい、植え替えられています。
神奈川県で両塚が残っている品濃一里塚はこちら↓
↑ツル家菓子店。
ここでは、東海道の名物である栗ノ粉餅というお菓子が有名です。
こちらで売っている物は、現代風にアレンジしています。
朝早くて閉まっていたため食べられませんでした。残念。
↑常夜燈がたくさんあります。
↑歩道はありませんが、車通りが少ないので安心です。
ここを進んでいった先で、駿河湾が見えました。
東海道を歩いていると、富士山と海が見えたときにすごくうれしい気持ちになります。
↑蒲原の一里塚。1699年の大津波で流出してここに移されたため、当時の面影はありません。
↑蒲原宿に到着です。
↑東木戸・常夜燈。
蒲原宿の入り口には、木戸と呼ばれる門のようなものがありました。ここは東側に位置しているため、東木戸と呼ばれていて、常夜燈も併設されていました。これは1831年に作られたと考えられています。
宿場の入り口に位置していたため「宿内安全」という文字が刻まれています。
↑蒲原宿周辺は見どころがたくさんあります。
↑なまこ壁と塗り家造りの家。
防火効果が高い技術が施されており、贅沢なものだとされた造りのお宅。江戸時代末期以降に、この造りは広まりました。
↑問屋場跡。
↑本陣跡。逆光で見にくい…。
主に大名の参勤交代時に、偉い人たちが宿泊をしました。
沢山見どころがあるものの、民家のところに看板が立っているところが多く、写真を撮っていいものなのかわからないほどです。
↑旧五十嵐歯科医院。
こちらは外観は洋風で、内装は和風になっています。
大正時代に自宅を洋風に改築して開業した歯医者さんです。
当時の洋風建築としては珍しくガラス窓が多く使われています。
見学もできましたが、先を急ぐため立ち寄りませんでした。
↑志田家住宅主屋。
この通りは、とにかくたくさんの昔ながらのお宅が観光地になっています。
観光用の家なのか、民家なのかよくわからないほどです。
↑蒲原を過ぎてすぐに由比宿に到着。
↑立派な由比本陣公園と交流館がありました。
中をのぞきたかったのですが、時間が限られているため、トイレだけお借りしました。こういう綺麗で無料のトイレは本当にありがたい…。
歌川広重の美術館があるので、また今度時間があるときに来たいと思います。
↑美しい…。
↑大名行列の馬に水を飲ませたり、身体を洗った水路です。
現在は亀がいました。
↑たまご餅という名前に惹かれて立ち寄った春埜製菓。
由比宿の名物で、別名さとう餅です。
十返舎一九の東海道中膝栗毛にも登場をする食べ物で、現在はここでしか買えません。
確か一つ97円。一口サイズの小ぶりなもので、中には餡子が入っています。
たまごのような形から、たまご餅と呼ばれています。
↑ちょっと気になったあかりの博物館。
今度時間があるときにまた来ます。
↑一里塚跡。由比駅から東京駅は158.4kmあるそうです。
↑いよいよ薩埵峠です。
薩埵峠の峠道は、1655年に開通されました。
上道、中道、下道の3つの道があり、現在の道は江戸後期の道となります。
東海道においては、箱根・宇津の谷・日坂と並んで難所として知られているのと同時に、絶景の地としても有名です。
↑みかん畑を進みます。ガードレール下は、転げ落ちるくらいの斜面です。
見えるのは国道一号線。
昔の人はどうやって歩いたんだろう…
↑きれいに写真を残しておけばよかったと後悔をしているのですが、歌川広重の東海道五十三次に描かれている風景そのまんまです。
歌川広重は本当にその宿場宿場の特徴を捉えているので、本当に素晴らしい。
↑興津の方へ降りていきます。
ここからはハイキングコースとなっています。
休日でちらほら人がいたものの、1年前に熊の目撃情報があったとのことで不安でした。
