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東海道五十七次 徒歩の旅⑩袋井宿~舞阪宿

こんにちは。26歳女です。

2024年11月から12月に、18日間かけて東海道五十七次を歩きました。
この記事では、東海道五十七次を歩いた記録を書いていこうと思いますので、これから歩く人にとって参考になればと思います。

これまでの記事一覧はこちら↓

今回の内容

今回は、出発して9日目に歩いた袋井宿~舞阪宿について書きます。

最近、「note楽しみに見てるよ」「投稿を見て自分も何かチャレンジしたいなと思った」とよく声をもらいます。
私の行動が、誰かの刺激・参考になれば幸いです。
(投稿はあと9回くらいを予定しています。まだまだお付き合いいただけると幸いです)

袋井宿出発

12月3日(火)、天気は晴れ。
この日は少し遅めの8時過ぎに出発しました。
(旅に慣れて気が緩み、徐々に出発が遅くなっています)

宿泊したホテルはこちら↓


↑田んぼが広がる平らな道を進みます

↑江戸の古道

↑江戸の古道を登り切ると、大日如来を安置している大日堂がありました。
武田信玄軍と徳川家康軍が戦うとき、家康の家臣が、ここにある松の木に登って、武田軍を偵察しました。
今はちょっとした展望台になっています。

↑見付宿に到着です。
見付宿は、京都側から江戸へ向かう人たちが、初めて富士山を見つけることができた宿であったことから、その名がつきました。

この宿場近くには、遠州鈴ヶ森刑場という処刑場の跡があります。
遠州鈴ヶ森刑場は、1719年生まれで29歳で処刑をされた日本左衛門という人物の首がさらされたところです。
この人物は、東海道の要所要所で、20人ほどの仲間を引き連れて、3年間盗みや火付けをした者です。

↑問屋場跡。今は静岡銀行が建っています。

↑旧見付学校。
この学校は、1875年にできた、日本に現存する最古の擬洋風木造小学校校舎です。もともとは4階建てでしたが、学生が増えたため、1883年に5階建てに増築されました。
1922年に閉校となり、裁縫女学校や教員養成所、病院等に活用された後、現在は教育関係の資料館となっています。

↑見付宿は、天竜川の川越しと姫街道の追分を控えていたため、大いににぎわっていたそうです。

↑旧見付宿脇本陣大三河屋門。
この近くから、姫街道という別の街道が始まります。
姫街道とは、東海道が浜名湖の南側を通るのに対して、北側を通って、御油宿にまでいく街道です。

この先にある新居の関所の取り締まりが厳しかったことや、今切れの渡しという、浜名湖を船で渡らねばならなかったことなどから、迂回路として多くの大名やお姫様が通り、姫街道と呼ばれるようになりました。


↑宮之一色一里塚跡。

↑宮ノ一色秋葉山常夜燈。
1828年にできたものです。竜の彫刻が施されていて、竜燈と呼ばれている物です。中には灯篭が入っていて、風よけのために板で囲まれています。
板の上部は明かりが漏れるように格子状になっていて、夜道を照らしていました。

↑天竜川を渡ります。
八ヶ岳最高峰の赤岳を水源としています。
この新天龍橋は、全長912m。渡り切るのに10分ちょっとかかりました。

橋を渡り切った先は、東海道の真ん中にあることから中野町と名付けられた地域です。

渡り切った先で、鰻のとてもいい匂いが漂うお店がありました。

出発して10日目ということもあり、かなり疲労が溜まっていたため、エネルギー補給のためにも寄りました。

↑とんでもなく美味しかったです。
店員さんに、応援していただきました。
嬉しかったな~、声かけていただきありがとうございました。

↑見付宿と浜松宿の間にある立場跡。
ここには昔、藤棚があったそうです。

↑浜松宿に到着です。
浜松宿は、浜松城の城下町としても栄えました。

↑せっかくなので、浜松城に来ました。
出発がゆっくり目で、うなぎ屋さんにも寄っていたので、ホテルにつくのは日没を覚悟しました。

↑高札場跡。

↑杉浦本陣跡。浜松の本陣6か所のうち、最も古い本陣跡です。

↑川口本陣跡。浜松の本陣6か所のうち、最も新しい本陣跡です。

↑12月なのに、綺麗にイチョウが色づいています。
ここから舞阪までなんの変哲もない街道で、精神的にきつかったです。

↑一里塚跡。
道中、ご近所に住む方が、まだ進むのであればバスに乗りなさいとアドバイスをしてくださいました。(乗りませんでしたが、感謝です)

↑立場跡。

↑舞阪宿の本陣跡。

↑脇本陣跡。

↑西町常夜燈。
1809年に西町で火災が発生し、舞阪宿の大半が焼失してしまいました。
火防せ山の秋葉信仰が高まったことから、宿場内の安全を願って、ここに常夜燈ができました。

↑渡船場北雁木(きたがんげ)跡。
昔は浜名湖を渡るために、舞阪宿と新井宿を結ぶ「今切渡し」という舟渡が行われていました。
ここは舞阪宿側の渡船場で、大名や幕府の公用役人が使用していました。庶民や荷物用の渡船場跡はこの近くにあります。

現在も、小舟で当時の舟渡しを体験することができます。


本日の宿

本日は弁天島にあるホテルに宿泊をしました。
弁天島には、天女が舞い降りた伝説が残っています。
また、東海道鉄道が開通した明治時代は、浜松の資産家たちがこぞって別荘を建てたそうです。

19時半にホテルに到着。THE OCEAN、7579円。
この周辺は安い宿が全然なく、前日の時点でここが最安値でした。
結婚式もできるリゾートホテルで、場違い感半端ない…。

↑充電させてもらえませんかで宿泊したらしい。

大浴場で足を延ばして休んで、就寝。


本日の記録

↑ここまで来ました。

次回に続く

次回は、舞阪宿~吉田宿です。






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