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BL漫画で号泣した結果詩人になった30歳男性の話


あなたは、人生を変えるBL漫画に出会ったことはありますか?


ありますか?

そうですか・・・

ありますか。


正直なあなたにはこの金の「ギヴン」と銀の「ギヴン」を差し上げましょう。

え?ギヴンが分からんから教えて?
しょーがないねえ!(ガサゴソ)

出でよ、「青眼の〇龍」!!

ちょっとだけだゾ☆
ってことで思いっきり私の私物大公開イイッ☆
(アニメ本編はdアニメで10周はしてるのでDVDボックスのことは言わんといて!ニワカやって、分かっとるし・・!)


まあ私の私物はどうでもいいとして。


この「ギヴン」という作品はキヅナツキ先生が原作のコミックスです。
本編の連載は終了したけど、続編はバリバリ連載中。
今までにアニメ化アニメ映画化2本、さらにもう1本近々公開予定実写化もされてるかなりの人気作品。


物語の内容を手短に言うと、

主人公を含めたバンドメンバー男4人が2組のカップルに成長する、というお話

大丈夫、まだ続きあるから。

2組ともカップル成立しておめでとー!!これから幸せな日々が待っているよね♪めでたしめでたし♪

ではなく


この2カップルが出来上がってからの人間劇がかなり面白い。
もちろんカップルが出来上がるまでだって面白いが、その後の展開の方が私は好き。


タイトルにあるように私はこの作品に出会って詩とかエッセイとかを書くようになった。

何が面白いかっていうと、この作品の深いところにあるテーマがBLとか関係なくもっと普遍的なところにあることが一番大きい。
誰の目にも彼らの葛藤が「ああ、知ってるなあこの感じ・・・」と共感出来る部分がある。


普段BL作品は見ない私がこの作品にハマれたのも登場人物たちの心情に強く共感したからだ。

じゃあそのテーマって何かっていうと、

・どうやって自分の道を選択する?

・別れって何?


この2つ。

ちょっとエピソードを紹介しよう。

ある時、主人公の真冬たちのバンドのライブを見ていたとある事務所の人から、ウチの事務所に入ってプロにならないかと誘いが舞い込んでくる。

それまでも真剣に音楽をやってはいたけど、いざバンドが仕事になると考えると、本当にいいのか、後悔しないだろうかと真冬は迷う。
ましてバンド内には大切な恋人がいる。恋人と音楽、両方を失う事になるかもしれない。


人より考えたり、決断したりするのに時間がかかるタイプの真冬。だが彼は高校3年生、季節は夏。
彼を置いて周りのみんなは次々と進路を決めていく。
止まっているのは自分だけ、なのにどうしたらいいか分からない。

怖い。


この時の真冬のグズグズっぷりがもうほんとに

「ああ、オレみたいだなあ・・・」


ってすごく思った。

でも自分だけなんかポツーンていう感覚もすごくよく分かるな、とも思った。



考えたり、決めたりするのが苦手でいつも人より遅いことだって自分でよく分かってる。
分かってるけど、怖いって気持ちが勝ってしまって結局行動に移せない。
でも立ち止まってる間にも周りは先へ行ってしまって、どうしたらいいか分からなくなる。

そういう自分が嫌になるよね。


ああ、分かるなあ・・。とシンパシーをビンビンに感じていた。


そんな真冬の彼氏の立夏は男前なナイスガイで他にもう一つバンドを組んでいた。
道に迷っている真冬を自分の音楽で引き上げるしかない!だから俺のライブに来い!

とチケットを渡しに来た立夏。うん、男前。
でも、真冬はこれを拒む。


このライブに行くことで、

これからのことが何か決定的なものに変わってしまうんじゃないか


その予感から、ライブに行くのが怖くなってしまう。


自分の奥の方にある欲求ってあるでしょ?
パッと瞬間的に感じる「あれいいな」とか「やってみたいな」とか「こうしたらいいかもな」とか、そういう直感。

それを正直に出せない人だっている。



パッと湧いた感情を受け取った別の機関が

「だけどこれ買っちゃうと今月お金ないしな・・」とか、
「続かなかったら費やした時間が無駄になる」とか、
「○○があんまり良くないって言ってたし・・」とか、

色んな後ろ向きな意見を後出しでジワジワ出してくる。

理性が直感を理論武装して抑え込む。やらなくていい理由付けを始める。
理性の意見を一度肯定してしまうと、せっかく芽生えた直感は底なし沼みたいにジワジワとそっち側に引っ張られる。

