僕と息子の命の戦い
第七章 507日
もう12年もまえのことですが、息子の頑張りに助けられたことは忘れない。やつもがんばったのだから、私も頑張って、復活しなければ、と強く思う。
それから私達家族は穏やかな気持ちでヒロと過ごすことが出来た。まだ、完全に取り戻していないし、自宅に帰ってきてもその名目は「長期外泊」だ。煮え切らない気持ちは残るものの、1ヶ月前2ヶ月前を思えば大した事はない。
7月1日には、初の院外外出で有栖川公園に行った。面会時間は2時間弱しかなくて公園までの往復で時間を取られ、公園にいる時間はわずかしかないのだが、それでもヒロとチィとママと3ヶ月ぶりに一緒に過ごす公園は格別なものだった。ヒロも久しぶりの公園、池を見て驚き、滝を見て近好き、鳥を見て笑った。
6日も院外外出の日。でもこの日は七夕前日で乳児院の七夕祭りが行われていたので院内で。ヒロは甚平を着せられてご機嫌、元気ハツラツ動き回っている。
乳児院のホールには笹の葉に願い事の短尺が沢山下がっている。もちろん私達も書いた。
「家族一緒にずっと笑って暮らせますように!」
他の短尺もそれぞれの家族の願いが下がっていた。
「病気が早く治りますように。」
「○○ちゃんがずっと笑顔で暮らせますように!」
「笑顔の絶えないこらからが訪れますように!」
短冊を見ながら涙が溢れ出てくる。
みんな笑顔を望んでいる。それだけ今が辛いということだ。
乳児院にはいろんな事情を持った子供達がいる。私達も辛い思いをしたが、もっともっと大変な子供達が沢山いる。顔の横幅が普通の子の半分しかない子、全身麻痺していて目だけしか動かない子、いつまで経っても一度も親の面会のない子、、、
そこにいると正直な話、ヒロはまだ恵まれていると思えた。頭の怪我はしたものの、いつも元気に動き回っている。食事も人の倍くらい食べる勢いだ。週に4日は家族が会いに来る。乳児院の中では、他の子の何倍も何倍も恵まれている。
私達が乳児院に行き始めた時、全身麻痺した子が目だけを動かしてジロッと見る。ほぼ毎日のように親が会いに来る姿を見て羨ましがっているのだろうか。そんな姿を見て次第に私はその子に声をかけるようになっていた。そしてたまには体をさすってあげたりもした。いや、その子だけじゃなく他の子にも。するとしばらく経つとニコっとしてくれるようになった。全身は麻痺して動かないのに目だけで喜びを表現してくれた。病気でも麻痺でもどんな状態でもそこにいるのは一人の子供なんだ。誰かに愛されたいんだ、誰かに甘えたいんだと思った。
しかしそれから私の中で葛藤が芽生えた。折角心は通じたのにずっと会い続けることは出来ない、それはむしろ残酷な事なのではないかと。
その時の行動は同情からなのか、それともそういう行動をする自分でいたいためなのか。そしてそれが善なのか悪なのかの答えを出さずにいる自分がいる。良かれと思って行動しても人を傷つけることもある。まだ行動しただけましなのか。同情ではなく1人の子供として普通に接することが大事なのではないか、いやしかしそれが難しい。世間では障害者などを見て可哀想だと思う。しかしそれを見て自分がその立場でないことに安堵したりするものだ。人は比較して生きている。自分より可哀想な人を見て自分の幸せを感じたりする。でもそんなんじゃなく、心の底から1人の同じ人間として認めて付き合うことが大事なんじゃないかとも思う。
しかしその子の辛さにずっと寄り添うことは出来ない。今はただそこで出会った子供達が早く回復するのを願うばかりだ。私に出来ることはあまりにも少ない。そしてその全身麻痺の子の親が面会に来たのを見たことがない。乳児院とはそういう所なのだ。
11日には遂に我が家にヒロが帰ってきた。と言っても9時半から14時までの間の外出許可なので我が家にいる時間は2時間半しかない。ママの手作りご飯で久しぶりの家族4人での昼食、その後はチィとヒロとお風呂に入って幸せを噛みしめた。
まだ1歳に満たない自分の子供とお風呂に入るのが80日ぶりだ。ただ我が子とお風呂に入ることがこんなにも幸せなことなのだと実感した。チィもヒロもはしゃぎ続けて楽しそう。
16日は初の外泊。息子が我が家で寝ることを「外泊」と言われるのも気分が悪い、本来ならそれが普通の状態だ。しかしこんな日に今度はチィが入院してしまった。気管支炎の症状が悪化してしまったのだ。
『チィ、一人で大丈夫?』
病院のベットで呼吸器をつけて寝ているチィに問いかけた。するとチィは右手の親指を立てて大きく頷いた。
『そっか、ヒロくんも1人で頑張ってるもんね。』
チィはまた大きく頷いてニコッと笑った。チィも強くなっている。
その夜はヒロを真ん中に家族3人で寝た。いや、暫くはママと二人でヒロの寝顔をしみじみと眺め続けていた。
『寝顔も可愛すぎるね。』
『うん、本気で天使に見えるよ。』
『でも、ヒロの生命力に助けられたよね、』
『本当そうだよ。』
『何にもないんだよ、後遺症も合併症も障害も。』
『もしも少しでもなんかあったら、もしも命に関わってたりしたら、俺たちがいくら頑張っても真逆の方向に行ってただろうしな。』
『逮捕されてたよ、きっと。』
『だよね。でも命に関わってたら逮捕される前に狂ってるよ、きっと。ヒロは頑張って俺たちの所に帰ろうとしてくれたんだよ。』
『ヒロに、助けられたんだよね。』
『ごめんな、ヒロ。』
私達の行動や努力なんて、ヒロが生きようとした本能に比べたら凄く小さい事のように感じた。
ふと思い出した。チィやヒロがまだ生まれていない頃、ある事で思い悩み人生を捨てようと思ったことが何回かあった。その度ママに励まされ、ママの顔を思い出して踏みとどまった。そして今回もあまりの辛さに心が折れかけたこともあった。元々私は心が弱い人間だ。ママに弱音を吐いたことも何度もあった。「ヒロはどうするの!チィはどうするの!」その度、家族に救われた、ママに救われた。愛されている事に救われた。愛している人がいる事に救われた。生きるか死ぬか、愛情によって死ぬ選択肢がないのなら必死に生きるしかないのだ。もがき続けなからも必死に生きて必死に家族を守るしかないのだ。ただそこに寝ているヒロを見ているだけで、一緒にいるだけで救われていた。
19日、ヒロがつかまり立ちから手を離して2秒静止した。立った、立った!成長の姿を目に焼き付けた。
ヒロが乳児院に帰って行った日、チィは退院した。自宅に戻ったチィと3人で寝ているとチィが夜中に突然起きてきた。
『ヒロくん、今何してるのかなぁ?』
『もう寝てるんじゃない。チィも早く寝ないとね。』
『ヒロくんも、もう病気治ったんじゃない?』
『そうだね。』
『今日はおうちじゃないの?』
『もうすぐ、もうすぐに帰ってくるよ。』
『やったぁ。ヒロくん帰ってきたら、チィのおもちゃ全部あげるんだ。』
『え、いいの?』
『うん、いいよ。チィは新しいの買ってもらって一緒に遊ぶから。ふふふ。』
まだ4才の娘も弟と一緒に居たいと願ってる。もうすぐ、もうすぐだからね。娘をとてもとてもとても愛おしく感じた。
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