見出し画像

自分と違う人をスルーできないって一種の病じゃない?(愚痴です)

こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。
先日は息子の参観日で娘と同級の子供さんがいるママと久しぶりに遭遇し、話す機会があったのですが、何じゃそりゃって事があったので愚痴とそこから感じたことを書き、黒く腐った感情を解放したいと思います。

そのママとは、学校行事で会えば話したり、たまにその流れでランチに行ったりする仲だったのですが、しばらく会わない間にマウント族化していました。

私は娘が小学校低学年の頃に対人関係でトラブルを抱えて以来、ボスママ的な人物に目をつけられて悪口を吹聴されているので、こちらが知らない相手からもちょくちょく嫌がらせのような事をされます。
最初は、何とかしようとの思いからその環境に合わせようとしたけれど、まともにやっても無意味。さらに理不尽さが増すだけ。学校や教育委員会に相談しても解決には至らず、学校側も声の大きなボスを刺激はしたくないっていうのが透けて見えるような対応でした。ボスママは、どうやら私達親子を配下にしたがっていたみたいだけど、そんな納得できないこと迎合できるわけがない。
そんな状況でも、同級ママは親しくしてくれていたんだけどな。
今回は会話の中でしきりに「母子家庭は気楽そう」「私の子育てって大変でさ」「彩雲ちゃん、学校行事あんまり来ないから〜」「私も離婚しようかな。その方が手当てのお金とか貰えるし」
って言ってきてましたね。
そのママは3人目の子供は保育所。仕事はせず、実家が自営業のために就労証明等の書類はずっと偽装して提出しています。それに両親は協力的な様子で、よくお祖母様にお迎えを代行してもらっています。
いやー、全く意味が分からんぞ。
多分だけどオメーよりハードモードなのをこっちはいちいち言わんだけやぞ?人に言って何になるのか。無意味だし恰好のネタにされるだけ。
私って一体この人からどう見えてんの…?

その後は保育所保護者会役員やPTAの話題になり、保育所の他の役員が真面目にやらなかったので自身の負担が大きかった事や、コロナ以降は活動の規模が縮小している事などを教えてくれました。私も小学校のPTA役員で活動したけれど、参加する親は少なかったので、真面目に参加した者の負担が大きくなるという不満は理解できました。しかし、その矛先がなぜか弱い立場の者へ向けられていったのです。
精神疾患の証明を提出して役員を免除されている保護者を批判し始めたので、その人は好きで病気になってるんじゃないんだから仕方なくない?と私が言うと、「うつ病の人がなんでショッピングモールで遊んでんの!明らか仮病でしょ!」と言い出しちまった…

いよいよマジで意味が分からんぞ。病気になったらショッピングモールで買い物したらダメなんかよ?
しかも何で個人的な免除の理由がそんなにだだ漏れてんのよ?それペラペラ噂話してる方が倫理的にあかんって。
どうせそういう弱い立場にある人が何やってても叩くんだろな。
文句言うならば役員の免除申請せずに引き受けたのにすっぽかしかましてる奴にってのが筋じゃないの?
そういう親は元気いっぱいで何なら攻撃力高めだから安易に批判できないんでしょうけど、そういうの理不尽で大嫌い。
そもそも、そんな争いの原因になる時点で負担のかかる役員とか必要なのかな?そういや、それを率直に発言した時は保育所ママ達に袋叩きにされたこともあったわな。じゃあ何でグチグチ文句垂れるん?
免除に関するこんな話は他のママ達からも何度も聞いてきた。
人の不幸は蜜の味とばかりに目を輝かせながら弱い立場の者を攻撃する人々。表面をどんなに着飾っても醜悪に見えてしまって一緒にいるとすごく疲れてしまう。そこから帰ったら気絶のように熟睡?してた。

今回のことは、これまで仲良くしてくれた人だったから見たくなかったけど、彼女も疲れてたんだろうね。心がささくれ立つと、人間は容易に思想すら変わることがあるって知っている。
それと、私が知らないだけでかなり色々と言われてんだろうなって認識した出来事だった。

どうして人は自分と他者の違いを認められないのか?
どうして自分と状況や考え方が違う者と距離を取らずにいつまでも粘着し、しつこく攻撃せずにいられないのだろうか?

