貴花田光司はなぜオテンキのりを投げとばしたのか
1991年の春。時は若貴ブーム真っ只中だった。
小学6年生の私の前には、貴花田光司(後の65代横綱貴乃花光司)と対峙していた。
待ったなしの大一番。
小学6年生の時、地域の小学生を集めた「ちびっ子相撲大会」が開催された。
ゲストは、藤島部屋の方々。その中に、若貴兄弟もいた。
各小学校の代表3名による団体戦で私の小学校は優勝した。
もちろん私オテンキのり(後に空手と柔道で千葉県を制す男)も出場し、私は他を寄せ付けない全勝でチームの勝利に貢献した。
私の目には貴花田しか映っていない。
老若男女を虜にし、もはやアイドル顔負けの人気者。
私は昔からモテるヤツが大嫌いだった。
「来い、貴花田!ぶっ飛ばしてやる」
私の中の「鬼」がそう叫んでいた。
私の想いが伝わったのか、急遽、優勝チームと貴花田が3対1で対戦することになった。
「ふっ、そうこなくっちゃ」
私はいやらしい笑みを浮かべた。
野性か本能か、貴花田も私をここで倒しておかねばいけない相手だと感じたのだろう。
言葉はない。いや、言葉などはいらない。互いの想いは言葉にすることが出来ない。
それは、強者だけが感じることが出来る「何か」が2人の雄を刺激していた。
歳の差は7歳。
生まれも育ちも違う2人。
しかし、私が初めて好きになった芸能人は宮沢りえ。
後に写真集「サンタフェ」も購入するし、化粧品のパンフレットに写っていたら持って帰り、部屋の机にしまっていた。時期こそ違うが、同じ女性を愛した者同士。
戦う運命だったのかもしれない…
「のり、戦う理由なんて必要か?」
「そうだな光司。どっちが強いのか、それだけで充分だ。」
「確かに。」
「でも、もし違う出会い方をしていれば、俺たちは戦うことはなかったかな?」
「…」
「おっと、野暮な質問だった。」
「いくぜ強敵(友よ)」
心の中でいくつもの言葉を交わした気がする。
怖い妄想である。
土俵での佇まい。貴花田の所作の美しさに目を奪われた観客と私。静けさが土俵を包んだ。
行事の「時間いっぱい待ったなし。」が会場に響いた。
「はっけよい、のこった」
一斉にチームメイト2人が正面からぶつかって行った。
簡単に受け止める貴花田。
私は一瞬の隙をつき、貴花田の後ろに回った。
チャンス!!「もらった」
おもむろに貴花田のお尻をペシペシ叩いた。
会場に笑いが起きる。
私は根っからのお調子者だった。
(今、思えば相撲への冒頭でした。本当に申し訳ありません。)
しかし相手が悪かった。
ガチンコ相撲を貫き通す男
しかもまだ19歳。イケイケのバリバリの貴花田光司が舐めたガキを許すわけない。
後ろに手を回し、私のまわしを掴み、片手で持ち上げ、投げ飛ばされた!
私は何もすることが出来ず、頭からマットに突き刺さった。
パリオリンピックの陸上女子やり投げ金メダル北口選手の投げた槍のように刺さった。
「お〜」と会場がどよめき、拍手が鳴り響いた。
「こ、こいつは…この人は本物だ」
首の痛みは餞別としてもらった。
やはり、私の目は確かであった。
その1ヶ月後の5月場所で、あの大横綱「千代の富士」を倒した大一番が繰り広げられた。
千代の富士の引退会見を見ながら、私は治った首に手をやり頷いた。
歴史の残る一戦、今でも語り継がれる名勝負である。
悲しいかな、私との一戦は歴史に残ることも、語り継がれることもなかった。
当たり前だ!
それから10数年後、東京の繁華街でバッタリお会いした。
運命はまた動き始める…
その話はまた今度。
第一章〈完〉
二章へ続く