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第四章 アネモネ 第17話 花言葉

 花屋の花をじっと眺める。今僕がいる花屋はここら辺の町では特に大きい花屋だった。

 外には多種多様な花が並べられており、店内もジャングルと見紛うほどの花で覆われている。

 それでも、圧迫感はなく、いるだけで心地よい気持ちになれるのはさすが創立七十年の歴史がある花屋の技なのだろう。

 二階は、ガーデニングショップになっており、休日はガーデニング教室が行われているみたいだ。今日は平日の夕方のため、店内には、男性店員ひとりしかいない。ただぼーっと花を眺めていると、男性店員が話しかけてきた。

『どうしたんだよ、歩』

 僕の肩を軽く叩き、手話で話しかけてきた男性店員は僕の数少ない友人にして、この花屋の跡取り息子の花宮蘭太郎だ。

『いや、なんでもない。ぼーっとしてた』

 呆れたように蘭太郎はため息を吐く。

『何か用があったんだろ? 相談なら学校でもいいのに、わざわざ俺ん家にくるくらいだからよ』
『うん。学校だと話しづらいことだから』

 僕はそう伝えると、蘭太郎は真剣な表情をする。

『学校でなにかあったか? 俺にできることがあったらなんでも協力するぞ』

 こいつはこういうやつだ。情に厚く、その上、話してみると安心感与える人間。こういう人間がモテるのだろう。だからこそ、僕の相談相手にぴったりだと思った。

『うん。いいづらいんだけど、恋愛相談にのってほしいんだ』

 イケメンで高身長。加えて、女の人が好きな(これは偏見だが)花に詳しい。これがモテないはずがない。数々の恋愛経験を見込んで相談がしたかった。

『恋愛相談?』

 蘭太郎はわかりやすく後ずさりをする。そんなに驚くことだろうか。

『そんなに僕が恋愛の話をするのが珍しい?』
『いや……たしかにそれもあるけど、そればっかりは俺、そんな役に立てないと思うぞ?』
『なんで?』

 蘭太郎は目線を逸らす。

『俺、恋愛とかしたことないし』
『え?』
『え』
『蘭太郎は謙虚だね』
『いやいや、マジだって』
『マジ?』

 蘭太郎に嘘を吐いている様子はない。イケメンで性格も良い。こんな人間でも恋愛経験がないことなんてあるのだろうか。世の中不思議なこともあるものだ。

 でもたしかに、去年同じクラスにいたときも、女子と会話しているところはあまり見たことがなかった気がする。

『女子、苦手なんだよ。恐怖症レベルで。ほら、俺ん家姉貴がいるから』

 蘭太郎には二つ上の姉がいる。お姉さんもこの花屋の手伝いをしており、休日のガーデニング教室では先生をやっている。まえに蘭太郎の家に行ったときニアミスした。

美人で優しそうなお姉さんだ。

『僕も妹いるけど、女性恐怖症ではないよ?』
『ウチのはその……例えるなら、悪魔だから』

 蘭太郎は頭を抱え、震えだす。あの清廉なお姉さんにそんな裏があるのか……?

『花屋の娘なのに?』
『……花には棘や毒をもってるものもあるんだよ』
『刺激的だね』
『あげようか?』
『遠慮しておくよ』

 きっぱりと断ると、蘭太郎は露骨に嫌そうな顔をする。

『まあ、そんなわけだから、恋愛相談なら俺には期待しないでくれ』
『いや、そっちは付随で本題はべつにあるんだ。そうだ、思い出した。アネモネって花ある?』

 蘭太郎は得意げに笑う。

『もちろん! アネモネはこの季節の人気商品だからな。たくさんあるよ。なに? 贈り物?』

 僕を外へと案内し、赤、紫、ピンク、白と色とりどりの花を指さす。アネモネは中心に小さな花を咲かせ、周りに綺麗な花が咲いているように見える。

『うーん、というより、アネモネってどういう花なのか知りたくて。この赤とか紫とか全部アネモネ?』
『そう! それぞれの色に違った花言葉があって、それぞれ良い花言葉もあって人気なんだ』
『花もすごく綺麗だしね』

