「ついでのメシア」第3話

 追いついたガクも、驚いた様子で社の紋を見つめていた。
 社は四畳半ほどの大きさで、木製の扉に御子柴、つまりアオの生まれた家の紋が描かれていた。
 御子柴家、それは日本の守護樹を信仰して、古の昔より守り育ててきた一族だ。守護樹は特別な木で、神通力を養分として育つ。そして、何故か御子柴の血族からの神通力しか受け付けなかった。
日本では守護樹は京都に根ざしているのみ。各地に守護樹の加護を行き渡らせるために分社が造られた。これはそのひとつなのだろう。

 アオは両手を合わせて、親指側をおでこにあてる。これは正式な祈りの姿勢だ。息を吐き、新たな酸素を体に取り込む。そうしてから、アオは手を下ろして社の敷地内に足を踏み入れた。

 そのとたん、空気が変わった。埃っぽかったはずなのに、急に澄んだような心地よさに包まれる。
 アオは懐かしさに、ぐっと喉が詰まる。こらえないと涙が出てしまいそうだった。

「ここは、本家の静謐な雰囲気と似てるな」

 ガクが後ろに来ていた。

「あぁ、似すぎてて……」

 似すぎていて、嫌な記憶まで芋づる式で蘇ってくる。

 二十世紀に入り守護樹の重要性を政治家達が認めてからは、御子柴家が国を裏で牛耳っていたと言っても過言ではない。守護樹について御子柴家より知識がある者達はいなかったから。
 守護樹の力が乱れれば、すなわち国土が乱れるのと同意。総理大臣でさえ御子柴家には頭が上がらなかったのだ。

 だが、それも1999年の落雷で守護樹が枯れてしまったら変わってしまった。奇しくもノストラダムスの地球滅亡予言が流行っていた時である。日本人は怯えた。
 そのせいで守護樹を守り育てるのが使命の御子柴家なのに、守れなかったと怒りや恨みをもつ人々が現われた。アオに言わせれば、雷などどう守れって言うんだって思うが。
 そして年月が過ぎ、外国からの守護樹のせいで国土が荒らされると、さらに彼らの反発行動はより過激になっていったのだ。その矢面になってしまったのが、次期御子柴家当主だった美優である。

 あの日は、守護樹を成長させるために神通力を送る舞を奉納する予定だった。もちろん、日本の守護樹はないから、外国から譲り受けた守護樹に対しての奉納だが。

「俺が、余計なことをしなければ」

 あの日が脳裏に蘇り、アオの口から後悔がこぼれ落ちる。

「アオは悪くない。悪いのは襲ってきた奴らだ」
「違う。俺は美優を犠牲にして生き残ったんだ!」

 奉納の舞が終わった直後、テロリスト達が守護樹の元になだれ込んできた。狙いは次期当主である美優だと思ったアオは、美優がまとっていた伝統的な衣装の一番上を剥ぎ取るように受け取ると『母屋に逃げろ』と美優に叫んだ。本家の広大な敷地内に守護樹が植わっているため、母屋は走れば数分で着く距離だったのだ。

 美優を逃がしつつ、アオは身代わりとしてテロリスト達を引きつけようと衣装を被って走り出した。襲いかかってくる奴らは問答無用で殴り倒したので、すぐに美優ではないとばれてしまったが。それでも何とか救援が着くまで粘らねばと夢中だった。
 けれど、無情にもそこから美優の行方は分からなくなってしまったのだ。

 生きているのか。もしかして、テロリストに殺されてしまったのか? でも死体は見つからなかった。だから、きっと生きてる。そう思いたい。
 ならば何故姿を見せない? 誰かに捕まっているのか?
 分からない。だた、彼女がいないことだけは確かなのだ。

 ずっと後悔していた。一緒にいれば良かったのだ。変に身代わりになろうなどとしなければ良かった。せめて、自分がちゃんと身代わりとしてテロリスト達をちゃんとだませていたら……。すぐに美優じゃないとバレた時点で、美優が余計に狙われてしまったのかもしれない。
 あのときは、美優を助けたいと思ってやった行動だった。でも、美優と別行動をとったせいで、結果的に自分が助かってしまったんじゃないかとずっと後悔している。


「姉さんを見つければいいんだ。そのための旅だろう?」

 後悔に頭を抱えていると、ガクがぽんっと頭に手を置いてきた。そのままわしゃわしゃとかき混ぜられる。

 本当は、ガクは自分のことを恨んでいるのではと思ったことがある。なぜ美優を、彼の実姉を守れなかったのかと、なじられても仕方ないと。でも、ガクは一度もアオを責めるようなことを言わなかった。
『姉さんのことはもちろんショックだ。でも、幼馴染が無事だったことは喜ぶべきことだろ』と下手っぴな笑みを浮かべたのだ。ガク以外の大人達は、あからさまにアオが助かっても……という態度だったのに。