最終的にあれこれ理由付けして、あれは「しょうがなかった」って

やらない自分を正当化する。


真冬はそこまで思ってなかっただろうけど、私はそういうところが自分にはあることを知っていた。

話をギヴンに戻すと、このあと真冬は自分のバンドのドラムの元カレ(コイツは超重要キャラ)に引っ張られ立夏のライブを見ることになる。

そして立夏の演奏を聴いて「かっこいい」と心の底から思う。

「やっぱり音楽が好き」
「恋人が好き」


好きな人と並んで自分もステージに立ちたい。

そういう直感を正直に受け止め、恋人と音楽と両方に

本気で向き合うこと


を決意する。

その時の真冬の心情がコレ。

―――ああ、なんだ
こんな こんな単純なことが
変わってしまうかもとか 失ってしまうかもとか
過去とか 未来とか
ずっと 何の保証もない 今
なんだ この衝動
今すごく うたいたい

結局 それしかないんだ
何年も 何十年も
そうやって ただこの先も
ずっと

今の一瞬に しがみつくしかない

どちらもギヴン第9巻より

すごく「今」この瞬間へのリスペクトが込められていた。

「今」この瞬間自分がどうしたいか

それの積み重ねの先にしか未来はなくて

あれこれ考えて立ち止まるより

正直に行きたい方に踏み出せば良いんだって



そういうことを教えてもらった。

ね?なかなか芯に来るでしょ?
読みたくなってきたっしょ??


ギヴンではバンド内恋愛が描かれてるけど、

みなさんは職場恋愛の経験、ありますか??


私は、あります。

それもめちゃくちゃな失敗っていう特典付きで。


それこそ取り返しのつかないくらいのやらかし。
もう相手の人が私の事を嫌いになりすぎて職場を辞めてしまうレベル。

コイツヤバいやつなんじゃね?

ハイ、そうです。まあ聞いて。

なんで嫌われたかってゆーと、そうね。まずね、

露骨に好かれたいオーラが出まくってた。


もうね、とにかくその人に嫌われたくなくて、その子の意見にノーが言えなくなってしまっていた。その子が優秀だったってのもあるけど、それでも公私混同もイイトコだったと思う。

そりゃ相手にも舐められるし、下にも見られるよね。だってノーって言わないんだし。
他の人から見てもなんだコイツ・・って感じだったと思う。

要は自分がどう見られてるかってことばっかり考えて相手の気持ちを考えてなかったってこと。


そんなんで分かり合えるわけないのにね。

理由2つめ、

いざって時に頼りにならない。


早い話がいっぺん告白してフラれたんです。
そこから関係がギスギスし始めて、職場で会って口を開くと口論になってた。あっちも大分ストレスだったと思う。
彼女は体調を崩してしばらく休んでしまった。

その間私は彼女に何もしなかった。彼女のためになることをなんにも。寄り添うことも励ますことも、話を聞こうともしなかった。
何を言っても何かキツイことを言われる気がして連絡さえ取らなかった。

彼女が職場に戻ってきてからも、ただただ黙って何も起こらないようにやり過ごした。理由は簡単で、

これ以上嫌われたくなかったから。


いやここまでですでに相当嫌われてるだろうし、その程度のアップダウンなんてマジでどーでもいいだろって話なんだけど。

でもその時は本当に嫌われたくない、ただそれだけだった。
小さなプライドを守るのに必死だった。


事情を知っていた先輩が仲介してくれてやっと二人で話をする機会が持てた。

そこで彼女はこう言った。

「あなたとこれ以上働いてると頭がおかしくなりそうです」


そう言われた時のことは今でも鮮明に覚えている。
そしてついでにこうも言われた。

「なんで私がしんどい時、何もしてくれなかったんですか?」


この時彼女が期待してくれていたことを知った。でも私は大事な時に動かなかった。
いざって時に頼りにならないしょーもない男だった。


なぜ大事な時を逃がしたかってことを考えてたら、ここまでに挙げた理由の他で一つ見つかった。それは

人の目を気にしすぎていたからだってこと。


もうここまで読んでくれた人達なら気付いてると思うけど、私は本当に器がちっちぇー人間だ。

人の目を気にする私にとっては「悪い雰囲気で私と彼女が話している」場面を誰かに見られるってことが恥ずかしくて嫌だった。

彼女から一緒に働きたくありません宣言をされた時は頭が真っ白になって何にも言えなかったけど、日が経って少し落ち着いてから、思うこともあった。

「いや、こっちだって色々言いてえことあるわ」

話すなら二人きりで、ここまで来たんだしハッキリ言ってやろうとチャンスをうかがったけど、職場でそう都合よく機会は来なかった。

何度もあったであろう彼女と話し合うチャンスを今は違う、もっと落ち着いてる時に、自分の心にもっと余裕があるときに、これも違う、いやこれも違うなと思ってチャンスを何度も何度も見送った。
自分から話す時間を作りにいけば良いのに、流れに逆らわず流された。