 カラフルで綺麗な花は人気があるだろう。
 ……でも、綺麗な花では彼女を喜ばせることはできない。

『ああ、その花に見えるのはガクなんだ』
『ガク?』
『そう。花びらみたいなもんだけど花を支えるための茎に近いもんなんだ』
『そんなものがあるんだ。知らなかった』

 綺麗なもの=花びらというイメージがあったからつい、花びらだと勘違いしていた。

『まあ、花びらみたいなもんだし、それを知らないで買う人もいるよ。綺麗であればそれが花びらであるかどうかなんてのは関係ねえよ』

 綺麗であれば花びらであるかどうかは関係ない、か。
 どうしてかその言葉は僕の心を揺らした。

 僕は、色とりどりのアネモネを見つめる。これが、アネモネか。

 園川さんが好きな曲〈アネモネ〉の題材の花。僕は、パフェを一緒に食べに行った後、彼女の好きなものを理解したく、歌詞を読んでみた。その中にたしかこんな一節があった。

〈私は綺麗な花ではないけれど、あなたを癒せればそれでいい。あなたと共に歩めれば本物であるかは関係ない〉

 この一節を読んだときはまるで意味がわからなかったが、やっとその意味がわかった。

 本物であるかは関係ない。この言葉が持つ意味はよくわからない。でも、その言葉は僕にとって何か重要であるということだけはなんとなくわかった。

『蘭太郎、ちなみにアネモネのそれぞれの花の色の花言葉ってどんなものがあるの?』

 蘭太郎はそれぞれの花を指さし答える。

『白は〈真実〉、〈期待〉。紫は〈あなたを信じて待つ〉。赤は〈君を愛す〉って感じかな』

『どれも前向きでロマンティックだね』

 蘭太郎は照れくさそうに笑う。

『それが人気のひけつ。それで、なんでアネモネを知りたいと思ったわけ?』
『…………』

 気になるのは当然だ。しかし、好きな人の好きなものを知りたくてというのは少し恥ずかしい。僕がいいかねていると蘭太郎はにやにやしながら言う。

『どうせ、好きな人の好きな花って感じだろ?』
『わかってるなら聞かないでよ』

 僕はニヤケ面の蘭太郎を見やる。それにしてもこのニヤニヤは腹が立つ。
 僕が目を細めても構わずぐいぐい聞いてくる。

『なんだよ誰だよ? 新しく入ってきた後輩? え? 一目惚れ?』

 半分当たっているのがさらに腹立たしい。

『誰でもいいでしょ。同級生だよ』
『嫌そうにしつつも答える歩の素直なところ、俺、好きだよ』

 蘭太郎はそう言って赤のアネモネを差し出す。たしか花言葉は〈君を愛す〉。

『気持ち悪いです。ごめんなさい』
『辛辣に振ってくれるな。でもわかっただろ? 花屋の息子が言うのもなんだけど、愛の告白で花を渡すのはリスキーだからやめておいたほうがいい。花を渡したら振られたどうしてくれるなんてクレームはしょっちゅうあるからよ』
『そんなのわかってるよ。……花屋も大変だね』

 ……あぶねー! やる前に気づいてよかった!

 どちらにしても、彼女に色とりどりの花を渡すのはタブーだ。僕が誕生日プレゼントにCDを受け取るようなものだ。嫌がらせだと思っても不思議じゃない。

 まあ、かえってそんなブラックジョークをしてくる人間がいたら僕は気に入ってしまうかもしれない。

 でも、僕の感性はどうでもいい。花をプレゼントするなら彼女にも喜ばれるようなものでなければならない。

『アネモネ、買ってくか? 特別サービスしてやるぞ?』
『いや、今回はいいよ。それと、目が不自由な人でも楽しめる花とかってある? ほら、前に言ってたでしょ? 目が不自由な人も結構買いに来る人がいるって。参考に聞きたくて』
『なるほどな。歩の一目惚れの相手は目の不自由な人っと。メモメモ』

 蘭太郎はお店のエプロンからメモ帳とペンを出し、メモをしている。

『そんなことメモしなくていいから! で、そういう花ってあるの?』

 僕は必死に抗議し、蘭太郎のメモを邪魔する。

『まーやっぱり、人気なのはバラとかかな。良い香りがするやつとかは結構人気だな』
『バラかー……』

 告白にバラを渡すのはさらにキザな気がして気が引ける。
 それを察してか蘭太郎は付け加える。

『まあそれ以外にも人気な花はあっからさ、色々見てみろよ』
『うん。ありがとう。仕事の邪魔しちゃってごめん』
『気にすんな。また、何かわかんないことあったら聞いてくれ。あ、すまん。お客さんから電話だ』

 そういうと蘭太郎はスマートフォンを取り出し、明るい調子で話す。あまり仕事の邪魔をしてはいけない。園川さんが喜んでくれそうな花を見つけ次第、早々に退散しよう。

 そう思い、色々な花を見ていると、二階から綺麗な女性が降りてきた。蘭太郎のお姉さんだ。白いYシャツにエプロンを掛け、明るめのジーンズを履いた大人らしい服装だ。

 身長も高く、様になっている。エプロンの上からでもわかる胸の大きさについ、目が吸い込まれる。すぐに目線をそらす。

「―――――」

 蘭太郎のお姉さんが僕に声を掛けてきた。
 何を言っているかわからないが、おそらくいらっしゃいませ的なことを言ったのだろう。
 僕は軽くお辞儀をして、再び花に視線を戻す。