 だからアオは決めたのだ。美優を助ける、でもそれは御子柴家のためじゃない。ましてや国のためでもない。ガクのためだ。彼の、いや自分たちの姉だから助けるんだ。

「そうだな。せっかくここに導かれたんだ。きっと手がかりがあるはずだ」

 アオはぐちゃぐちゃにされた髪を直して、社の扉に向かい立つ。
 本来は誰も社を開けてはいけない。だが、御子柴青斗としてならば開ける権利がある。御子柴家が司る社だからだ。

 手を伸ばし、ゆっくりと扉を止めている金具のネジを回す。さび付いて動きが悪いが、力尽くでまわすと動いた。赤さびが指にべっとりついたが、ゆるくなったのでネジで留まっていた金具を動かす。

――ギギィ

 アオは扉を開ける。きしむような音が鳴った。
 中に入ると、ど真ん中に木片が安置されていた。

「これ、昔の守護樹の欠片だ」

 アオは思わず目を見開いた。
 仏像の代わりに守護樹の欠片が安置されているのだ。でも、これで何故懐かしい気持ちになるのかも、理由が分かった。

「俺はこれに呼ばれていたんだな」
「アオ、裏見てみろ。何か書いてないか?」

 ガクが興味深そうに欠片をのぞき込んでいる。

 ガクの反対側から欠片をのぞき込む。欠片は位牌のように台座があって、垂直に立っているのだが、表は木の表面がそのままになっている。だが、裏は平らに削られており、墨のような黒い色で文字と簡単な地図のようなものが書かれていた。

「触っても大丈夫かな?」
「大丈夫だろ。ぶっちゃけもうただの木の欠片なんだから」

 仏像のように安置されているから、なんとなく触るのがためらわれたが、ガクが平気そうにしているので手に取ってみた。

「思ったよりずっしりしてる。ええと……ガク、読めない」

 年月が経って少しぼやけているうえ、そもそも古い字体のため、アオには解読不能だった。

「あぁ、これは昔の仮名文字だな。ローマ字の筆記体みたいに昔の仮名文字をくずして書いあるんだ」
「それじゃ、これはかなり昔に書かれたってことか」
「書くだけなら今だって書ける。でもまぁ、ここに安置されてるくらいだから、そこそこの年代ものだとは思うけど」
「ふーん。で? 何て書いてある?」

 アオが当然読めると思って尋ねると、ガクに大きなため息をつかれた。

「これは俺の専門外。スキャンして翻訳するからちょっと待て」

 ガクは情報端末を取り出すと、木の欠片の文字を写す。

「ええと、意訳すると『この地の主に、次の命をあずける』かな。この地の主って、昔の領主とかかな?」
「それか、この社を世話していた御子柴のものかも」
「確かに。そっちの方があり得そうだな」

 二人のあいだに沈黙が満ちる。
 そう、頭の中はこの地の主よりも、次の命が何を示しているのかだ。もしかして……という期待とも言えない微かな可能性が浮かぶ。

「ガク、もしかして『種』か?」
「分からない。仮に種だとしても、かなり年月が経ってるし、もうそこには無いかもしれない」

 もしこれが守護樹の種だったら、日本を救うくらいの発見だ。
 国を救う? でも、国のために働いていた美優は、その国に住まう人間に襲われた。そんな奴らを助けるのか? それより美優を無事に見つけ出す方が何倍も大切だ。

 でも……もし美優が知ったら……なんでみんなを助けないのって怒るんだろう。あいつはそういう奴だ。
 突然御子柴本家にやってきた美優を、アオはすぐには受け入れられなかった。本家の一人息子としてちやほやされていたのに、手のひらを返したようにアオは放置されて不貞腐れていたのだ。
 それでも、酷い態度ばかり取るアオを諦めることなく、弟として接してくれた。一人っ子だったから、本当はきょうだいに憧れてたんだ。

「アオ、どうする?」

 ガクも眉間に皺を寄せている。きっとアオと同じく葛藤しているのだろう。

「俺だけの意見なら、種なんか知ったことじゃねぇって無視する」
「うん、そうだろうな」
「だけど、きっと美優なら探しに行けって言うと思うんだ」
「あぁ」
「美優を優先したいけど、美優が悲しい顔をするようなことはしたくない」

 アオは顔を上げてガクを見つめた。ガクはふっと軽く微笑む。

「アオって本当に姉さんには頭上がらないよな」
「うるさいな。美優に怒られると、親に怒られるより何か精神えぐられるんだよ」
「じゃあ、怒られないようについでに国を救ってやろうぜ。と言いつつさ、もし本当に種が見つかれば、良い交渉材料になると思うんだ」
「交渉?」
「美優が生きてて何者かに囚われているなら、種と引き換えできるかもしれないだろ? 状況に応じてさ、上手いこと使えばいいんだよ」

 ガクがニヒルな笑みで言うのだった。

「ガク、腹黒いな。流石だ」
「一言余計だ。そこは素直に感心しろよ!」

 ガクは頭が良いだけあって、アオと悪戯していたときも、上手いこと大人を言いくるめていた。お陰で楽しい悪戯ライフを送ることができたものだ。
 アオは彼の頼もしさを改めて実感する。

「じゃあ、種を探そう」

 きっと、遠回りに見えて、これが近道なんだ。だってアオの直感がここに連れてきたのだから。


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