いざ彼女を目の前にすると向き合うのが怖くなって逃げ続けた。



時間だけが経ち、彼女は職場を辞めていった。

彼女が辞めてしまった後は「彼女を辞めさせた人でなし」として見られる。
まあ当然だよね。別になにか直接言われたわけでもないんだけど、そういう視線って何となく分かるし。そういうのも耐えられなかった。

凹んだ気持ちを引きずって、いつまでも被害者面してる私に居場所なんか職場にあるはずもない。

辞めたい。
けどこんなろくでなしを他で雇ってくれるとも思えない。行くところがない。

出勤前になると涙が出た。限界だった。


一時でもいいから会社を離れたい、そう思った私は精神科を受診することにした。
現状を説明すると医師は何か言いたげではあったが、「しばらく仕事は休みましょう」と言ってくれた。

良かった。助かったと思った。

休みをもらうため、診断書を出してもらえた私は受診の内容を会社に説明した。
上司は異動を提案してくれた。

幸い私がいる会社は地元ではそこそこ大きな会社でグループ内でいくつか事業所を持っているところだったため、他の事業所でやらせてもらえるという事だった。

こんな状態の自分を切らずに他の場所でやり直せと言ってくれた、
ありがたい。


だが新年度まではまだ半年あった。
今異動となれば自然と「何かやらかしたからウチに飛ばされたんじゃないのか?」と疑いを持たれてしまうことを懸念した上司はこう言った。

「半年ここで踏ん張れ」


自信なんてなかった。けどノーと言う資格がないことも分かっていた。やるしかなかった。
そこから半年間は色んな人の助けを借りて何とかやり過ごした。

味方は思った以上にいた、心強くて有難かった。


と同時に、申し訳なかった。自分の弱さを心の底から痛感した。
みんな力強く生きているのに、私には何にもないように感じた。それが苦しくて、悔しかった。

小さくても良いから積み上げたかった。異動する前に何とか立て直したかった。憧れてるアーティストを真似してランニングと日記をつけ始めた。
その人はどちらも毎日やっていたけど、毎日続けるのは難しいと感じたので、続けられるところまでハードルを下げた。

毎日じゃなくてもいい。1週間のうちで1回は走りに行く。1週間の中で1週分の日記を書く。
これを毎週絶対やる。そして走った日は日記に記録をする。昨日より今日、一つで良いから成長したと思うことを書く。

自分が成長したこと、頑張ったことを文字にして見ることは私の自己肯定感をジリジリと、しかし確実に上げていってくれた。

自分の中に少しずつ何かが積み上がり、それが自分を作っていくことを感じられるのが嬉しかった。

ギヴンとはちょうどそんな自分を作り直しているような時期に出会った。
真冬が抱える葛藤や、色々本当に考えているのにそれを言葉にして上手く表せないところが自分のように感じられた。


ここでやっと冒頭で上げたこの作品のテーマの別れに行きつく。お待たせ。
真冬は立夏と付き合う前にも付き合っていた人がいた。
その人は真冬とあるきっかけで言い合いのけんかをした翌朝、亡くなってしまった。
その心の傷を時間が、立夏が、バンドメンバーや彼を取り巻く人々が、そして音楽が癒してくれたことで立夏を好きだという気持ちに正直になれた。

でも、それでも心のどこかに空洞は埋まらず、空洞は空洞のまま真冬の中にあり続けた。

今カノより元カノが良く感じてしまう瞬間だって人間だったらあるだろう。
何となく思い出して無意識に比べてたり、元カノとデートした場所をたまたま通りがかったときにふと思い出したり。

大切なものを失くすのって自分の中にポカンと穴が空いてしまったような気になる。
他の物で埋めようとするけど、形が違うことだけが明らかになって、もう戻らないことを思い知らされる。

指は、離れていく
どんなに望んでも。
君がいた季節から 一歩ずつ 遠ざかる気がして
二度と戻れない気がして 夜明けが来るのが怖かった
きっと 誰もが 
どこへも行けないのに
どこへも行きたくないのに
どうしようもなく明けてしまう
それでも それでも
二度と元に戻れなくても
遠くにいても
大丈夫
それでも どうしようもなく朝は来るし
きっと どこへでも行けるから
大丈夫

ギヴン 第5巻より

これはあるシーンでの真冬のモノローグ。
文字を追うたびに目から涙が溢れた。堰を切ったみたいに今までずっと胸の中で抑え込んでた色んな感情が一気に雪崩れ込んできて、歯止めが利かなかった。