箱根峠に引き続き神経を尖らせて、ぴりぴりしながら爆速で歩きました。
少し整備中の箇所もありましたが、問題なく歩けました。
↑動画ばかり撮っていたので切り取りでぶれています。海が見えて立ち止まりたい一方、一人で怖くて仕方なかったです。(だからソロ登山はしたくないんだ)
↑無事峠越えをして、興津に到着します。峠を越えてすぐは、山と畑でした。峠越えの安心感とのどかな景色で、めちゃくちゃ幸せな気持ちになりました。(セロトニンがどばどば)
↑興津宿に到着してすぐ、献上銘菓という名前に惹かれて、潮屋という和菓子屋さんに入りました。
あげまんぢうと宮様まんぢうを購入。
東海道沿いの歴史ある和菓子屋さんは、歩きながら食べるためなのかわかりませんが、どこもお饅頭やお餅が普通のものと比べて一回り小さく、値段も安い印象です。
興津宿のある静岡市は、東海道中膝栗毛(弥次喜多道中)に登場する主人公の弥次さん喜多さんの故郷です。
今回、私は東京の日本橋を出発して、(実はついでに)伊勢神宮に立ち寄り、京都三条大橋を通って大阪高麗橋へ行き、大阪梅田まで行きました。
東海道中膝栗毛のエピソードを全く知らなかったため調べたところ、弥次さん喜多さんとほぼ同じ土地を歩いていることを知りました。びっくり&光栄。
↑西園寺公望(さいおんじきんもち)の別荘である興津坐漁荘(おきつざぎょそう)に着きました。
峠越えをして一安心し、気になったので立ち寄ります。
↑とっても素敵な日本家屋。
西園寺公望が創設した私塾立命館は、現在の立命館大学の礎となりました。
↑日本橋から18番目に位置する江尻宿に到着です。
ここは、万が一の場合の警備のために、鈎の手上に道が曲げられていて、あれて見通しが悪い道になっています。
↑稚児橋。
橋の出入り口には、河童の銅像がいます。
徳川家康の命令によって、1607年にこの巴川に始めて橋が架けられました。
江尻宿にちなんで江尻橋と命名される予定でしたが、渡り初めの儀式として一番最初に渡ることを約束された老夫婦が渡ろうとした瞬間、川の中から一人の童子が現れて、この橋を渡ったそうです。その童子は河童だったのではないかと語り継がれ、そういったエピソードから、この橋は稚児橋と呼ばれるようになりました。
↑志ミづ道の追分。
旅人は土橋であった金谷橋を渡りましたが、重い荷物を運ぶ牛馬は川を徒歩渡りしたそうです。
この近くには、姥ヶ池と呼ばれる池があります。
昔、金谷長者に生まれた男の子が咳の病に罹った際、姥が入水をしたことで治ったとされる由縁の池です。
↑夕暮れの富士山。
↑東静岡駅近くのマークイズに到着。
普段は、日が沈むまで(16時半)にはホテルに着くようにしているのですが、この日は見どころが満載過ぎて18時過ぎにホテルに到着するくらい、時間が遅くなりました。
この日は初めてヘッドライトを手に持ち、もう一つのヘッドライトをザックにくくりつけて歩いています(車に轢かれたくないもん)。
私の全持ち物はこちらで紹介しています↓
↑途中辛くて辛くて500円もするリポビタンDのプレミアを飲みました。
本日のお宿
やっと「旅館花月」に到着です。
土曜日に宿泊をするということもあり、7300円でした。
学生の合宿にも使われる旅館らしく、正直部屋はそんな印象でした。
(部屋にトイレや洗面がないため、廊下に出る必要がありました)
ただ、この旅で初めて畳の部屋で、交代制の貸し切りのお風呂もあり、個人的にはよかったです。(あと、自動販売機の飲み物が1本無料でした)
近くのスーパーで食料を調達し、お風呂も満喫して就寝です。
本日の記録
この日はかなり疲れました。
箱根峠に続いて薩埵峠を越えて自信がついています。
次回に続く
府中宿~島田宿です。