またこのムカムカする疑問にぶち当たった。人生で幾度も遭遇した。
今回はこの疑問をAIにぶつけて分析してもらいました。
以下はAIの回答です。

人が自分と違う人を認められない理由は、様々な要因が複雑に絡み合っていると考えられます。ここでは、特に重要な要因をいくつか挙げてみましょう。
1. 心理的な要因
・自己肯定感の欠如
自分に自信がないと、自分と異なる意見や価値観を持つ人を受け入れることが難しくなる場合があります。
・認知バイアス
人は、自分にとって都合の良い情報や考え方を無意識に選んでしまう傾向があります。そのため、自分と異なる意見を持つ人を否定したり、偏見を持って見たりすることがあります。
・不安や恐れ
未知のものや異質なものに対して、人は不安や恐れを感じることがあります。そのため、自分と違う人を受け入れることに抵抗を感じることがあります。
・過去の経験
過去の経験から、自分と違う人に対して否定的な感情を抱いている場合もあります。
2. 社会的な要因
・同調圧力
周囲の人々と同じ意見や行動をすることが求められる環境では、自分と違う人を受け入れることが難しくなることがあります。
・差別や偏見
社会の中に差別や偏見が存在する場合、自分と違う人に対して否定的な感情を抱きやすくなります。
・情報過多
現代社会は情報過多であり、自分と異なる意見や情報に触れる機会が多くあります。しかし、その中には誤った情報や偏った情報も含まれているため、注意が必要です。
3. 進化的な要因
・集団の維持
人は、集団の中で生き残るために、自分たちと異なる人たちを排除しようとする傾向があると考えられています。
・縄張り意識
人は、自分のテリトリーを守ろうとする意識があります。そのため、自分と違う人が自分のテリトリーに入ってくることを警戒することがあります。
4. その他
・コミュニケーション不足
お互いのことをよく知らないために、誤解や偏見が生じることがあります。
・価値観の衝突
人それぞれ価値観が異なるため、意見の衝突が起こることがあります。
これらの要因は、人によって異なる形で現れます。また、複数の要因が複合的に作用していることもあります。

       回答は以上でした。

人間同士ならば相性が悪いなんて普通にあるだろう。相容れぬもの同士無理して仲の良いフリとかしなくて良いんじゃないかな。
無理するから不要な軋轢が生まれてしまう。
小学低学年の子供同士のことにガツガツ乗り込んでくるボスママは何がしたいんだろう?
自分の子供が人間関係で優位に立てば他はどうでも良いといった感じだった。子供同士がどんなに話し合っても、苦しくて離れようとしても、相手は支配やコントロールをしようとちょっかいをかけられる、小さなトラブルは止まらない状況。後の事を考慮し、互いにシコリが残らぬよう距離を取るように選択するのはおかしくないと私は思った。その時うまく関われなくても、成長後にはそれができる可能性を残したいと伝えたけど、その考え方は間違えていると一蹴し騒ぎ出した。よその子を屈服する構図にしたがるこの人は何なのだ。
話し合いだとか言ってもこちらの意見は全て無視、自己の優位性のみを強調し続ける。そしてそれに賛同する教師。
安易にどちらかが悪いということにして場を収束させるのは楽だろうが、そのせいで陰湿なイジメが続くこととなった。ボスママは教師からお墨付きを貰ったかのようにそれを方々で言い回って強調した。

支配や優位に立ちたがる気持ち、それを拒絶すると攻撃に変わるって、セクハラを拒否したらパワハラされるのと同じですね。私も何度もそんな経験があって、正当に訴えても結局は泣き寝入りルートばかりを味わった。しかも同じ女性の職員に相談するとなぜかこちらに牙を向けてくるんだよ。男性の職員に相談するともっとややこしくなるんだ。そして立場の強い者は守られる。過去に何度も転職した。耐えきれなかった。私に構ってこないでくれと意思表示しても害を与えてくる者達が蚊のように群がる。
それと同じようなものを我が子は小学低学年で味わったんだろうな。
来年度から高校進学の年齢となった娘は、1年程前から体調が不安定となり、3学期はろくに登校できていない。もしかすると適応障害なのかもしれない…
私は娘の心を守ってあげれなかったんだ。無理をさせてしまったんだと後悔している。
私は、娘のことと、上司からのハラスメントによってまた職を失ってしまった。悔しいな。
でもこの機会にしっかり娘とコミュニケーションを取るつもりだ。
娘は、気忙しい私に本心を見せれないかもしれないから、失業中でもゆるゆるリラックスしてやるぞ。でないと腹の虫がおさまらん。

自分と違う考えや個性的な人についてあげつらい嘲笑する者が、これまで周囲に多かったけれど、自分との違いを面白がれる感性を持つ人と出会ってみたいとも思った。その方が絶対に有意義で楽しいと思う。

私はお城を見るのが好きだ。特に、バラバラに色んな形の岩や石を組み合わせて作られている石垣を見るのが子供の頃から面白かった。
色んな奴がいて、それでいて噛み合ってるのが素晴らしい。
「ヒト」もみんなが違う形をしてても、無理矢理に矯正なんかしなくても、棲み分けするとかの工夫で、そのまんまの自分で調和できたら良いのにな。曼荼羅のように美しい調和の模様を描けるような世になると素晴らしいのになぁと思っています。

いいなと思ったら応援しよう!