「大丈夫」という言葉に自分一人では否定するしかなかったどうしようもないところまで肯定してもらえた気がした。

ああ、別にどこへ行ったって良いんだなあ。
そうか、俺はまだ大丈夫なんだなあって。
理由もなく、何となく。
だけどずっとそれが自分にかけてやりたかった言葉だったのかもしれないと思った。

それまでも詩や歌は好きだった。けど、この時私の中で「ことば」に対する信用みたいなものが確信に変わった。

「ことば」には人生を感じさせるだけのチカラがある
「ことば」には心を救うだけのチカラがある
「ことば」には私が夢中になるだけのチカラがある

心の底からそう信じるようになった。

それから日常で感じたこと、浮かんだ言葉、そういったものを自然とメモするようになった。
日記に書ききれない感情達をことばにしてA4のノートやアイフォンのメモにぶちまけた。
好きな歌詞やアニメ、小説で胸に響いたセリフをメモした。
好きな詩集が出来た。

自分で何か発信したいと思い媒体を探すうちにnoteを見つけた。
エッセイとかポエムとかそういう形で自分のことばを発信する術があると知った。
投稿すると少しだけどいいねをもらえることもあった。


そうやって「ことば」を残す中でごくたまに書きながら感じる、ある瞬間があった。
これは自分そのものだと言えるような「ことば」を紡げたとき。
書きながら涙が出てきたとき。心が洗われるような気がした。

そういう瞬間がたまらなく好きだということに気付いた。


私は信じる
私にも詩がかけるのだと
誰が何といおうと
これは私のほんとうのうた
これは私の魂のうた

ブッシュ孝子全詩集「暗やみの中で一人枕をぬらす夜は」


これは私が最も好きな詩の一つだ。

私も私にとってのほんとうのうたを書きたい。魂のうたを書きたい。
それが私が書く一番の理由になっている。

書くことをはじめてまだ一年も経っていないしnoteでの投稿もまだまだ少ない私。
それでもnoteでは何人かの人達にいいねをいただけるのは嬉しい。

けどそれだけじゃ満足しないのが私だ。私、欲深いんで。

ある日私の中にいる欲望ビリーがこう囁いた。

「友達によ、オメエの作品読ませてみろよ」

は?なんで?
知り合いにこんな内面的なものを読まれるのが世界で一番恥ずかしいやろ、なんでそんなことしないといけないんだよ。
自爆行為だろ。

でも、

「いや、ちょっとやってみたいかも・・想像してみても全然嫌じゃない、なんなら読んでもらいたい」

と思っていた。決まるまで亀だけど決まったらウサギになる私、友達に即連絡をした。変な時だけ行動力が上がるのはなんなんだろ、本当に。
友達はSNSにも詳しいし、動画編集とかサムネ作りとかも仕事でやっている。
なので閲覧数伸ばしたいから意見をくれみたいなことをもっともらしい感じで頼んだらこころよくOKしてくれた。

自分の投稿をいくつかピックアップして友達に送信。私の我欲など1ミリも知らずまじめに意見と感想をくれた。ありがとう友達。

読んでもらって気付いたことが一つあった。

「読まれるって気持ちいいかもしんない」


自分の内面をのぞき見される行為に快感を感じてしまった私は頭がおかしいのかもしれない。

でも友達というすごく自分に近い人に読んでもらったことで、読み手を今までよりも身近に感じられた気がした。

書くって行為には、やっと自分だけじゃない読み手がいることを肌で分かってきたような気がする。

きっと私の書いてるものはまだまだ独りよがりだし、読み手の目を引き付けるのには色んなものが足りないと思う。それは分かってる。

でも、多分頭で分かってても器用じゃないから自分の物になるまでにはたくさんの時間がかかるだろう。

だからこれからも書く。書いて書いて書く。
身に着くまで書く。そうやって読み手がいて成り立つ行為だってことを自分の中に刷り込んでいく。

モノになるまできっとたくさんの時間がかかる。何にもアイデアが浮かばないとき、仕事で書くことに時間を割けなくなるとき、辞めようかなと思うとき。
色々あると思うけどそれはそれでいい。


それでも「ことば」に救われた経験を私自身が忘れることはないだろうから。
いつか私のことばが誰かの大事なものになればと思う。
私を悲しみや不安から解放してくれた「ギヴン」のあの真冬の「ことば」のように。
それが今の私の、書く理由になっている。


「ハーケン」


それでいい
何が起こっても夜は明ける
何もかもが変わっていく

不確かな未来と
後ろ指弾かれる過去と
今この瞬間の
この気持ち

それにしがみついて
登る朝陽に
大丈夫とつぶやいて
ことばを記す

大丈夫
ことばを記す
大丈夫

あの日の私と同じ
崖から落ちていくしかないあなたが
しがみつくひとつ
そのどれかひとつに
なれますように

チャイティーソルジャー


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