女性として生きるのが苦しい②

 前回ルッキズムという言葉を使ったが、それに関連して容姿についての話をまずしようと思う。男性韓国アイドルのことを女々しいと貶す男性が多いが、そもそも女々しさとは何か。身なりを整える全て(化粧、スキンケア、髪をセットすること、痩せていること)が女性らしさとイコールになってしまっている。特に痩せていることが美しさだなんて、元々女性は男性より脂肪率が高くなるように体が設計されているのにこの価値観のせいで苦しめられている人が多すぎる。ただおしゃれしたい男性にも、ただおしゃれしたくない女性にも苦しい足枷になっている。男性はそのままがワイルドでかっこいいという価値観があるが、それが「かっこいい」と思うことの否定はしないけど、それを何もしないという怠惰の言い訳にしている男性が多すぎる。

 次に女性の性的消費についてだが、胸やお尻等のプライベートゾーンを強調したアニメや漫画の絵が批判された時に擁護する人達は、男性が性的に描かれたバージョンを見た時にやっと違和感を感じるのだろうなと思う。2次元の女性のエロ描写の「これぐらい」がインフレしたせいで、基準がおかしくなっていることに気づけていないのは恐ろしい。
 性別、性的嗜好に関係なく性的なことを公共の場で騒ぎ立てるのは良くない。それだけのことを何故屁理屈やこじつけた持論でこねくり回すのか。
 Twitterで女性用風俗に行った女性が、それから綺麗な女性を見ると「彼女も風俗やってたりしないかな〜」という考えが頭をよぎるという話をしていた。また、道端で急に「三万でどう?」などと声をかけられた女性の話に、同じ体験をしたという返信がつけられているのを見たことがある。性的な娯楽はひっそりと、然るべきところ(お店の中や脳内)だけでやるべきことで、それを外の世界に持ち込むことがいかに有害で危険か。この性的産業と現実の混濁は、ルッキズムにも確実に影響を与えている。女性の容姿を易々とジャッジする男性達は、美しい女性と付き合う(もしくは1夜過ごす)ことがステータスだと思い込んでいるフシがある。そのような価値観が滲み出た発言をすることも多い。「飲む、打つ、買う」の価値観は未だ健在なことに絶望する。

 女性差別の話をしている時に「恋愛」のことを持ち出してくる男性を、TwitterやYouTubeのコメント欄で目にする機会が増えた。残念ながら大学の先生に対してドヤ顔でこの話をしている人間に私は遭遇してしまったことがある。そして、そういう人間と会話することは不可能でこちらが一方的に不快になるだけだという体験もした。(学んだなんて言葉は使いたく無い。)制度の観点からあからさまに女性が差別されているのは明白なのに、何故恋愛の話を持ち出すのか。女性の人権の話をしている時に。その話と今の男性が付き合いにくいという話は関係がないし、彼等の論理も意味不明である。恋愛は容姿よりも性格よりもステータスよりも、"人と関わる場にいたか"が決定的に大事なのだ。そもそも個人のモテない理由を一般論化するなんて無理な話なのに、トンデモ理論を「俺のことだ!」と思い込む人達はどうかしている。

 長くなってしまったがこれで終わろうと思う。もし私のように苦しんでいる人が、これを読んで共感してくれたら、自分は1人じゃないと少しでも楽になってくれたらと願う。

いいなと思ったら応援しよう!