「――――――」

 すると、蘭太郎のお姉さんが再び何か僕に話しかけてきた。何を言っているかわからないので、とりあえず手話で答える。

『すみません。僕、耳が聞こえません』

 すると蘭太郎のお姉さんは目を見開き、頭を下げ、手話をする。

『大変失礼いたしました。もしかして、弟のお友だちですか?』
『はい。そうです。水瀬歩といいます』

 はっきりいうのが少し照れ臭かったが、事実なので問題ない。

『そう! 蘭太郎がいつもお世話になっております。私は蘭太郎の姉、花宮 紫織といいます』

 そういって蘭太郎のお姉さん、紫織さんはエプロンの名札を見せる。にこやかに笑う彼女は落ち着いた雰囲気で、蘭太郎がいうような強烈さは感じられない。

 紫織さんはお店の奥にいる蘭太郎の方へ向かう。蘭太郎もちょうど、電話接客が終わったようだ。紫織さんが蘭太郎に話しかける。

「――――」
「―――――――!」

 紫織さんと蘭太郎が何か話している。蘭太郎が僕に近づく。
 蘭太郎の後ろから紫織さんが僕に話しかける。

『蘭太郎から少し話を聞かせてもらいました。水瀬くん、よかったら今週末、私のガーデニング教室に参加してみませんか?』

 優しそうな笑みを浮かべている。

『ガーデニング教室ですか? すみません。僕、花に全然詳しくないんですけど……』
『詳しくないぐらいがちょうどいいんです。花について知らないけど興味がある。そういった方々にも楽しんでいただけるサービスを提供したいというのがウチの方針ですので』
『そう……なんですか。その……えっと、ガーデニング教室は僕のように耳が不自由な人間でも参加できるんですか?』

 紫織さんは微笑む。

『もちろんですよ。他のお客様でも体が不自由な方や、目の不自由な方でもご参加されます』

 紫織さんはおそらく僕の好きな人も連れてきたらどうだと暗に言っているのだろう。

 せっかく与えられたチャンスだ。逃さないわけにはいかない。

『じゃあ、参加します』
『ありがとうございます。初回の方は無料でご参加できますので、お友だちともぜひ、ご一緒にお越しください』
『はい、ありがとうございます。あ、それと、蘭太郎も一緒に参加ってさせてもらえませんか』

 蘭太郎がいると安心する。できれば近くにいてほしい。

『そうですね。ガーデニング教室は、私と店長である母のふたり体制でやらせていただきますので、その間、蘭太郎には1階で通常営業してもらわなければなりません。ただ、ガーデニング教室の後に行われるお花見ランチでは蘭太郎にも参加してもらいましょうか。いいよね、蘭太郎』

 そう言って、蘭太郎の方を向く。

『もちろんだ』

 蘭太郎は笑ってグッドポーズをする。

『では、十時にお待ちしております。参加される人数がわかり次第、蘭太郎にご連絡ください』
『はい。あ、それと、お花見ランチってなんですか?』
『ガーデニング教室にご参加していただいた方には、うちのお店の裏にある桜の木の下でランチを提供させていただいております。ガーデニング教室でわからなかったことのお話や、ご一緒したお友だちと交流を深めていただきたく思っております』
『そんなのがあるんですね』

 食べるのが好きな園川さんにぴったりだ。餌があれば彼女も来てくれるだろう。また遊びに誘うことを考えるだけで心臓がバクバクと強く鼓動する。緊張が九割。一割は、また彼女と時間を共有できるかもしれないという期待。

 僕が手を胸にあて考えごとをしていると、紫織さんは優しく微笑む。

『仲を深められるといいですね』
『……ありがとうございます。よろしくお願いします』

 心中が丸見えになっているようで恥ずかしい。でも、構わない。僕が彼女に恋をしているのは事実だから。彼女の喜ぶ姿を想像し、自然と笑みが浮かぶ。僕は紫織さんにお辞儀をする。蘭太郎に見送られお店を後にする。

 帰路の中でもずっと心臓が強く鼓動する。彼女の喜ぶ姿。食べる姿。音楽を聴いている姿。彼女のあらゆる姿を思い出し、心が躍る。僕はいま、普通の恋ができている。

 この恋が叶う可能性は低い。

 でも、僕はこの普通の経験ができたことが嬉しかった。やっと、やっとなんだ。
 ついに僕は、光に手が届いた。この光を手放したくない。

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